エリア特集~銀座編~ はじまりは煉瓦街から 銀座150年の歴史

2017.10.11
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日本で一番、有名な街「銀座」。これに異を唱える方は、ほとんどいらっしゃらないでしょう。この街に多くの人が惹きつけられ、現在は日本人のみならず外国人観光客の姿も数多く見られることは、ご存知の通りです。

ではなぜ、銀座はこれほどのエネルギーを持ち得たのか。商業地としての華やかさに加え、文化や歴史の集積地となった理由を、25年近く銀座に深く関わられている、銀座通連合会ならびに全銀座会の事務局長・竹沢えり子さんにうかがいました。

 

銀座は明治以来ずっと、新しいモノが何でも詰まった、テーマパーク。

「江戸時代は職人の町だった銀座が、現在に繋がる“銀座”となったのは、明治5年の銀座大火復興のため、この地に煉瓦街ができたことがきっかけでした」。

老舗や高級ブランド店が立ち並ぶ現在の印象とはほど遠く、商業の中心だった日本橋に対して場末ともいえるような荒っぽい町だった銀座に対し、当時の東京府は大火を機に莫大な予算を投じて大規模な区画整理を実施。わずか数年後の明治10年には、銀座全街区に、ジョージアン様式に統一した2階建て西欧風煉瓦屋敷群を完成させたのです。

「突然、従来の日本人が見たことがない西洋風の街並みが出現した。まるでテーマパークみたいなものですよね。ここに、『新しい街でひと旗挙げてやろう』という商人たち、今の言葉で言えばベンチャー企業や起業家たちが集まってきました。西洋からのものを中心とした、新しいモノ、コトを売る人々ですね。新しいモノが好きな人は、ユニーク。いい意味で変わり者が多かったと言われています」。

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*資料提供:ギンザのサヱグサ文化事業室

資生堂が日本初の洋風調剤薬局として銀座に開業したのは、まさにこの明治5年。新橋駅近くから銀座煉瓦街に木村屋總本店が進出したのは、明治7年のことです。

銀座には「日本初」がたくさんあります。木村屋總本店のあんパン、資生堂のソーダ水、ハツコエンドウの美顔術。銀座千疋屋は日本初のフルーツパーラーですし、日本で初めてカフェといわれる「カフェー・プランタン」は現在の銀座8丁目で明治44年に開業しました。何より、銀座煉瓦街自体が、日本初の近代都市計画だったのです。

 「銀座に西洋からの新しい事物が集まったのは、地理的要因も大きかったですね。新橋駅から近く、駅前商店街的な位置づけになりましたから、船で横浜に着いた外国人が列車に乗って、そのまま銀座に来たんです。築地には幕末に開かれた外国人居留地があって、外国の役人や商人が大勢いました。ですから当時から銀座は、外国人が闊歩する街だったのです」。

 新しく珍しい建物やモノが集まれば、またそこへやってくる人が増えるもの。次に銀座へ集まってきたのは、文化人やジャーナリストたちといった、情報発信者でした。東京最初の日刊紙・東京日日新聞は、創刊2年後の明治7年に銀座へ進出。明治10年代には銀座4丁目交差点の角すべてが、朝野新聞社や曙新聞などの新聞社で占められていた時もありました。

明治末にカフェーが誕生すると作家や画家などが集まり、サロン化。彼らと密に関わる出版社も銀座に増えていきます。

「これらが良いループになって、銀座は新しい情報発信基地になったんですね」。

《第2話へ続く》

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お話をうかがった人:竹沢えり子さん(銀座通連合会・全銀座会 事務局長・銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会 事務局長)
出版社勤務、企画会社経営を経て、1992年頃より銀座まちづくりに関わる。2011年東京工業大学社会理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。著書『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』(平凡社新書、2013)、共著『銀座 街の物語』(河出書房新社、2006)、『地域と大学の共創まちづくり』(学芸出版社、2008)ほか。

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