知られざる北斎〜beyond the border〜《第6話》 芸術によって西洋と東洋を結ぶ

2017.12.12

上町祭屋台天井絵「男浪」
葛飾北斎:上町祭屋台天井絵「男浪」

 今年11月の初め、マロニエが色づき始めたパリの街をあちこち訪ね歩いた。目的の一つは、いまから約140年前、1880年代にこの街で「青春の夢」に生きた男・林忠正の足跡を辿ることだった。
 林こそ、ジャポニズムに沸く70年代後半のパリにやってきて、その前後から浮世絵に熱中するジャポニサン(日本文化愛好者)や印象派の画家たち(モネ、マネ、ドガ等)に良質な浮世絵を売り、時には貧しい画家には作品と物々交換していた美術商だった。日本美術の細部を西洋美術が自ら取り入れたムーブメント「ジャポニズム」の影の演出家であり、その最大のコンテンツである北斎を、「世界の北斎」に導いた一人といっていい。

 パリに来た当初、20代半ばの忠正の夢は、「憧れの都パリで一旗あげる」というものだった。大学南校(後の東京大学)でフランス語を学んだ忠正は、維新後の動乱と藩閥政治によって、故郷富山県高岡市に戻ることも政府内での出世もままならなくなった。そこで1878年のパリ万博を機に、日本で初めて輸出商社として設立された起立工商会社に活路を見出し、24歳の忠正は同社への入社を懇願。パリで身を立てんと勇躍この街にやってきた。
だがその身分は万博期間のみの臨時雇いに過ぎなかった。閉幕後忠正は同社に契約の延長を願い出たが却下され、それでも帰国せずに日本からやってくる官吏たちの通訳を務めながら糊口をしのいだ。この時日本に戻る官吏たちはみな忠正に帰国を勧めた。ところががんとして忠正は聞き入れない。この時代の体験を綴った日記に、こう記す。
「自力をもって働き以て営せんとす。身賤しきなるも業微なるも、予や即ち独立の民たるを望まん」(林忠正『欧州雑記』)。
やがてその語学力や異国での交渉力などを見込まれ、起立工商会社の副社長、若井兼三郎から復職を求められる。プライドの高い忠正の心をくすぐる若井の誠意ある言葉に、忠正は82年に販売担当として入社。さらにここでの活躍を見た三井物産のパリ支店からヘッドハンティングされ移籍。数カ月のうちに78年万博以来溜まっていた在庫を一掃した。やがて契約期間が終わると83年1月、ついに「独立の民たる」夢を抱いて自らの美術店を開業するに至った。

この時忠正の夢に具体的なイメージが付与された。骨格だけを描いた骨太のデッサンに、初めて色彩が落とされた瞬間だ。
「芸術によって西洋と東洋を結ぶ」。
いや正確に言えば、芸術という概念も希薄、それを国家戦略とする意思などかけらもない東洋の島国に対して、西洋の芸術美術の本質と素晴しさ、その戦略性を啓蒙することにあった。

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 だがそのスタートとなったシテ・ドォートビル通りを訪ねてみると―――。
そこはノルド駅から少し南に下ったパリ10区のアラブ人街にある。近くにはケバブ屋や深夜まで営業する雑貨屋等が目立つ。パリには珍しく袋小路で薄暗い。現在のノルド駅自体、「観光客然として近づくのはやめたほうがいい」と言われる区域にある。当時にあってもこの一帯は、安下宿の並ぶ地域だった。
 忠正はこの一角にあるアパルトマンの小さな1室を借りて、自己資金だけで美術商としてのスタートを切った。

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 当初はその日の朝に輸入商から仕入れた商品を午後に顧客に販売する程度。だが次第に頭角を現し、また万博や起立工商会社や三井物産時代の顧客からの問い合わせもあってビジネスの規模を広げていく。
 翌年には起立工商会社時代の上司で、同社を退社した若井兼三郎から共同事業を申し込まれた。「ワカイ・ハヤシ・カンパニー」。若井は日本で商品を仕入れ、忠正がパリで売るというビジネスモデルを確立する。
前回述べた良質な浮世絵に「林忠正」、「わか井をやぢ」の赤い印が押されることになったのは、この頃からのこと。モネもまたこの店から浮世絵を買ったことになる。

 すでにこのころ北斎は、ジャポニズムの中央に位置していた。第4回で述べたように、フィリップ・ピュルティは66年に「著名な北斎は優美さにおいてはヴァトー、動きにおいてはドラクロアに至る」と記し(「産業芸術の傑作」)、美術雑誌「ガセット・デ・ボザール」は82年、「北斎は日本が生んだ最も偉大な芸術家。デッサンがのびのびしている」と表記。ジャポニサンたちの憧れになっていた。
だが西洋人にとって、日本は遠い極東の島だ。言葉もわからなければ歴史知識など皆無だ。もし西洋人のコレクショニズムがそのまま突き進めば、おそらく日本美術は骨の髄までしゃぶり尽くされ、古代エジプトやローマの遺跡のように、西洋人の思うがままに蹂躙されてしまったはずだ。
だがそこに忠正がいた。忠正はフランス人も驚くほど流暢で正しいフランス語を操った。万博を契機に芸術を理解し、それを戦略的にあやつる為政者たちの姿も間近に見た。
その存在がどんなに日本美術にとって幸いであったことか―――。

 

参考文献:「北斎漫画入門」(文春新書、浦上満)

《第7話へ続く》

「知られざる北斎~beyond the border~《第1話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第2話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第3話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム① 」はこちらから>>

「知られざる北斎~beyond the border~《第4話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第5話》熱狂する海外、見向きもしない日本」はこちらから>>

 

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。

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