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大坂城の継ぎ手:「美しき城」vol.9 萩原さちこ

2016.03.28

 

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地下と地上に共存する、2つの大坂城

“太閤さんの城”と親しまれる大阪のシンボル、大坂城。ところが現在の大坂城は、太閤・豊臣秀吉がつくった城ではありません。豊臣家の滅亡後、2代将軍・徳川秀忠により築かれたまったく別の城です。秀吉の大坂城は10メートル以上も地下深くに埋め立てられ、その上に現在の石垣や水堀がつくられました。現在、私たちが目にしている石垣や水堀はすべて徳川によるもの。秀吉時代の大坂城は、石ひとつ地上には存在しないのです。

さかのぼれば秀吉が大坂城を築く前、この地には秀吉の主君・織田信長が11年がかりで攻略した石山本願寺がありました。信長は大阪のすぐれた地勢に目をつけ、天下統一の暁には大坂城を築く構想があったよう。信長の構想を受け継ぎ、秀吉がこの場所に大坂城を築いたのです。本能寺の変で信長が横死しなければ、もしくは大坂の陣で豊臣家が滅亡しなければ、現在の日本の首都は大阪だったかもしれません。ひとつの城の中に、さまざまなドラマがあるのが城の魅力。大坂城には、織田・豊臣・徳川が関わったという知られざる歴史があります。

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