ジャズピアニスト・大江千里が語る「限りある人生」をなりふり構わず生きるということ<<前編>>

2017.10.06
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©️Tracy Ketcher

大江千里。その名前を聞けば『格好悪いふられ方』『ありがとう』などのヒット曲を即座に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。1980年代から1990年代にかけ、その切なくも優しい歌声とピアノのハーモニーが聞く者に強い印象を残し、日本の音楽シーンをリードしたアーティストの一人。そんな大江千里が今、アメリカ・ニューヨークに渡り、ジャズピアニストとして大きな成功をおさめていることをご存知でしょうか? 日本の音楽シーンで築き上げたもの全てを捨て、単身アメリカに渡った大江千里さん。彼を渡米へと突き動かした原動力は? アメリカに拠点を置くからこそ見える日本・日本人の良いところ、悪いところとは? 大江千里さんが飾らない自らの言葉で多くを語ってくれました。

 

–日本で既にミュージシャンとして成功されていた大江さんが、渡米してジャズを一から学ぼうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?  新しいことへのチャレンジを決意した理由は?

年齢が40代に入ってから「人の命」を考えるようになりました。
仕事へのやりがいも増え幅も広がり、これからまた1段階も2段階も上を目指そうと張り切ってた時期です。

ちょうど常日頃から僕の仕事を心より楽しみにしてくれていた母が亡くなり、
友人や仕事仲間が堰を切ったように立て続けに亡くなり、
人生の最後を幾度か見届け、人生というものは永遠に続くようで、決してそうではないことを実感し、
「限りある人生」をなりふり構わず生きようと思い、この先ポップの道を極めるのもありだけれど、
何かやり残してることないかなと考えたら、10代の頃から大好きでいつか極めたいと思っていた「ジャズ」を勉強するために、NYのニュースクール大学 ジャズピアノ科を受験することにしました。
大学に送る受験デモテープの制作には僕のジャズの恩師の尽力もあり、結果、合格。
このチャンスを逃したら2度とNYに行くチャンスはないだろうと渡米を決意しました。

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Jazz GalleryにてShiela Jordanと @Mami Yamada

 

–著書「9番目の音を探して」を拝読すると、様々な経験を通じて、大江さんのキャパシティ(心身ともに)がどんどん広がっていくように思いました。ご自身ではどう感じられましたか?

実際はいざアメリカのジャズの大学に入るとすでに1日目からAwayの感覚でした。
体の中の血をポップからジャズに入れ替えないと新しいものは身につかないなと思い、ひたすらやりましたがなかなかそうはならず、焦りの日々。
ただ自分で選んだ人生なので「後悔」は一切ないし、どうせ大学生に再び戻れたのだから楽しんじゃおうと、同期とアパートをシェアしたり、車で大陸横断をしたり、今まで人生でやってないことを一個一個。
ジャズ言語、英語、全て足りないことだらけの僕でしたが、逆に足りないからこそ、見つける楽しさがある。工夫する喜びがある。
そしてキャパも広がったのだと思います。
なお、学校には世界中から生徒が来ているので全く考え方、宗教、言語の違う人たちと関わる機会がありました。
その仲間が、今は世界中に散らばっているので「心の財産」です。

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国連大使夫人の誕生日パーティでの即興演奏

 

–今回の渡米で、ストイックに勉強、練習をしてジャズを習得。その後もピアノの後はドラムを習うなど、次々とチャレンジをされてきましたが、そのエネルギーの源は何だと思われますか?

 音楽の練習や制作は淡々としていて、進歩や上達もなかなか実感としてないので途方にくれることもあるのですが、
一旦「技ができる」ようになり「形になる」と喜びがあり、それがあるからまたチャレンジができるの繰り返しです。
僕の場合は「日本へ戻る」選択肢を絶ってアメリカに来てますので、「やりきる」しか残されていない。
その切羽詰まった気持ちが挑戦に繋がっていると思います。
アメリカ人を前に演奏を始めたら、例えばアトランタであれば南部の人が好きそうなフレーズやmcを試みてその場でどんどん拍手を大きくしていかないと生き残れない、
そんな感じで、毎回毎回張り詰めつつも楽しくやってきています。

 エネルギーの源は、それをクリアな頭で考えるためにも「健康でいる」ことです。
そして「目標」から逃げないことです。夢を漠然と思うのではなくて「一歩踏み出す」、これこそ別の形の「夢」だと思っています。

<<後編に続く>>

 

<プロフィール>

大江 千里(おおえ せんり)

1960年9月6日生まれ。1983年デビュー、2007年末までに45枚のシングルと18枚のオリジナルアルバムを発表。2008年、NYのThe New School for Jazz And Contemporary Musicに留学。2012年、卒業と同時に自らがCEOを務めるPND Recordsからジャズデビュー作『Boys Mature Slow』を発表。2016年、シーラ・ジョーダンらをボーカル迎えた『Answer July』まで4枚のアルバムを発表。2015年、『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』刊行。現在、ブルックリン在住。NYの富ジャズをベースに、東京ジャズ、アトランタジャズほか、アメリカ、日本、メキシコ、オランダなどでライブを展開。ジャズピアニスト、コンボーザーとして活躍。【note】【ニコニコチャンネル】にて「ブルックリンでジャズを耕す」を連載中。