山科家は平安時代末期より、公家の家職として宮中装束の誂えと着装法を担う「衣紋道(えもんどう)山科流」を、京都の地で受け継いできました。初代より30代を数える若宗家、山科言親(ときちか)さんが、宮中や公家社会で行われてきた折節の行事や、連綿と伝えられたてきた文化などを、山科家に残る装束や古文書などともに、繙いていきます。
和歌、蹴鞠,雅楽などの文化的な役割を、「家職」として家単位で継承。それが公家
私の生まれた山科家は宮中にお仕えする公家の一つとして平安時代後期より歴史を重ねてきました。公家は各時代の天皇に近侍し、移り行く武家政権とも渡り合いながら、京都という地で歴史を定点観測し続けてきたとも言えます。
明治以後、当家を含む一部の公家は東京へは移らず京都御所のお留守を預かることを選択しました。公家は多面的な存在ではありますが、まず一つ重要なことは家職と呼ばれる文化的な役割を家単位で継承して専門的に担ったことではないかと思います。
当家は装束の着装と調進(衣紋)が家職であり、私で30代目を数えます。他の各公家は、それぞれ和歌や蹴鞠、雅楽などの家元として修練を重ねて朝廷に奉仕する一方で、門弟を取ったりもしていました。この点、他国の貴族の在り方とはかなり異なる要素です。


トップ画像で紹介した小袿のアップ。三重襷文の地に山科家の裏紋である下り藤の文様が紅白で織りなされています。また、表地の色が萌黄、裏地が紫、その間に香色(こういろ)が入り、「松重ね」という銘の重ね色目が表現されています。表現された文様と色から婚礼のおめでたい趣向を感じ取ることができます。


大正9年(1920)に創建された、山科邸の門構え。おそらく、竣工写真として撮影されたものでしょう。この古写真の門は往時の様子のまま現存します。当時、門前の道は地道で、遠くには東山の山並みが写っています。
昨今、世界中で環境問題などが叫ばれるようになった中で、後世からみて私たち現代人が良い先祖になりうるのかという、長期的な視座で物事を運用する考えが提唱されています。世界的に見て大変長い命脈をつないできた公家。連綿と続く歴史のなかで文化や家をどのように維持継承してきたのかという点で、その存在は何か示唆を与えてくれるのではないか、と私自身考え始めています。
これから毎月、宮中で行われてきた折々の行事や出来事、公家文化にまつわることなど雑感を交えて様々に書かせて頂きます。また、当家に守り伝えられてきた装束や古文書などを写真と共にご紹介いたします。


大正10(1921)年1月12日に行われた27代山科家言(いえとき)と悦子の結婚式の様子。トップ画像で紹介したのは、悦子が着用している小袿です。


山科言親(やましなときちか)/衣紋道山科流若宗家。1995年京都市生まれ、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。代々宮中の衣装である“装束”の調進・着装を伝承している山科家(旧公家)の 30 代後嗣。 三勅祭「春日祭」「賀茂祭」「石清水祭」や『令和の御大礼』にて衣紋を務める。各種メディアへの出演や、企業や行政・文化団体への講演、展覧会企画や歴史番組の風俗考証等も行う。山科有職研究所代表理事、同志社大学宮廷文化研究センター研究員などを務め、御所文化の伝承普及活動に広く携わる。
山科家歴代当主が、500年以上にわたって書き続けてきた日記
さて、当家の歴史を語る上でまず触れる必要があるのは歴代当主が書き残した日記です。室町時代から明治時代初期までの代々の日記が約500年余り現存しています。また、江戸時代初期の日記までは活字化と刊行がなされていますので、有難いことに比較的手軽に先祖の足跡を辿ることができるのです。


