カルチャー

当代樂吉左衞門×坂東玉三郎対談 日本の風土とものづくりの心について

2017.04.14

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3月14日から、東京国立近代美術館にて開催されている「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」。450年前、千利休による「侘び茶」の精神を受けた長次郎から始まり、“一子相伝”によって現当主である十五代樂吉左衞門まで、脈々と受け継がれてきた歴代の「樂焼」が一挙に展示されています。

会期中には、当代の樂吉左衞門さんと、長く親交のある歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが対談イベントを開催。それに合わせて、プレミアムジャパンでも、お二人から貴重なお話を伺ってきました。

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玉三郎さんのお茶碗を吉左衞門さんの窯で焼いたことも

吉左衞門「玉三郎さんとご一緒するようになったのは、僕の作品が収蔵されている佐川美術館のお茶室でお話させていただいたときからですね。確か、美術館がオープンしたばかりの2007年頃だったかな」

玉三郎「もう10年前になるのですね。それから、こうした対談やお茶碗を介してのお付き合いをさせて頂いてきました。私はお茶を頂くので、お茶碗のつくり方も佐渡の先生に教わっているのです。そのご縁で、たまたま私のお茶碗を樂さんに見ていただくことになりました」

吉左衞門「佐渡でお茶碗をつくられていることは最近知ったんです。二種の土をプレゼントしました。一つは家の古い土、もう一つは、最近戴いた薬師寺さんの土です。三碗できあがり、そのうちの一碗を12月の窯で焼きました。自分の作品を焼くより緊張しました(笑)」

玉三郎「きっと預かったものだからでしょうね。気にされなくていいですのに(笑)。そういえば私は、佐渡でお茶碗をつくるときに、削(はつ)った土をどんどん庭に捨てたりしていたのですけれど、本当はまた集めて練り直すものだそうですね」

吉左衞門「そう、捨ててはいけません。土は、水に戻せばまた使うことができます。削られた土は、また水に戻して再生され、そうして先祖から今に伝えて来たものですから」

玉三郎「もちろんお茶碗に使う土が貴重なものだとわかっていましたが、何年もかけて熟成して作っているものだとは知りませんでした」

吉左衞門「今回玉三郎さんがつくられた赤茶碗は、薬師寺の東塔の基壇の土を使っています。2016年に行われた基壇の補強工事で支えていた土を頂いたものです。基壇は、いまでいう基礎コンクリートのようなものですね」

玉三郎「そういう歴史のある土を使うのですね」

rd1700_(3)Tamasaburo_Raku_0147-pつかみどころのない曖昧な日本の風土・文化にほっとする

玉三郎「それにしても、樂家をはじめ一つのお茶碗を大事にして、あらゆる角度から思考や哲学、言葉をもって向かっていく日本の風土って独特ですね」

吉左衞門「たとえば茶碗という器物に対して、こよなく慈しむ気持ちをもつのは確かに珍しい文化です。西洋だと、器物は『もの』、壊れれば取り替えることのできるもの。そこには相互に通う心がありません」

玉三郎「先日、ヨーロッパを訪れて気づいたのですが、たとえばイタリアは教会が文化の中心にあって、文化全体が宗教や教会でしっかりと支え合っています。ティツィアーノやティントレッドなどの絵もすべて教会にあるし、絵の題材も殉教した人が描かれている。日本にも寺院は多いけれど、そういう思考はあれほど強くはないですよね。樂さんのお茶碗を拝見させて頂いたりして、日本の風土と比較すると、ヨーロッパはずいぶん縛りが強いなと感じました」

吉左衞門「キリスト教は一神教だからでしょうね。確かに、しばらくヨーロッパにいると少し息苦しくなってくる感じがあります。そういう時は、よくロマネスクの教会に行きました。それは12世紀頃に建てられたゴシック建築になる前の教会で、どこか東洋的なものを感じます」

玉三郎「すごくよくわかります! 気が抜けるというか、ほっとするんですね」

吉左衞門「教会のふとしたところに神様や天使が描かれていて、天使も少女の様にあどけなくて、それがすごくプリミティブなんです。少し、平等院鳳凰堂の飛天を連想させるような感じもあります」

玉三郎「そうかもしれません。でも東洋とひとくくりにと言っても、日本や中国、インドなど全部が同じということではないと思います。海を渡って日本に入ると、途端に“空(クウ)”というか、曖昧さというか、掴みどころのない感じが出てきます」

吉左衞門「仏教は、理数的思考をもつインド人によって生みだされ中国に伝わりますが、そこで道教(中国発祥で多神教の民族的宗教)の影響を受け、日本に伝わるともっと曖昧というか、大らかになっていったのだと思います。ただ、中国人の感じる美は日本よりずっときっちりしています。完璧で究極な美、たとえば青磁や白磁。でも日本には究極の普遍性という概念はありませんね」

玉三郎「故宮博物館で見られるような中国の宝飾品には、翡翠で野菜を緻密に模したり、翡翠で玉の中に玉を作るような細かい細工のものがあったりします。中国はそういうことに重きをおいているのでしょうね。日本にはあまりない考えかたですね」

吉左衞門「そうですね。根付ぐらいでしょうか」

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玉三郎「でも不思議なのは、キリストも、“無一物”を唱えた釈迦も、何も持たない思想だったのに、時が経つと寄付金を集め、寺院や教会も、宝石を使ったり付けたりと、ある意味で違うものになってしまったのですね」

吉左衞門「きっとそれらは宗教の精神性とは別物で、人間はいつの間にか違うものを作ってしまうのでしょう。それがまた社会を縛って、戦争まで起こしてしまう。とても愚かです」

玉三郎「もともとは争いをするなと説いていた人たちの思想なのに。宗教という名のもとに、自分たちの欲とすり替えられてしまうのでしょうか」

吉左衞門「人も党派というか集団になると、どこか狂ってしまう。そういう意味では、仏教は穏やかですね」

玉三郎「やっぱり“空”というところがあるからかも知れませんね」

吉左衞門「やはり宇宙につながっていく気がします」

玉三郎「今回の展覧会のタイトルにも通じてきますね。私が考えるに、仏像も偶像なのですが、仏像を通してその向こう側を見るという考え方なのではないでしょうか」

吉左衞門「仏像の光背のその又、奥ですね。お堂を包んでいる空気感や光ともいえないような明かりにも宇宙を感じます」

 

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