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佐敷城の石垣と景色:「美しき城」 vol.39 萩原さちこ

2016.10.24

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加藤清正が築いた城

佐敷城は、熊本城を築いた加藤清正により築かれた城です。もともとの発祥は不明ですが、清正が肥後に入国後に石垣が築かれ近世の城になったとみられます。家老の加藤重次が城代を務めました。

南北朝時代には豪族の佐敷氏が佐敷城を本拠としていた記録が残りますが、その城は現在の佐敷城ではなく、東にある「東の城」を指すようです。中世には球磨から進出した相良氏が支配権を獲得したものの、やがて戦国時代末期の1581(天正9)年には島津氏の勢力拡大の波に飲まれます。島津氏はこの地を手に入れたことで肥後進出の突破口を開きましたが、1587(天正15)年に豊臣秀吉の九州征伐を受けて撤退。豊臣政権下で肥後に入った佐々成政の統治が国人一揆により短期間で終息したため、1588(天正16)年に肥後北部の半国を19万石で拝領した加藤清正の飛び領地となったのでした。

城は佐敷川河口の南側にあり、薩摩街道と人吉街道が通る交通の要地です。清正がこの城を築いたのも、この城が薩摩と肥後の国境にあり、島津氏に備えるためだったと考えられています。加藤氏の後、細川氏の時代にも番代が置かれ、国境警備や外国船監視などの任務を果たしました。

1592(文禄元)年には、朝鮮出兵に従軍している加藤清次の留守を狙い、島津家臣梅北国兼が佐敷城を占拠して挙兵する梅北一揆も勃発しています。飛び領地であったため、1600(慶長5)年の関ヶ原合戦では孤立し、島津氏の攻撃を受けたといわれます。約30日の籠城戦に耐えたと伝わります。

 

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