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編集部&PJフレンズのブログ

2024.2.14

銀座和光で堪能。珠洲が生んだ誇り高き「黒」のやきもの、珠洲焼

「セイコーハウス銀座ホール」では、陶芸展「薪で焼いた 白と黒のシャープネス」が開催されています。4人の陶芸家の個性が花開いた会場で、ひときわ存在感を放っていたのが、珠洲焼の篠原敬さんの作品でした。











やきものが持つ「色」の豊かさと可能性

 

 

「白」や「黒」と言っても、その「白」や「黒」にはさまざまな表情や奥行きがあり、むしろ言葉では表現できない無数の色調と、その色調が生みだす無数の質感がある。「セイコーハウス銀座ホール」で8日から始まった展覧会、「薪で焼いた 白と黒のシャープネス」。薪で作品を焼成するという共通点以外は、土も手法も窯の様式もまったく異なる4人の陶芸家の作品に接すると、やきものが持つ「色」の豊かさを思い知らされる。と同時に、姿かたちに加え、「色」をどこまでも追い求めていくこと、それが陶芸なのだなと、改めて気づく。

 

 

珠洲焼のふるさと石川県珠洲市は、能登半島地震で大きな被害を受けた

 

 

なかでも、緊張感と表現するにふさわしい独特の存在感を放っているのが、珠洲(すず)焼の篠原敬さんの作品だ。珠洲焼のふるさと石川県珠洲市は、今回の能登半島地震で、輪島市同様、大きな被害を受けた。4メートルを超す津波が押し寄せ、死者も100人を超えている。篠原さんの自宅も被害を受けた。珠洲の地は、2022年6月、2023年5月にも大きな地震に見舞われている。そして前の2回より大きな規模の今回の地震。珠洲焼に携わっていた50名前後の人々の大半が、再び被害を受けた。



豊かな自然が残る珠洲市。里山に抱かれるようにして建つ工房のいくつかは、今回の地震で倒壊してしまった。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘) 豊かな自然が残る珠洲市。里山に抱かれるようにして建つ工房のいくつかは、今回の地震で倒壊してしまった。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘)

豊かな自然が残る珠洲市。里山に抱かれるようにして建つ工房のいくつかは、今回の地震で倒壊してしまった。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘)




500年の歳月を経て蘇った幻のやきもの、珠洲焼

 

 

古墳時代から平安時代の間に焼かれた須恵器の技法を受け継いた珠洲焼は、1200度以上の高温で焼き締められた「黒」のやきものだ。平安末期から室町時代後期にかけて数多く生産され、日本海側を中心に幅広く流通し、中世を代表する焼物のひとつといわれたものの、15世紀後半には忽然と消滅してしまう。500年以上という歳月の間、ほとんど忘れ去られた存在となっていた珠洲焼に、再び光が当たりはじめたのは、ほんの60年ほど前。「珠洲焼」という名称も、その時に付けられたものだ。






「綾杉文叩壺・14世紀」(珠洲市立支珠洲焼資料館蔵・撮影=大川裕弘) 「綾杉文叩壺・14世紀」(珠洲市立支珠洲焼資料館蔵・撮影=大川裕弘)

中世を代表するやきものと言われながらも、忽然と消えてしまった珠洲焼。珠洲から日本海側各地に、写真のような素晴らしい作品が、数多く流通していた。「綾杉文叩壺・14世紀」(珠洲市立支珠洲焼資料館蔵・撮影=大川裕弘)




「灰黒色」を際立たせる、独特のライン

 

 

「やきもの自身の奥底の方から浮かびあがってくる黒」。篠原さんは、自身のやきものの「黒」をそう表現する。名前をあえて付けるならば「灰黒色」とも。確かに、「黒」ではない。見る角度や光の具合で、「灰黒色」も微妙に表情を変える。この「灰黒色」を際立たせているのが、姿かたち、やきものが持つラインだ。毅然としたシャープさと、おおらかな丸み。その両者の絶妙な調和が、確固たる存在感を醸し出す。




