日本語 | English | 简体中文 | 繁體中文

第12回:ディープ・ジャパン・トリップ 「イザベラ・バードの旅を追う Vol.1」

2018.04.26
図1

 

錦絵「東京汐留鉄道館蒸汽車待合之図」(歌川広重(三代)、1873年)(鉄道博物館所蔵)

 

治11年といえば、今から約140年前のこと。江戸時代から明治時代へと劇的な転換期を経てまだ間もない頃、江戸時代の様子も色濃く残る時代に、一人のイギリス人女性が日本に降り立った。その名も、イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird; 1831~1904)。当時47歳。横浜港に降り立ち、通訳を一人雇い、人力車や馬で、北海道まで約三ヶ月をかけて旅をした。

 

 キリリとして意志の強さを示す、イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)の顔写真(ハイジアパーク南陽所蔵)

 

この時代、レディ・トラベラーと呼ばれる欧米の女性の旅行家は少なくなかったと言われるが、生涯を通して旅人生を貫いた一番の強者的旅行家の筆頭が、イザベラだと言われる。

女の日本での旅の目的は、アイヌの村を訪ねることだった。文字を持たない民族に会ってみたい、という文化人類学的興味から、彼女の旅は始まった。その当時、日本にはすでに5,000人ほどの外国人が居留していたと言われ、彼女には多くのサポートがあった。

 「女性一人旅でも安全な国である」という助言もあり、また、イギリス公使ハリー・パークス氏の尽力により、外国人の移動が制限されていた時代だったが、イザベラには移動が無制限に認められる旅券が日本政府から発行されていた。彼女の東北地方から北海道にかけての旅の様子を書き残した「日本奥地紀行」(原題; "Unbeaten Tracks in Japan," 1880年(明治13年)刊行)では、当時の日本の様子が丹念に書き込まれている。イギリス人独特の皮肉やウィットに富んだ文章からは、通常の歴史書に残っていない人々の日常が読み取れる。また精密に描かれた挿絵も数々残され、記録としても芸術としても高く評価されている。

教育水準が高い。子供を可愛がる。穏やかな国民性。清潔である。勤勉である。——といった様子に感動し、日本を「高度に発達した別の惑星にきたかのようである」とまで綴っている。

 
(左)日光東照宮の唐門、(右)イザベラが感動した陽明門

の彼女の心を動かした場所をいくつかご紹介しよう。

まずは、日光である。東照宮の芸術性に感激し、「社殿の美しさは、西洋美術のあらゆる規則を度外視したもので、人を美の虜にする。そして今まで知られていない形態と色彩の配合の美しさを認めないわけにはいかない」と描写している。また、滞在した日光金谷ホテルの前身である、金谷カッテージ・インのことは「これは美しい日本の田園風景である。家の内も外も、人の眼を楽しませてくれぬものは一つもない」(「イザベラ・バード『日本奥地紀行』を歩く」金沢 正脩著より引用)とまで絶賛している。余程に気に入ったのだろう。とはいえ、奥地への旅は決して簡単なものではなかった。混浴に仰天し、のみや蚊に付きまとわれる日々に苦しみ、障子に穴を開けて、異人の様子を窺う「奇異の目」にさらされる苦痛もあったという。

 

イザベラが桃源郷であると感動的に語った山形に見られる干し柿のカーテン

そんな彼女が、「ここは桃源郷である!」と感嘆したのが、山形だ。「米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。『鍬で耕したというより鉛筆で描いたように』美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。」(引用、同上)こんな風に描写するほどに、イザベラの目に映った米沢平野は、豊かで、神々しい場だったのだ。山形をこんな視点で捉える旅も、ちょっと興味深い。

 形でイザベラの目が捉えたもう一つの対象は、建築物。

済生館と呼ばれた病院(現・山形市郷土館)は、西洋建築を模して造られており、イザベラが視察した場としては唯一残っている建物だ。

済生館

 

の山形で、是非とも出合っていただきたい世界がある。それは、山形県立博物館に所蔵されている「縄文の女神」だ。

山形県立博物館蔵

土偶とは異なり、スマートでエレガントな、縄文時代のトップモデル的存在。イザベラが見たわけでもなく、また、彼女が縄文を知っていたわけではないが、実は彼女が興味を抱いていたアイヌの文化は、その源流が縄文文化にある。もし彼女がいま、日本を旅していたら、必ずやこの縄文の女神を見て感動したに違いない、と勝手ながら思いを巡らして楽しんでいる。

 

<プロフィール>

生駒芳子(いこま よしこ) 

VOGUE、ELLEを経て、マリ・クレール日本版の編集長を務める。2008年に独立し、ファッションからアート、デザイン、伝統工芸、エシカル、クール・ジャパン、社会貢献、女性のエンパワメントまで、幅広く執筆・編集・企画・プロデュースを手がける。2010年より、日本の伝統工芸を世界発進するプロジェクト「工芸ルネッサンスWAO」の総合プロデューサーを務め、パリ、ニューヨーク、東京で、ファッションやデザイン、アートを切り口としたキュレーションで伝統工芸世界を紹介。2017年、伝統工芸をベースに置いたラグジュアリーでクリエイティブなオリジナルブランド「HIRUME」を立ち上げ、2018年より本格発信をスタート。