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一乗谷朝倉氏遺跡と一乗谷城 :「美しき城」 vol.31 萩原さちこ

2016.08.29

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戦乱の世に散った栄枯盛衰の城下町

一乗谷朝倉氏遺跡として国史跡に指定されている越前朝倉氏の本拠地は、足羽川の支流である一乗谷川に沿って開けた細長い一乗谷に築かれています。隔離された谷筋をうまく利用した立地で、現在でも車を走らせると、一乗谷に近づいたところで神隠しにでもあったかのようにがらりと雰囲気が変わり、別世界に入っていく感覚に陥ります。

戦国動乱のなかで、初代孝景から5代義景まで約100年に渡り越前を支配した戦国大名・朝倉氏は、この地に一大都市を築いていました。全国で唯一、戦国期の城下町がそのまま発掘された日本最大の中世都市遺跡として価値があり、背後の一乗谷城を含む278ヘクタールが国の特別史跡に、4つの庭園が特別名勝に、約170万点の遺物のうち2,343点が重要文化財に指定されています。特別史跡・特別名勝・重要文化財の三重指定を受けているのは、一乗谷朝倉氏遺跡のほかには金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院(すべて京都府)、平城宮(奈良県)、厳島神社(広島県)だけです。

一乗谷川上流の上城戸と下流の下城戸、2つの城戸で両端をキュッと結ぶように封鎖した構造で、城戸間の約1.7キロの範囲が、城戸の内と呼ばれる中心地にあたります。現在でも2つの城戸には土塁が残り、下城戸には巨石を積み上げた石垣が残っています。

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信長の攻撃を受け、灰燼に帰す

朝倉氏の最盛期を築いた5代義景は文化人としてもすぐれ、一乗谷は1万人以上の人々が暮らしていた、日本有数の大文化都市でした。戦国時代は戦乱を機に京から多くの文化人が下向し、各地方に文化が開花した時期でもありました。朝倉氏は廃れていた王朝文化や鎌倉時代の伝統武芸を再興して独自の朝倉文化を発展させたのです。

義景が、朝倉氏でもっともよく知られる人物でしょうか。織田信長と敵対し、浅井長政とともに戦いを挑みました。朝倉討伐に向かう信長が、朝倉方に寝返った長政により背後から攻められ、命からがら逃げ帰った金ヶ崎の戦いはよく語られるエピソードでしょう。朝倉・浅井軍と織田・徳川軍が激突した姉川の戦いも、ドラマなどでよく登場します。

信長を苦しめた義景でしたが、ついには信長に攻められ最期を迎えます。一乗谷は信長方の柴田勝家により火が放たれ、なんと三日三晩燃えて続けたといわれています。栄華を誇った一大都市は、灰燼に帰したのでした。

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