篠原さんの窯の写真パネルを背景に展示された 「ひさご花入れ」。たおやかな丸みが、美しい。 篠原さんの窯の写真パネルを背景に展示された 「ひさご花入れ」。たおやかな丸みが、美しい。

篠原さんの窯の写真パネルを背景に展示された「ひさご花入れ」。たおやかな丸みが、美しい。




シャープなラインと、優美な曲線が絶妙な 調和を見せる、「六角蓋物」。 シャープなラインと、優美な曲線が絶妙な 調和を見せる、「六角蓋物」。

シャープなラインと、優美な曲線が絶妙な調和を見せる、「六角蓋物」。



「珠洲と同じ時代に存在した、備前や常滑などの中世の窯は、次第に大量生産ができる方式へと舵を切り、その結果「赤」のやきものとなっていきます。ところが、珠洲焼は黒のまま。一時期は『須恵器の出来損ない』とまで言われましたが、日本海側を中心に幅広く流通した歴史を鑑みると、効率が悪く大量生産できない方式で、あえて「黒」のやきものに固持したのではないかと思います」。珠洲焼の歴史を語る篠原さんの言葉には、ある種の矜持が滲み出ている。



2度の震災に見舞われてきた珠洲を襲った3度目の大地震

 

 

「効率が悪く大量生産できないやきもの」は、煉瓦を積みあげた密封性の高い窯から生まれる。その窯が今回の地震で倒壊した。じつは、篠原さんの窯は、昨年5月の地震でも崩れている。5月以降、大勢のボランティアの助けも借り、昨年末に窯の再建が終わり、この1月に初めての窯焚きを行おうとしていた矢先の、今回の地震だった。


一週間近く火を絶やさず、大量の薪を燃やし続ける窯焚きは重労働。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘) 一週間近く火を絶やさず、大量の薪を燃やし続ける窯焚きは重労働。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘)

一週間近く火を絶やさず、大量の薪を燃やし続ける窯焚きは重労働。(撮影:2019年6月 撮影=大川裕弘)



自宅も被害を受けた篠原さんは、現在、珠洲から100キロ以上離れた野々市市のアパートで避難生活を送り、珠洲へ通って再建の準備を進める日々を送る。電気は通じ始めたが、水道の復旧はまだまだ先のこととなる。仮設住宅へいつ入居できるかも決まっていない。でも、表情は明るい。もちろん、今も続く悲惨な状況に耐え、歯を食いしばり開き直ってこそ湧き上がる明るさに違いないが、会場に立ち、自作を語る篠原さんは、悲惨さを微塵も感じさせず、背筋が伸び、颯爽としている。



2019年6月の窯焚きをする篠原さん(撮影=大川裕弘) 2019年6月の窯焚きをする篠原さん(撮影=大川裕弘)

2019年6月、窯焚きをする篠原さん。(撮影=大川裕弘)




会場では、笑顔を絶やさず颯爽と振舞っていた篠原さん。再建の決意は固い。 会場では、笑顔を絶やさず颯爽と振舞っていた篠原さん。再建の決意は固い。

会場では、笑顔を絶やさず颯爽と振舞っていた篠原さん。再建の決意は固い。



来年秋の窯焚きに向けて、始まる再建の動き

 

 

「昨年の地震で窯が倒壊した時には、廃業のことが頭をよぎりましたが、今回は逆に、なにくそこれで辞めてなるものかと、思っています。大勢の方々に助けていただいて再建できた窯だからこそ、ここで火を消してはいけない。そう自分に言い聞かせています」

 

 

再建は、倒壊した窯のレンガのモルタルを1個ずつはがすことから始まる。幸いにも、工房の建物は倒壊を免れたので、これからは工房内での地道な作業の日々が続く。火入れの予定は来年の秋。

 

 

展覧会の会場で訴えかけてくる、作品の数々。それは、500年という歳月を経て蘇った「黒」のやきものの持つ力と、度重なる困難をはねのけてきた作家の、不屈の魂を物語っている。(展覧会は2月18日まで)







櫻井正朗 櫻井正朗

櫻井正朗  Masao Sakurai

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