「KAMPAI!純米吟醸」<前編>:「気になる日本酒」 vol.34 あおい有紀

2016.07.26

世界を駆け巡り、心揺さぶる魂の酒で挑戦し続ける酒蔵

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岩手県を代表する銘柄の一つ、南部美人。もともとは醤油の醸造元でしたが、1902年(明治35年)、岩手県の最北端に位置する二戸市にて創業。大自然に囲まれ恵まれた環境で、県立自然公園 折爪馬仙峡からの中硬水の伏流水を、5mの井戸から汲み上げて仕込み水として使っています。

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現在は、2013年に代表取締役に就任した五代蔵元の久慈浩介氏(44)が中心となり、溢れんばかりの情熱と信念で、南部美人を盛り立てています。東京農業大学卒業後、都内の酒問屋で研修をし、同年12月より蔵に戻り蔵人として酒造りに加わることに。当時2300石ほど生産していましたが、うち6割は普通酒、しかも大量の醸造アルコールや糖類を使った三倍醸造酒だったことを知り、久慈社長は愕然とします。

胸を張れるいい酒を造りたい、との想いから、例えば雑菌の繁殖を防ぐため酒造りに使う道具を毎日洗おう、麹造りを変えよう、など他の蔵人に提案する日々。長年南部美人で働く年上の蔵人達は、「分かりました」とその場限りの返事をするも、翌日になれば元通りで同じことの繰り返し…。

「酒蔵の息子が帰ってきたということで、皆ウエルカムかと思っていたら、改革をしようとしても聞く耳を持ってくれず、舐められていたのでしょうか。非常に辛い日々でしたね…」と久慈社長。

その時、唯一味方でいてくれたのは、久慈社長が生まれる前から南部美人で酒造りをしていた「現代の名工」のひとりでもある、山口一杜氏でした。山口杜氏からみれば、久慈社長は孫のような存在。理念や思いは共有できており、心の支えとなっていましたが、父親でもある現久慈浩会長とは、何度も激しくぶつかりあったと。それでも久慈社長は信念を曲げず、少しずつ説得しながら、当時日本酒業界で当たり前だった三増酒をやめ、炭素濾過をやめ…と、酒質の改善を行い、久慈社長が30歳になるくらいまでに、大きく改革を進めていきます。今の松森淳次杜氏や若い蔵人をスカウトすることで、5年ほどで酒造りの現場が一気に若返り、弟の久慈雄三氏も責任者の一人として造りに従事、今の製造部の体制を作ってきました。現在は2800石ほど生産し、うち特定名称酒が8割となっています。

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