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福井城の本丸 :「美しき城」 vol.27 萩原さちこ

2016.08.01

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毎日通勤される城

JR北陸本線福井駅から徒歩約5分、福井県庁のある場所が福井城の本丸跡です。二の丸や三の丸に官公庁や学校がつくられるケースは全国の城によくありますが、本丸が再利用されているのは珍しいこと。江戸時代に福井藩庁だった福井城は福井県庁となり、現在も引き続き行政の中心地として機能していることになります。本丸内は福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあり、朝の通勤時間に訪れると人々がせわしく登城する不思議な光景が見られます。

城南を流れる足羽川を外堀として、城は百軒堀(現在の福井駅付近)の内側に築かれていました。幾重にも堀がめぐらされた立派な城だったようです。明治以降の近代都市化にともなって解体や埋め立てが進み、また昭和の戦災や震災によりほとんどが地上から消えてしまいましたが、本丸を囲む壮大な石垣と水堀が往時の面影を伝えています。

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「福井」という地名の由来

福井城を築いたのは、関ヶ原合戦後に越前北庄68万石で入った徳川家康の次男、結城秀康です。本丸と二の丸は、家康が自ら縄張(設計)したといわれています。福井城のほど近くには、1583年(天正11)の賤ヶ岳の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れた柴田勝家の居城、北ノ庄城があり、福井城は勝家の北ノ庄城を取り込む形で大改修されたと考えられます。以後、約270年間17代にわたり、越前松平家が治めました。

築城当時は、本丸北西隅に68万石の城にふさわしい四重五重の天守が立っていました。江戸時代の絵図には、大きな破風をあしらい最上階に望楼が乗った、すらりとした天守が描かれています。天守台を含めると、高さは37メートルにも及んだとか。1606年(慶長11)に完成しましたが、1669年(寛文9)の火災で焼失し、以後は再建されませんでした。

小天守台の石垣が大きく崩れ歪曲しているのは、1948年(昭和23)の福井地震によるものです。小天守台の脇にある井戸は「福の井」といわれ、これが「福井」の地名の由来となったといわれます。諸説あり、もとの「北ノ庄」という地名が「敗北」を連想するものとして嫌われ、1624年(寛永元)に3代藩主の松平忠昌が縁起のよい「福の居る場所(=福居)」に改めたという説もあります。

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