松江城の国宝天守:「美しき城」 vol.28 萩原さちこ

2016.08.08

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63年ぶり!新たな国宝となった現存天守

2015年夏、松江城の天守が国宝に指定され大きな話題になりました。国宝天守の誕生は、実に63年ぶりのこと。姫路城、松本城、彦根城、犬山城の天守に次ぎ、5つ目となります。

国宝指定の決め手のひとつは、特殊な建築技法が解明されたことです。松江城の天守は、通し柱が2階分を貫く独特の構造。たとえば姫路城天守の場合、地階から5階までを長大な通し柱で支えていますが、松江城天守は、地階と1階、1階と2階、2階と3階、3階と4階…というように2階分ずつを複数の通し柱で支えています。しかも外側と内側の交互に配置しているため、上層の荷重を下層の柱が直接受けず、外側に分散させながら下層に荷重を伝える構造になっています。天守を貫通できるほどの大木を調達できなかったからという財政的な理由と考えられますが、見事な対応策です。

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月山富田城の木材を転用したスピード築城

天守地階の通し柱に打ちつけられていた祈祷札2枚が再発見されたことも、大きな要因となりました。祈祷札に書かれているのは、「慶長拾六年正月吉祥日」などの文字。天守が1611(慶長16)年に完成したことを示し、高度な技術が慶長16年で成立していたと裏付けになったのです。築城時の鎮物も、3点見つかっています。

天守の下層には、月山富田城(島根県安来市)の木材が転用されていることも濃厚となりました。月山富田城は、松江城を築城した堀尾吉晴が築城前に一時的にいた城です。木材には、堀尾家の家紋「文銅紋」の中に「富」の文字が刻まれています。部材をかき集め、急ぎ松江城を完成させた状況が垣間見えます。

松江城天守だけに現存する「包板」も、部材不足の苦肉の策でしょう。柱に板を張り金具や鎹で留めたもので、割れ隠しや補強を目的とします。これまで長い間「寄木」とされてきましたが、包板と判明し、総数308本のうち130本に施されていました。

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