「美しき城」 vol.52

南関城と加藤清正:城郭キュレーター 萩原さちこ

2017.01.30

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加藤清正の熊本城を連想させる城

熊本県と福岡県の県境付近に、熊本城を彷彿とさせる石垣が残る城があります。熊本城と同じく、加藤清正に関わりのある城です。南関城と呼ばれるその城は、関所が置かれていた場所にあるのが名の由来。古代には官道が通り、肥後・筑後の国境警備のための関所が置かれていました。関所がその後も機能したことから、やがて南関という地名が定着したようです。近世には豊後街道、薩摩街道、日向街道などと並ぶ九州の主要街道のひとつとして発展する、熊本から山鹿を経て小倉へと至る豊前街道が通ります。

加藤清正が1588(天正18)年に肥後に入国する以前、この地域は南北朝時代に築かれた藟嶽城(大津山城)が支配拠点として使用されてきました。清正が入ると藟嶽城には加藤清兵衛を経て加藤正次が城代として置かれます。国境の要衝であるため、清正は領国北端の防衛を目的として一族の正次を配したのでした。そして、正次が新たな拠点とすべく1600(慶長5)年に築いたのが南関城です。江戸中期に書かれた文献によれば、1600年の関ヶ原合戦直後、清正が自ら縄張(城の設計)をしたと記されています。

 

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