知られざる北斎〜beyond the border〜 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人

2017.10.12

北斎_波

いまや「モナ・リザ」と並ぶ認知度と評価を得ている「The Great Wave=神奈川沖浪裏」を

描いた葛飾北斎。その作品と世界への広まりには、幾多の謎がある。江戸末期に国内では誰も見向き

もしなかった浮世絵が、最初に評価されたのはどこだったのか?

国内での北斎の評価は、どんな変遷をたどったのか?長野県小布施には、なぜ多数の肉筆画が残って

いるのか?

その89年の生涯の謎だけでなく、国境を超えて存在する北斎の謎を解きあかすシリーズ。世界取材を

経て、知られざる北斎がいま浮かび上がる……。

《第1話》

 パリ・セーヌ河左岸にあるオルセー美術館。

1986年の開館時には第一次大戦前までの19世紀美術専門の館だったが、現在では旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の収蔵品を全て引き継ぎ、事実上の「印象派美術館」として世界からやってくる観光客の人気を集めている。

今年7月。地下鉄の駅を降り、かつては長距離列車のターミナル駅だったというこの館に向かう道すがら、私の脳裏に駆けめぐっていたのはモネでもセザンヌでもゴッホでもなく、一人の日本人の存在だった。

―――オルセー美術館にいくと、葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人画商の像があるらしいよ。

私にそう教えてくれたのは、オランダ・ロッテルダム近郊の町で再会したオランダ人の古い友人だった。彼は美術界の人間ではない。IT企業の経理マンだ。たまたま私が北斎をテーマにヨーロッパ取材をすると聞いて、ネット検索を重ねてその情報を得たという。

私はその時、ロンドン大英博物館で開かれていた「大北斎展~ビヨンド・ザ・グレート・ウェーブ」を取材し、キューレターのティム・クラーク氏にインタビュー。続いてオランダ・ライデンの国立民族学博物館とシーボルト・ハウスに飛び、やはりキューレターのダン氏に北斎についての話を聞き、ロッテルダム近くの友人宅に一泊。次いで19世紀に起こった「ジャポニスム」のメッカ、パリに着いたところだった。

―――世界では「モナ・リザ」と並ぶ認知度を誇る北斎の「神奈川沖浪裏」。あるいはそれの進化系と言われる長野県小布施にある肉筆画「男浪」「女浪」。なぜ北斎はこれほどまでに世界的な人気を得ているのか?

来春の出版を目指す今回の北斎を巡る旅は、大きく言えばそれをテーマとしている。

19世紀半ばにパリにもたらされた浮世絵は、印象派の画家たちに寵愛されてその技法やテーマは彼らの手本となった。そこから沸き起こった一般美術ファンも巻き込んだ「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブームこそ、今日の北斎人気の源流の一つだ。

その始まりはこんなエピソードで語られる。

1856年、フランスのデザイナーであり版画家でもあったフェリックス・ブラックモンは、摺師で版画版元のオーギュスト・ドラートルの家で、日本から送られてきた品物の包装紙や緩衝材として使用されていた「北斎漫画」を発見し、これをエドゥワール・マネ、エドガール・ドガ、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーら彼の周辺にいた人々に喧伝することで、日本熱が起こった。(「シノワズリーか、ジャポニスムか」東田雅博著)

その後1862年のロンドン万博、67年のパリ万博で日本美術は「嵐を引き起し」(同書)、ドイツやベルギーも含めてヨーロッパ全体に広まっていったとされる。

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だが発見時には陶器の包み紙だったとしても、浮世絵がヨーロッパ全土に広がるには一定の供給量が必要だ。いつまでもしわくちゃになった包み紙で満足するコレクターはいない。まして浮世絵は刷り物だから、初擦りと版を重ねたものとでは品質が異なる。ある程度人気が出れば、コレクターを満足させる品質の作品をどうやって輸入したのか?

そう考えれば明治開国期の前後で、ヨーロッパの美術界を満足させるだけの質と量を確保するためには、一定程度確立された輸入システムか、それをビジネスとして扱う人物がいたに違いない。

さらにいえば画家たちが浮世絵を購入するための財力にも疑問が残る。マネ、モネ、シスラーら当時の新進気鋭の画家がグループ展を開き、後に「印象派」と呼ばれる集団を形成したのは1874年のこと。当初はその豊かな光と色彩は美術界の顰蹙を買ったというし、最初から絵が高値をつけたわけではない。画家たちが浮世絵を買う財力をつけるには、20世紀の到来を待たなければならなかった。ことにゴッホは、生涯で絵が売れたのはたった1枚とされる。ところがゴッホは、浮世絵を500点も所有していた。「タンギー爺さん」という作品の中にも描きこんでいる。大英博物館では、弟のテオとのこんな会話が紹介されていた。

「波の爪先が娘を捕まえているようだと誰もが感じるだろうね」

これは「神奈川沖浪裏」を見て語られたものだ。またこうもいう。

「私の全ての作品は、日本の美術の広がりをベースにしている」、と。

《第2話へ続く》

 

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。