知られざる北斎~beyond the border~ 《第2話》葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人②

2017.10.23

北斎_波

 

 

国道1号線から横浜駅に続くだらだら坂。教えられるままにその中腹にある家を訪ねると、レンガ壁のリビングには古き懐かしきベル・エポックのパリの香りが漂っていた。

何枚もの額装された絵画や写真、重厚なフランスの写真集等。ひときわ目を引くのは、中央に飾られた貴婦人の肖像画だ。印象派勃興期のパリの社交界で人気ナンバーワンだった肖像画家ポール・エルーの作品「グレフュール伯爵夫人」。夫人は詩人ロベール・ド・モンテスキューの従妹であり、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも登場するほどの絶世の美女だったという。

「父の代で相当な美術品を処分してしまっていますから、もう我が家には祖父がフランスから持ち帰った作品の中でたいしたものは残っていないんですよ」

そう言いながら、作家・木々康子が壁の作品のいくつかを解説してくれた。

これらのコレクションこそ、ゴッホのようにまだ世に認められる前の印象派の画家たちに北斎らの浮世絵を物々交換した画商・林忠正のもの。明治11年、通訳として渡ったパリに住み着き、約30年間画商として活躍した。彼がいなければ、印象派の画家たちやガラス工芸家のエミール・ガレ、彫刻家のカミーユ・クローデルらが一斉に北斎の作風を真似るなどということはありえなかった。

今年の7月、私がパリのオルセー美術館で遭遇したのは、まさに林忠正だったのだ。

受付で「この美術館内に日本人の像が展示されていると聞きましたがどこにありますか?」と通訳のアユリ・ギーユ氏を介して聞くとあっさり「ノン」。めげずに「日本人で浮世絵と印象派を結んだ人物で―」と説明を重ねると、しばし受付に座る二人が話し合った結果、「アー、ボン」と一人が笑顔を見せた。

「その人は59号室にいるわ」

急いでエレベータに乗ってその部屋にかけつけると―――。

IMG_8367-2 IMG_8368-2

 

あった。像ではなく、茶色いブロンズのひと目で日本人とわかるマスクが、確かにガラスケースの中に佇んでいる。左には作家のバルザック、右には「昆虫記」で知られる博物学者アンリ・ファーブル、奥にはロダンといった世界的な巨人たちに混じって。立派な髭を蓄えた男の名は「Hayashi Tadamasa」。

「しかもこのマスクには由来があるようですよ」と、アユリ・ギーユ氏がいう。

「Acquis grâce à la Société des Amis du musée d’Orsay,1990とあります。この美術館の友好協会がアルベール・バルトロメという作家から購入してこの美術館に寄贈しています。つまりそれだけ印象派に貢献した人という証ではないでしょうか?」

林忠正。そんな画商の存在も、その働きも私には初耳だった。驚きの余り即座に何人かにメールを打ったが、パリ在住3年になる官僚夫妻も、ディオールの広報に務める友人も、フランス文学を学ぶ留学生もその名には記憶がないという。

いったい林は何者なのか? どんな働きをして美術界にどんな貢献をしたのか? さらに日本においてその存在が一般には全く知られていないのはなぜなのか?

北斎の存在を世界に知らしめたといってもいい人物の登場とその大きな謎の前に、私はしばしその場から動けなくなった。

とはいえパリ市内では資料調べもままならない。ネットで検索し関連書物を漏れなく発注し、帰国後それらを貪るように読み漁った結果――、そこには、驚くべき働きと美術界への貢献、そして1905年(明治38年)の帰国後の寂しい晩年が記されていた。ますます謎は深まるばかり。私は北斎をめぐる美術界の樹海に飛び込む思いで、取材を進めていった。(続く)

 

 

《第3話へ続く》

「知られざる北斎~beyond the border~ 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。