山科家歴代の日記が刊行されたもの。現在は宮内庁書陵部や東京大学史料編纂所などに原本は所蔵されており、大切に保管研究されています。既刊本は図書館等でも読めますので、各分野の歴史研究で広く活用されています。
公家が日記を書くことは特別なことではなく日課のようなものであったのですが、当家のように歴代の自筆本が数多く伝承されているのは珍しいことのようです。その記録類は子孫が後世に参照すべきものとして、家宝とされました。戦乱の世では公家の家に損害を与えるために記録を意図的に燃やすという事件さえあったようで、公家にとって記録のもつ正統性がいかに重要であったのかが分かります。
1000年前の貴族の日記が現存するのは、世界でも驚異的なこと
ところで、昨年話題になった大河ドラマ「光る君へ」では、今から約千年前の紫式部や藤原道長が主人公となり、従来にはない平安王朝の実情が本題として描かれた作品として注目を集めました。よく考えてみると、紫式部や藤原道長が記した『紫式部日記』、『御堂関白記』が現代でも読むことができるのは、世界を見渡しても驚異的なことです。
たとえ有名な歴史上の人物が取り上げられていても、主人公やその周辺の人物が書いた日記類が数多く残っているというのは非常に稀なことといえるでしょう。記録から滲み出る人柄や史実をもとに組み立てることができうるという意味では、平安時代というかなり離れた時代であっても他の時代ではむしろできない解像度があったのかもしれません。
戦国時代の山科家13代目当主が日記に書き残した、春の日の出来事
この連載では、適宜先祖の日記にも向き合い、往時の様子を垣間見てみようと思います。
日記は宮中の事に留まらず、日常の他愛ないことも含めて書かれています。この記事をお読み頂く時期は旧暦の2月(新暦の3月)にあたりますので、今回は当家の戦国時代の当主13代言継(1507―1579)の日記『言継卿記』(重要文化財)から、2月に書かれた記事の一節を以下にご紹介しましょう。
永禄12年(1569)2月2日条
「自禁裏鯨三切、拝領、忝者也、但於路次一切鵄取之云々」
御所より鯨の肉を三切れ頂いた。かたじけないことであるが、帰り道にトンビに一切れとられてしまった、
と書かれています。鯨というだけでも当時貴重であったことは間違いないですが、なんとそれをトンビにさらわれてしまうという結末まで赤裸々に記録。今でも鴨川で食事をする人を襲うトンビをつい思い浮かべてしまい、これも世の常かと思わせます。遥か昔の人物の記録でもかなり身近に感じていただけるのではないでしょうか。
この同日には、剣術の柳生新陰流の流祖とされる上泉信綱(日記では大胡武蔵守と記す)と東山吉田へ出かけたことや、室町幕府最後の将軍足利義昭の二条城普請の準備で各地から石が運ばれて積まれているとの記述があります。


山科家系図・知行地一覧 鎌倉時代に山科家の系図と所領がまとめられた古文書です。山科家の名字の由来となった山科の荘園も記載されています。
このように一日を追うと様々な人物との交流や、洛中の出来事について何気なく時空を超えて教えてもらえます。日本史の中で公家が表舞台に立つことが少ない時代ですが、このような記録を地道に残したことで、歴史を叙述する上での根本史料となっているのです。
所作や室礼は、自然との結びつきに託された古(いにしえ)人々の思い
話は少し変わりますが、私は縁あって2018年から宮廷文化講座を企画してきました。
思い返すと初めての講座は七夕についての内容で、旧暦の7月7日(当時は新暦の8月20日頃)に開催しました。
現代の日本社会において、行事自体は広く知られているものの、なぜこの日に願い事をするのか、なぜ天の川が見えない梅雨の時期に行なっているのか、などの疑問を持つ人は多いと思います。
七夕を旧暦(太陽太陰暦)で行うことにより、月の満ち欠けが行事と深く関わっていること知ることができます。私自身も、講演後に夜空を見上げ、7日目の半月(上弦の月)が、天の川で隔てられた織姫と彦星を渡す船に見立てられていたことを、その時にまざまざと実感することができました。
この雄大な自然との結びつきや、そこに託した人々の思いが、ひとつの所作や室礼となって結実していることがおぼろげにも理解できた時、これまで表面的に分かったつもりでいたこと、形骸化して伝えられていることに息吹が吹き込まれました。
宮中から武家や民間へ伝承された行事や風習の数々がもの語る日本文化の核
これはほんの一例ですが、もともと宮中から武家や民間へ伝承された行事や風習は数多く残ります。京都において天皇や公家が長い年月をかけて育み、伝承してきた事象に目を向けてみることが、日本文化の核を再考し、その起源や本質を辿ることに繋がっていくように思うのです。
とはいえ、現在の京都御所では江戸時代まで行われていた年中行事は行われておらず、宮中由来の文化が発信され、その本物に触れることができる機会は決して多くありません。
現代に生きる末裔としては、何より先祖が伝承してきた文化のどれほどを受け止めることができているのであろうかと、自覚的に問い直さざるを得ないのです。
そうした自覚を持つ一方、当家に守り伝えられてきた装束や古文書などを紹介することで、先祖が伝承してきた文化を少しでも受け止め、次代に伝えていくことにつながるのではないかと思う次第です。
来月以降も、どうぞよろしくお願い致します。


作者は復古大和絵の祖といわれる田中訥言。お風呂の中に入るお福を赤鬼と青鬼が外でお世話をする描写で、節分の「鬼は外、福は内」を表しています。ユーモアのある絵で個人的にお気に入りの掛軸です。©Yamashina
Photos by Azusa Todoroki(Bowpluskyoto)
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