プレミアムジャパン・アートプロジェクト<建築家シリーズ> vol.13

「場所の記憶」を未来へとつなぐ建築家、田根 剛(前編)

2017.01.30

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「プレミアムジャパン・アートプロジェクト」の若手建築家の連載インタビューも6人目を迎えた。今回登場するのは田根 剛。パリを拠点に活動する彼は、『エストニア国立博物館』のコンペに勝利し、国際的に注目を集めた。前半の今回は、コンペから10年を経て完成した同博物館を中心に話を聞いた。

26歳でエストニア国立博物館の国際コンペに勝利して

2016年10月1日、DGT.(DORELL. GOHOTMEH. TANE/ARCHITECTS)が設計を手掛けたエストニア国立博物館がオープンの日を迎えた。DGT.はイタリア人のダン・ドレル、レバノン人のリナ・ゴットメ、日本人の田根 剛の3人が設立した設計事務所で、パリに拠点を置いている。『エストニア国立博物館』の国際コンペが行われたのは2005年。当時の田根はまだ26歳の若さだった。

「その頃の僕はロンドンのある設計事務所で働いていて、友人のリナとダンと一緒に何か大きなコンペに挑戦しようという話になった。そこで見つけてきたのがエストニアのコンペで、国家プロジェクトであるにもかかわらず、僕たちのような実績のない無名の若手にも公募で門戸が開かれていました。3週間で設計案を練って応募したところ、最優秀賞を受賞してしまった。いちばん驚いたのは僕たちです。すぐに独立して、3人で事務所を立ち上げました」

田根は10年前の出来事をこう回想する。バルト三国のひとつであるエストニアの歴史は近隣の大国の支配を抜きには語れない。エストニア民族が形成されたのは10世紀頃だが、13世紀から20世紀初頭まではドイツ人領主やスウェーデン、ロシアなどの支配が長く続いた。

(2)rd1700_EE01_05(3)rd1700_EE01_12写真(上)/ エストニア国立博物館 Estonian National Museum 2016 Courtesy of DGT. Photos by Takuji Shimmura
エストニア第二の都市であるタルトゥに建設された国立博物館。全長355メートルの建物は既存の軍用滑走路をそのまま延長したようなデザイン。緩やかに傾斜した屋根は未来への飛翔をイメージしている。

ロシア革命勃発後の1918年に独立するが、1940年にソ連軍が占領、第二次世界大戦後はソ連に編入された。そしてソ連崩壊直前の1991年に独立回復を宣言し、現在のエストニアが誕生した。

国立博物館の建設は、国立美術館の建設、音楽院大学の設立と共に独立時の3つの公約のひとつだった。こうした歴史を踏まえれば、このプロジェクトが新国家の民族的・歴史的アイデンティティと密接に関連していることは明らかだろう。それを建築のデザインのなかにいかに落としこむのか、その提出された設計案は人々の意表をつくものだった。

 

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