伊藤博文が認めた! 日本初の政府公認ふぐ屋「春帆楼」の絶品のふぐ

2016.07.31

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「こりゃあ美味い」と伊藤博文が絶賛!政府公認第一号店が誕生

日本を代表するおいしい魚「ふぐ」。しかしご存じの通り、天然の「ふぐ」には毒があります。種類や部位によって毒の量は違いますが、今でも毎年多くの人がふぐの毒で中毒になっています。毒にあたるかもしれない。それでも食べたい! とまで思わせるほどの美味さから“あたると危険”という洒落をこめてふぐは「てっぽう」とも呼ばれてきました。

「危ない食材」ということで、豊臣秀吉は「河豚(ふぐ)食用禁止の令」を出し、江戸時代もずっとふぐ食は禁止されていましたが、それでも一般庶民の間では隠れてふぐを食べる人が多かったそうです。特に町人文化の栄えた元禄時代、化政時代には庶民はもちろん、武士の間でもふぐが食され、その記録が浮世絵や落語などに残っています。

このふぐ食の取り締まりを解いたのが、明治時代に初代総理大臣となった伊藤博文でした。1887年(明治20年)の暮れ、彼は故郷、下関にある春帆楼に滞在していました。この日はあいにくの大時化(おおしけ)で水揚げが思わしくなく、「うまい魚が食べたい」という伊藤の要望に、当時の女将・藤野みちさんは打ち首覚悟で「ふぐ」を出したのです。ところが伊藤は「こりゃあ美味い」とふぐを賞賛し、1888年(明治21年)に山口県令・原保太郎(当時)に命じて、ふぐ食禁止を解除させたのです。これによって「春帆楼」は日本の「ふぐ料理公許第一号」となりました。

現在では春帆楼の本社は東京都にありますが、春帆楼の本店はあくまでも「下関春帆楼本店」。時代の変遷とともにコンクリート造りの建物に改装はされましたが、往時の面影をとどめながら、今も下関の地に建っています。

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卓越した技術が支える絶品の味

春帆楼のふぐ料理は、「ふぐ料理公許第一号」から数えても120余年の歴史を持っています。その間、受け継がれてきた卓越した技によるふぐ料理には、「刺し身」「鍋料理」「炭火焼」「唐揚」「白子焼」「ひれ酒」など、部位によって、調理方法によってさまざまな種類があります。

一般にふぐ料理と聞いてすぐ思い浮かぶのは、「薄造り」の刺し身ではないでしょうか。ふぐを刺し身にする場合、いわゆる「ふぐ刺し」では皿の絵が透けて見えるほど身を薄く引くのが良いとされます。しかしただ薄く切るのではなく、ふぐ独特の食感とうま味を味わえるように引くのが料理人の技のみせどころです。

大皿に花が咲いたように薄造りを盛る「牡丹盛」、祝いの席などに喜ばれる「鶴盛」といった「盛り」も重要です。美しい盛りには熟練の技が必要なことは言うまでもありません。

また春帆楼では、ふぐを食べるときに登場する「ポン酢」「ネギ」にもこだわっています。極細のネギを薄造りの身で巻いて食べる、という今では広く知られて食べ方は、実は下関発祥のものなのです。

春帆楼の「ポン酢」は、福岡県糸島の契約農園で栽培する早摘みの橙を搾り、無添加の本醸造醤油、北海道産羅臼昆布、鹿児島枕崎産の鰹節を調合したもの。まろやかな風味が特徴です。ネギは地元・下関の「安岡葱」。この安岡葱は、極細で柔らかく、芳醇でくせのないのが特徴で、ふぐとの相性は最高です。

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