「杜氏潤平」:「気になる日本酒」番外焼酎編 vol.36 あおい有紀

2016.08.09

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日本酒造りの経験を活かし、手づくりを追究する酒蔵

今、日本酒業界は蔵元の世代交代もあり、個性を追究しながら目指す味わいに近づくべく、年々進化していますが、焼酎の世界も同じように20~40代の蔵元達が、原料や造りにこだわり、味わいの個性の幅も多様に広がってきています。先日、宮崎県の焼酎蔵をいくつか巡ってきましたので、ご紹介しましょう。

現在宮崎には37の焼酎蔵があり、芋、麦、米、蕎麦など、バリエーションに富んだ原料を使用した焼酎があります。今回注目したのは、宮崎県日南市にある、小玉醸造。飫肥藩の城下町としての名残がある街並みの一角に蔵はあります。緑豊かでのどかな光景、傍には酒谷川が流れ、焼酎造りに適したシラス台地のアルカリ系の浸透水を仕込み水として使用しています。

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©福田栄美子

現在、杜氏として造りの現場を指揮するのは、金丸潤平専務(41歳)。4人の蔵人と共に、800石ほどの芋焼酎・麦焼酎を生産しています。もともと実家は宮崎市で、明治時代から「金丸本店」として、清酒、焼酎、味噌を造っていました。本来であれば金丸杜氏は6代目となる予定でしたが、経営が難しくなり1985年に県内のメーカー2社と共同で「ひむか酒造」を綾町に設立。最終的に、大手の雲海酒造と合併することになりますが、2000年、180年余り続いた小玉醸造が廃業になる、という話を聞き、これ以上宮崎の酒蔵を減らしてはならないという想いから、父の金丸一夫社長とともに、日南市に家族で引っ越し、小玉醸造の跡を引き継いで再スタートを切ることになりました。

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©福田栄美子

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©福田栄美子

金丸潤平氏は、幼少時から蔵が遊び場だったり、蒸し芋がおやつだったりという環境で育ったこともあり、将来何がしたいかと考えたときに、漠然と酒造りがしたいという想いから、東京農業大学醸造学科に進学。卒業前に、たまたま飲んだ日本酒、神亀がとても美味しく、ぜひこの蔵で働きたい、という想いに。ちょうど金丸社長が神亀酒造の小川原社長と東京農大の同級生だったことから話が繋がり、日本酒の蔵人として働くことになりました。原昭二杜氏(故人)のもと、現場は厳しくも酒造りへの向き合い方など、とても勉強になったといいます。2年後、宮崎に帰りますが、学生時代も日本酒造りの実習はあったものの焼酎の現場は全く知る機会がなかった金丸潤平氏。宮崎県内の焼酎蔵2蔵で修行をした後、小玉醸造に戻りました。

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