角館城と武家屋敷 :「美しき城」 vol.34 萩原さちこ

2016.09.19

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風情ある「みちのくの小京都」

「みちのくの小京都」といわれる、角館。風情ある城下町は人気の観光地です。黒板壁がまっすぐ続く武家屋敷通りを歩いていると、江戸時代にタイムスリップしたかのような気持ちになれるでしょう。角館の町並みがつくられたのは1620(元和6)年頃のこと。芦名氏により整備され、芦名氏の断絶後は佐竹北家の城下町として栄えました。玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれた立地が特長。「火除け」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ内町、南側は町人や商人が住む外町に区分されていました。

資料によれば、火除けは角館城の裾野から南に約687メートルのところに東西に一線を引いて置かれた、幅約21メートル、東西約288メートルの空き地でした。中央から南側に高さ約3メートルの土塁を築いて、内町と外町を遮断していたと記されます。外町で火災が発生した時に内町に引火しないよう、設けられたのだとか。土塁の中央に設けられた木戸門は夜になると閉鎖していたそうですから、治安維持の役割もあったのかもしれません。

道幅は11メートルに統一され、碁盤の目のような整然とした区割りですが、クランクしているところがあることに気づくでしょう。これは、防衛上の工夫です。三方を山と川に囲まれた角館城は、敵が侵入する場合に武家屋敷を通る可能性が高いため、こうした知恵が隠されています。

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京文化と桜並木との深い関わり

角館といえば、なんといっても有名なのは桜の季節です。春には、全長2キロにも及び桧木内川堤の桜並木が美しいピンク色に染まります。桧木内川堤のソメイヨシノは、1934(昭和9)年に天皇陛下のご誕生を記念して植えられたのがはじまり。しかし、武家屋敷を彩る樹齢300年以上のシダレザクラは江戸時代にさかのぼる歴史があります。角館佐竹家2代の義明の妻が京都三条西家から持ってきた嫁入り道具のなかに、3本の桜の苗木があったのです。

みちのくの小京都と呼ばれるのも、桜と同じく藩主の妻と深い関わりがあります。芦名家の後を引き継いだ佐竹北家の初代・佐竹義隣と2代義明の妻は、いずれも京都の公家出身。そのため、京都の生活と文化が取り入れられました。京都から遠く離れた秋田の地に京文化が開いたのには、こうした背景があったのです。

 

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