知られざる北斎~beyond the border~《第3話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム①

2017.10.31

北斎

右から2番目が林忠正

 パリで約30年間生活し、北斎らの浮世絵とモネ、マネ、ゴッホら印象派の画家たちを結んだ立役者の一人、画商の林忠正。その経歴を調べてみると、明治の開国期を生きた若者の熱き生きざまが読み取れる。

 1853年、鎖国政策が解かれる1年前、忠正は現在の富山県高岡市の外科医の次男として生れた。当時の高岡は加賀100万石の前田藩の商工の町。自由な活気、豊かな経済、文化水準も高かった。

 その祖先は当時最先端だったオランダ医学を長崎で習得し、「長崎先生」と呼ばれて多くの患者が詰めかけていた。いつからか「長崎姓」を名乗ることになる。(元姓は萩原)

 17歳になった忠正は、時の富山藩大参事(藩内最高の行政官)で母方の伯父・林太仲に請われて養子に入る。太仲の弟はやはりフランスに留学し、のち日本の民法を制定するボワソナードの弟子となった磯部四郎だ。この環境と家風の中で育った忠正も、長崎でフランス語を学んだ義父の教えを受けて、1870年に上京しフランス語を学び始める。翌年のちに東京大学となる大学南校に藩の貢進生として進学。世の趨勢は英語とドイツ語に傾く中、林家の方針通りフランス語を学び続けた。

 チャンスがやってきたのは、1878年に開催されるパリ万博の準備が始まったことだった。

73年に開かれたウイーン万博で大きな成功を収めた日本政府は、農商務省の肝入りで伝統工芸品の企画製作と輸出を手がける日本初の貿易会社、「起立工商会社」を設立。忠正は知り合いの官僚のつてで起立工商会へ入社を志願し、無事採用されて78年2月に日本を発つこととなった。だが退学届けを出した校長の浜尾進からは、「あと半年学生でいれば(この年から改名)東京大学の第一期生として卒業できる」と強く諫められている。

忠正は、卒業資格よりも夢を選んだ。この頃の忠正を、小説『たゆたえども沈まず』で描いた原田マハはこう記している。

「忠正は語学が得意の秀才、というだけではなかった。やると決めたことは絶対にやりぬく気概と、物事を俯瞰する冷静さ、「動」と「静」を併せ持った人物であった。(中略)―――語学は使ってこそ意味がある。おれは生きたフランス語を使いたい。フランスに、パリに行って、回りが全部フランス人という中で、おれの言葉が通じるか、試してみたい」

 この時代、産業と文化の世界一の都パリ。市民革命があり、ナポレオンが登場したパリ。すでに67年には万博を成功させ、70年の普仏戦争の敗北を乗り越えて文化の威信を世界に問おうと計画された78年パリ万博。その圧倒的な魅力の前に、忠正は大学から受けていた学費200余円の返納を迫られながら、これを旧藩主から借りてまでこの地を目指した。

 この時起立工商会社にはアメリカとフランスの販売部を含めて29人の事務方と、「蒔絵師」「塗師」「鋳物」「下金」「貝細工」「焼物」「指物」「大工」「小間物」「画家」など、28人の職人が集められた。

女浪
葛飾北斎:上町祭屋台天井絵「女浪」

 忠正は「仏国売店詰」6人の中の一人。大学時代は科学を専攻していたから、美術には全く門外漢だった。売り言葉は「自分ならば完璧な通訳をいたします」。長く熱心に学んできたフランス語の語学力だけが若き忠正の自信であり、頼みの綱だったのだ。

 採用とはなったものの、忠正の待遇は万博会期中のみの臨時雇い。修了後は身分も仕事も全く保障されていない。それでも青年の魂を突き動かした行動の先に、神は一陣の熱き風を吹かせていた。

 この頃パリの街は、パリジャンたちは、この時にしかない熱気に包まれていた。時代が少し早くても遅くても、忠正の人生は大きく変わっていたはずだ。

 ジャポニズム―――。67年、前回のパリ万博の時に紹介され、それ以降新興ブルジョワ層を中心にコレクションの対象になった日本の美術品。陶磁器、掛け物、根付等、日本の繊細な職人技がフランス人を虜にしていた。

 そんなこととは露知らず、その大渦の中に一人の若者が投げ込まれた。野心と度胸と語学力、そして何よりも日本人であったこと。

 忠正は、パリを初めとして西欧諸国の大都市で吹き荒れるジャポニズムにあって、唯一独自の存在となっていく。

《第4話へ続く》

 

「知られざる北斎~beyond the border~ 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
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〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。