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知られざる北斎〜beyond the border〜《第9話》「浮世絵」という名の「黒船」の来襲

2018.02.13

exposition universelle, Paris 1900,

19世紀末、ヨーロッパに生まれた日本美術愛の熱きうねり「ジャポニズム」。その誕生の理由は、当時のヨーロッパに様々に重なった時代の気分だった。イギリスに生まれた産業革命から約一世紀、19世紀末は「鉄と科学と産業の発展」の時代だった。1900年パリ万博では、世界中からエンジンや動力機関を集めた「機械館」が設置され、動く歩道もあった。

その中で、市民生活も変化する。
「蒸気機関車、鉄道、鉄橋、鉄骨の駅舎、電話、電信、それらはパリの都市生活を変えていった。」(中央公論81年9月30日号)
1848年の二月革命によって大統領に当選したルイ・ナポレオン・ボナパルト(のちの皇帝ナポレオン三世)の命により、セーヌ県知事に起用されたオースマン男爵が大胆かつ徹底的なパリの都市改造を行った。エトワール広場とシャンゼリゼ通りを中心とした放射線状の通り、オペラ座やサクレ・クール寺院、市内と郊外を結ぶ道路、広場、公園、劇場、教会、上下水道、ガス灯、乗合馬車等都市生活のあらゆる要素が含まれていた。
都市の変容の中で人々の生活のあり方や感覚も変わった。パリジャンたちの楽しみはパリの郊外まで及び、セーヌ河下流での船遊び、ヨット、水浴、水辺の散歩等を楽しむことが一般的になった。

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1851年の誕生以降、1900年までに5回もパリで行われた万国博覧会の影響も見逃せない。世界の最先端技術や美術工芸品、芸術の粋を集めた展覧会は、いやが上にも人々の感覚を刺激し気分を高揚させる。入場者は1500万人以上、1900年は5000万人を越えている。ヨーロッパ、アメリカ、アジアからも美術工芸品や舞台芸術などもやってきた。
日本にとっては1867年のパリ万博が文化的な意味での国際社会へのデビューだった。浮世絵もまたこの時本格的にデビューする。
この万博には江戸商人・清水卯三郎が参加し、柳橋芸者三人が茶屋において観客に茶を振る舞う接待をさせ大人気となった。初日には約400人だった観客が、翌日には1300人も集まったという記録がある。

1900年の万博ではアメリカを経由してヨーロッパに渡り、ロイ・フラー座に立った近代女優第一号と言われる川上貞奴が話題をさらった。エキゾチックな美貌と写実的な演技。ピカソ、ロダン、ドビュッシーらがこの舞台に招待され、ロダンは興奮の余り「彫刻を作りたい」と直訴した。8月には大統領官邸の園遊会で、歌舞伎の演目である「道成寺」を舞っている。
この時代、ヨーロッパに現れた「芸者や女優」はヨーロッパ人に強烈な印象を残した。のちに北斎の評伝を書く、日本美術愛好家でもある小説家エドモンド・ゴンクールは、芸者のことを「きれいな小動物のように見えた」と書いている。ジャポニサン(日本文化愛好家)たちはすでに浮世絵の美人画や春画は所有していたから、芸者や貞奴は動く「美人画」として愛でられた。浮世絵は、生では余り見ることのできない芸者を描いた絵画として、ますます人気を呼んでいく。

 

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方この時代にフランス美術界の「革命児」と言われた印象派の若き画家たちが求めたものは、「光とその震え、色調と輝き」だった。
科学の時代であった19世紀末、色彩と光についても理論的に解明され、画家たちは絵の具を混ぜないで見る人の網膜の上で色を混ぜる方法を編み出す。
「自然」という新しいテーマも「ニューフロンティア」だった。それ以前は神々や神話の英雄たちを描いた絵が「高貴」であり、人間を描いた肖像画はその次。風景画や動植物を描いた絵はヒエラルキーの最下位。まして花や蝶、動物や昆虫をテーマにすることはありえない。
その時代にあって印象派の画家たちは、新しい感受性で捉えた「自然」にテーマを求めた。マネはテュルリーの音楽会やブーローニュの森の乗馬等、モネは公園での家族たちの集いやサン・ラザール駅等、ドガはオペラ座の舞台と稽古場や浴室の化粧姿等、ルノワールもボート遊びやムーラン・ド・ラ・ギャレット等、いずれも美術界ではかつてないテーマを描いた。ちょうどこの時代、豚の腸に入れたチューブ状の絵具も開発され、屋外での写生もやりやすくなったのだ。

、色彩、自然、構図、そしてそれら全てを包含する新しいテーマ―――。その自由を求めて、印象派の画家たちは貧困を懸けて日々闘っていた。
その時、やって来たのだ。ファーイーストの島国から。印象派の画家たちが求めてやまない色彩、明度、構図、テーマ性を持った新しい「芸術」が。それは、「浮世絵」という名の「黒船」の来襲だった。

《第10話へ続く》

 「知られざる北斎~beyond the border~《第1話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第2話》 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第3話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム① 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第4話》西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第5話》熱狂する海外、見向きもしない日本」はこちらから>>

「知られざる北斎~beyond the border~《第6話》芸術によって西洋と東洋を結ぶ 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第7話》北斎はなぜ世界の北斎になったのか 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~《第8話》北斎はなぜ世界の北斎になったのか②  」はこちらから>> 

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。