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知られざる北斎〜beyond the border〜《第8話》北斎はなぜ世界の北斎になったのか②

2018.01.30

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フィンセント・ファン・ゴッホ「タンギー爺さん」

 つて1870年代から1900年頃にかけて、パリを中心とするヨーロッパの各都市では、現在のアニメの祭典「ジャポン・エクスポ」の熱狂に勝るとも劣らない「ジャポニズム」と呼ばれる日本文化への偏愛、熱愛ムーブメントが起きた。
 当時フランス美術界では、17世紀にルイ14世が創立した「美術アカデミー」の歴史を引く「サロン」が厳然たる力を持っていた。サロンに入選しなければ画家として認められない。画廊も相手にしない。それに反発するかのように台頭してきたのが、のちに印象派と呼ばれる若き画家たちだった。宗教画等の古典的な美術様式に対してマネ、モネ、ドガ、セザンヌら若手アーティストたちは、人々の市井の暮らしや自然の中に美を見出していく。だがそれらの絵はサロンでは撥ねられ、画廊や評論家たちにもなかなか受け入れられない。
 そこにファーイーストの島国から突然現れたのが浮世絵だった。自然と一体化したテーマ性、アシメトリー(左右非対称)な構図、鮮やかな色彩等に彼らは驚き、憧れ、その特徴を自らの創作に競って取り入れていく。

 1886年から2年間パリに住み、約500枚の浮世絵を所有していたフィンセント・ファン・ゴッホは、歌川広重の「名所江戸百景」と渓斎英泉の「雲龍打ち掛けの花魁図」をそのまま模写した(英泉作品は左右反転)。モンマルトルの画材商を描いた「タンギー爺さん」の背景には、北斎や英泉を含む6枚の浮世絵が描かれている。アルルで描いた「星月夜」や「糸杉」には、北斎の「神奈川沖浪裏」のタッチが用いられた。

 

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モネの家の庭園にある池

 ロード・モネは、ジヴェルニーのアトリエに約200枚の浮世絵を所有し、リビングを含めた幾つもの部屋に所狭しと飾っていた。晩年「睡蓮」を描いた庭の池は、日本風に竹林やススキの群生を周囲に配し、太鼓橋や藤棚もある。周囲の牡丹や菖蒲などは、日本人美術商・林忠正が日本から取り寄せて贈ったものだ。その交遊の深さは、居間に飾られた浮世絵の何枚かに、林から入手した証拠である「林忠正印」が押されていることでも明らかだ。76年に描いた「ラ・ジャポネーズ」は、着物姿の妻に芸者風のポーズをとらせ、その手にはトリコロールの扇子を持たせた。背景にも12枚もの扇子を描いている。

 ポール・セザンヌは、作風というよりも製作スタイルにジャポニズムを取り入れた。86年ころから描かれた故郷南仏のサント・ヴィクトワール山。何枚もの連作で描かれたその山の雄姿は、北斎が繰り返し富士山を描いたように、ひとつモチーフを様々な角度から連作する姿勢に影響を受けたと考えられている。(ただしセザンヌを崇拝する研究者の中には、いまだにこの影響を認めない人もいるが)。モネの睡蓮の連作も同様だ。

 踊り子を描いたシリーズで有名なエドガー・ドカは、対象を見る「視線」にジャポニズムを取り入れた。半裸の女性を背後から描いた「背中を拭く女」、腰に腕を当てた踊り子を背中から描いた「踊り子たち、ピンクと緑」等。それまで描かれた美男美女のモデル然とした人間ではなく、庶民の何気ない姿に「美」を見出したのだ。これも庶民の飾らない表情やポーズ、生活実態を描いた「北斎漫画」の影響と言われる。

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エミール・ガレ《鯉文花器》1878年頃 北海道立近代美術館蔵

 画だけではない。日本を「菊の国」と呼んでいたガラス工芸作家のエミール・ガレは、北斎の「南瓜花群虫図」や「北斎漫画」に描かれたバッタや鯉、南瓜の花や葉を意匠に取り入れた作品をつくった。のちにそれは20世紀初頭にかけて花開いたアールヌーボーという新美術潮流を生んでいく。

 日本ではつい最近やっと展覧会が開かれた「春画」も、当時の美術界の巨匠に大きな影響を与えた。代表格は「考える人」のロダンだ。ロダンは常日頃から「エロチック・ジャポネ」の無類の愛好家だった。そのモデルとなった花子は「ロダンが『笑い絵』(春画)を見せるので困った」と述べている。後日、美術史家の池上忠治がロダンが所有した浮世絵を調べると、「出てきたのは和紙に達者な墨線で描かれた、いわばアクロバチックな体位のものだった。この種のものがどれだけあるのか、私はまだ確認するに至っていない」と書いている。(「ゴッホから世紀末へ」)

ロダンの弟子で愛人、最後は精神病を患って亡くなるカミーユ・クローデルも、北斎作品の愛好家だった。「神奈川沖浪裏」にそっくりの大波と、それに飲み込まれそうな女性の姿を描いた作品で、彼女自身の儚い「運命」を示したと言われる。

宝飾店ティファニー創業者の息子で、装飾芸術家のルイス・コンフォート・ティファニーは、北斎漫画の昆虫をモチーフにランプシェード「蜻蛉文ランプ」をつくった。

音楽界ではクロード・ドビュッシーがいる。「神奈川沖浪裏」に感銘を受けて、1905年に交響詩「波」を作曲。楽譜の初版の表紙には、「神奈川沖波浪裏」から三艘の小舟が欠落した版画が使われた。

ジャポニズムから生れた芸術をあげればきりがない。日本の生んだ芸術(当時まだ日本には芸術、美術という言葉は生れていなかったが)は世界を魅了した。それはなぜなのか?そこにこそ、北斎を世界の北斎にした秘密がある。

《第9話へ続く》

 「知られざる北斎~beyond the border~《第1話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第2話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第3話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム① 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第4話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第5話》熱狂する海外、見向きもしない日本」はこちらから>>

「知られざる北斎~beyond the border~《第6話》芸術によって西洋と東洋を結ぶ 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第7話》北斎はなぜ世界の北斎になったのか  」はこちらから>>

 

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。