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「美しき城」 vol.56

福岡城と福岡の地名:城郭キュレーター 萩原さちこ

2017.02.27

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「福岡」の地名の由来とは

福岡城は、1600(慶長5)年の関ヶ原合戦の戦功により筑前一国52万石を手にした、黒田長政が築いた城です。新しい城地としていくつかの候補地から選ばれたのは、博多湾岸までのびる丘陵の先端部にあたる「福崎」。この福崎を、黒田氏ゆかりの備前・邑久郡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の「福岡」にちなみ改称したといわれます。

候補地はいずれも、領国の西寄りにあたる博多湾岸でした。どうやら、博多多津(博多湾の津)が強く意識されていたようです。海や河川に囲まれた地は防衛上有利ですが、城下町を展開する平地ももちろん必要。かつ、地質が軟弱では水攻めの懸念も生じますから、城地に適した条件を満たす候補地は数少なかったようです。

fukuoka-2 copy-minfukuoka-3 copy-min総面積80平方メートルを誇る城

福岡城は、築城名人として有名な父・黒田如水(官兵衛)が城地を見立てて設計したとされます。1601(慶長6)年、如水の天守台着工の命で、築城は開始されました。長政は細かに工事の指示を出しているものの、同時期には江戸城の築城工事に招集されていたため、如水が指揮を取ったとみられます。

城の中心部に本丸・二の丸が並び、西二の丸と南二の丸が鉤の手状に張り出した構造です。中心部は高石垣で厳重に囲まれ、丘陵の下段は広大な水堀と土塁に囲まれた三の丸が置かれます。藩政時代には50棟近くも櫓があったとみられ、本丸には天守台と本丸御殿、東二の丸には二の丸御殿がありました。

それぞれ用途は不明ですが、本丸御殿は黒田家当主の生活空間、二の丸御殿は世子の住まいか政務の場だった可能性が高いとみられます。三の丸は如水が住んでいた高屋敷と松木坂を結ぶ石垣で東西に分けられ、東側には大名家臣の屋敷が並んでいました。その外側は、外郭と総構でさらに囲まれていました。

 

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