知られざる北斎~beyond the border~《第4話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム②

2017.11.14

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林忠正が1900年パリ万博の時に表した日本美術史。フランス語で出版された

「ジャポニズムがパリで起きたのは1872年ころだと思います。フィリップ・ピュルティという美術評論家がこの言葉を広めました」

 現在国立西洋美術館で開催中の『北斎とジャポニズム』のシンポジウムのために来日したパリ・オルセー美術館担当名誉学芸員、ジュヌビエーヴ・ラカンブルが言う。

 齢70歳を越えたと思われる高齢にもかかわらず、彼女は一人で上野のホテルのロビーに現れた。穏やかな印象だが、一度ジャポニズムについて語りだすと次々と年号を連発し、その知識を余すことなく披瀝する。

 彼女によれば、西洋が日本の美術に最初に目をつけ始めたのは1820年代という。つまり鎖国中から、西洋人は得意の蒐集癖を東洋の島国に向けていたのだ。

「長崎の出島のオランダ商館の人たちは文化資料としてのあらゆる品々を持ち帰りました」

その中の著名な一人に医師のシーボルトがいる。オランダ・ライデンにある「シーボルト・ハウス」を訪ねると、ありとあらゆるコレクション~動物の剥製、植物の標本、陶磁器、生活道具、絵画、着物、人体を示す木製の人形までが陳列されている。

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シーボルト・ハウス

あまりに子細に日本を観察したために、1823年に来日したシーボルトは29年には国外追放になった。帰国後32年に著した『日本』には、『北斎漫画』の5、6、7編からとった約40点の挿絵が掲載されている。

オランダ人は北斎に会っていたのか? シーボルトは北斎に会ったのか? 出島に来たオランダの商館長は4年ごとに江戸の将軍に参拝する義務と権利があり、中には当時高齢の北斎を知っている者もいた。出島のご用絵師、川原慶賀が紹介したという。22年に当時62歳の北斎に発注された絵画は、26年に商館長の手に渡り、その年のうちに25点がオランダにもたらされている。シーボルト・コレクションの中にも北斎があることから、彼もまた北斎に会っていたと考えられている。

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シーボルト・ハウスに展示されるコレクション

連載第一回で記したように、浮世絵がパリの芸術家の目に触れたのは56年のこと。陶磁器の包み紙に使われていた北斎漫画を発見した版画家ブラックモンが嚆矢だが、そのはるか以前に、出島~オランダ経由で日本美術や北斎の作品はヨーロッパに渡っていたのだ。

やがて1854年に鎖国が解かれ、それから10年ほどすると、一人の日本人の名前が西洋の書物にたびたび現れるようになる(「ジャポニズムにおける北斎現象」馬渕明子)

「Ou-Kou-Say、ウクサイ」「Oksai、オクサイ」「Hoffksai、ホッフクサイ」「Hoxai、ホックサイ」等。主に紀行書に掲載された北斎の絵には、画家の名前がない場合は「江戸の芸術家」「日本の素描」等と記されていた。

初めて北斎を評価した評論家は、ラカンブルが名をあげた美術評論家フィリップ・ピュルティだった。66年発行の「産業芸術の傑作」の中で、こう述べている。

「著名な北斎の28冊のシリーズ本は(中略)優美さにおいてはヴァトーから、力強さにおいてはドーミエ、幻想においてはゴヤ、動きにおいてはウジェーヌ・ドラクロワに至るまでと比べ得る」

ロココ美術を作り上げたヴァトーやロマン主義のドラクロワをあげて絶賛だ。

これ以降、他の美術品に混じって浮世絵も決して少なくない数が海を渡っているが、その中で北斎の評価が決定的になったのは82年のことだった。

美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール」(82年)の中で、日本美術をコレクションした研究者テオドール・デュレはこう語っている。

「彼は日本が生んだ最も偉大な芸術家である。(中略)北斎の素描はのびのびし、神経が行き届き、堅牢で正確だが滑らかでもある」

さらに翌年、日本美術愛好家ルイ・ゴンスはこう書く。

「彼は日本人の中で最も偉大な画家の一人である。(中略)わがフランスの最も著名な芸術家とも比肩しうるだろう。(中略)彼は日本のレンブラントであり、カロであり、ゴヤであり、またドーミエでもあるのだ」

このように「北斎インフレ」ともいえるような評価の高まりの中、忠正はパリにやってきた。78年の万博では、日本パビリオンは注目の的。多くの観客がやってきて大賑わいだった。だが本当のジャポニズムはここからが本番だ。忠正は、ある決断をすることでその中央に躍り出ていく。

《第5話へ続く》

 

「知られざる北斎~beyond the border~ 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
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〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。