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東京画廊 代表取締役社長 山本豊津氏インタビュー <<前編>>

2017.12.08
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 銀座は画廊が集まる街というイメージがあります。でも実はその歴史はそう古くはなく、1950年にはわずか6軒のみだったとか。そのひとつが、同年に開廊した「東京画廊」。日本で初めて現代美術を扱った画廊で、代表取締役社長・山本豊津さんの父・孝さんが、銀座7丁目並木通りにオープンさせました(現在は、銀座通りと昭和通りの間8丁目に移転)。


 現代美術を日本で初めて取り扱った「東京画廊」

画廊外観_1958斎藤義重展
画廊外観_1958年 斎藤義重展

 「現代美術は難しい、とみなさん、おっしゃいますよね。でも、実は馬券と同じなんですよ。馬券を買う時でも、血統や調教師、騎手、勝率などデータを分析してから買うのに、なぜか美術の時には感覚で買おうとする。せめて馬券を買う時と同じくらい調べれば理解できるのに。」美術史を知り、作品がその文脈の中でどんな位置にあるかを理解できれば、自ずと美術品の価値は見えてくると山本さんはいいます。「学習したことがない人が突然、『漢字を読め』と言われているようなもの。美術でそれをやったら、完全に賭け事ですよ(笑)」。もしどこかの画廊で「これは面白い」と思う作品に出合ったら、その作品の些細な解説をスタッフに求めてくださいと山本さんは言います。「美術史の中で、そして現在において、この作品にはどんな意味があるのか。それが説明できない画廊では、購入してはだめです。オーナー自身が感覚で選んでいるという証拠ですから」。

   かように山本さんの解説は明快で、分かりやすく人を惹きつけます。語り口や人柄は、画廊や現代美術という言葉から受ける取っつきにくさを、いい意味で裏切ってくれます。

 

現代美術の中で育った子ども時代

 父・孝さんは高等小学校卒業後、古美術商に丁稚奉公に入り、仏教美術、特に書画を扱っていたそうです。しかし戦後は敗戦による価値の大転換を受け、自身も洋画に興味を移したことから、1948年に数寄屋橋で独立。その2年後に「東京画廊」を開きます。当初は近代日本の具象絵画を中心に扱っていましたが、60年代から現代美術に舵を切り、海外の作品や作家を紹介する他、日本の現代美術作家の発掘や育成にも取り組んできました。70年前後に日本で生まれ、今では世界で最も有名な前衛美術運動となった「もの派」の誕生に大きな影響を与えた斎藤義重さんはじめ、高松次郎さん、具体美術協会の創始者である吉原治良さん、そしてその教え子の白髪一雄さんなど、数々の作家を「東京画廊」は取り上げていきます。

  「父は50年代の終わりにヨーロッパへ外遊した際、自分の肉体をそのままキャンパスにぶつけたようなイブ・クライン、キャンバスを切り裂いたフォンタナなど、戦後の新しい流れを目の当たりにしたんですね。帰国後は『これからの美術は抽象に向かう』と方向性をそこに定めたんです」。

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 当時、前衛と言われた抽象美術を扱う「東京画廊」には、多くの作家や美術の最先端情報に飢えた学生やデザイナーなど、多くの人が集まりました。画廊だけでなく、山本家自体も、同様で…。

「ガレージには三木富雄さんが造った巨大な耳あるし、食卓では岡本太郎さんが酒呑んで居眠りしながら食事をしていたり。当時、作家さんはみんなお金がなかったから、よく母が料理を作っては食べさせてましたね。不思議な大人がたくさん出入りする家でした」。山本さんは、現代美術が当たり前に存在する中で育ちました。「だから正直言えば、画商になった当初は、『現代美術が分からない』というお客さんのことがわからなかった(笑)。どうして、この面白さがわからないのかなぁ?」と。子どもだった山本さんの目から見た現代美術作家たちは、「なんてこの大人はアホなんだろう!」という存在だったのだとか。しかしその不可思議なことに一所懸命だった大人たちはまた、真の芸術を生み出す人々でした。「子どもはできる限り幼いうちに天才に会った方がいいというのが、僕の持論。すばらしい刺激です。その刺激を、頭で考え、言語化するのはもっと大人になってからでいい。昔は5歳から『論語』を素読させたでしょう。まずは身体に入れる。意味は後からでいいんです」。

 進学した武蔵野美術大学は学園紛争のため、2年間ロックアウト。70年の大阪万博、75年の沖縄海洋博を経験し、建築家を目指していた山本さんは、「これからはもっと大きなものを動かさねばダメだ」と都市開発に携わる道を求め、元大蔵大臣・村山達雄さんの秘書となります。業務の合間には事務所にあった大量の本を読み、また専門家である村山先生に質問したりして、美術大学では学べなかった経済学の勉強をしていました。

「大学時代に学生運動同級生達からプチブルだと言われ、初めてマルクスの『資本論』を読んだんです。これが非常に面白かった。僕にとって美術は、どこかで客観的に見るものなんです。美術も価値を生むことだからね。価値を生むというのは、経済活動の大きなテーマです。美術を外側から見る、相対的に見るという僕のベースが明確になったのは、この本がきっかけのひとつでしょうね」。

 マルクスの資本論における「使用価値」と「交換価値」から、美術の価値を説明することもできると山本さんは言います。「その商品と他の商品とを交換する時の価値が、『交換価値』。例えば絵画は、ノートや米といった生活必需品のような『使用価値(実用価値)』はほぼありません。しかし、それが商品となって現れ時間の経過によって稀少性がつくと、『交換価値』になるんです」。

 秘書を辞めて「東京画廊」に入り、30数年。2015年に初めての著書『アートは資本主義の行方を予言する』を上梓したのには、こんな背景があったのでした。

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東京画廊では、韓国の彫刻家、高明根(Koh Myung-Keun)氏の展覧会を12月末まで開催中。

 

《後編に続く》

〈プロフィール〉

山本豊津

日本で最初の現代美術の企画画廊「東京画廊」の創始者である山本孝の長男。
武蔵野美術大学造型学部建築科卒業後、衆議院議員村山達雄氏の秘書を経て、1981年より東京画廊に参画、2000年より代表を務める。全銀座会催事委員会委員。アートフェア東京シニアアドバイザー。日本現代美術商協会理事。武蔵野美術大学芸術文化学科特別講師。
世界中のアートフェアへの参加や、展覧会や都市計画のコンサルティングも務める傍ら、日本の古典的表現の発掘・再発見や銀座の街づくり等、多くのプロジェクトを積極的に手がけている。
その他、若手アーティストの育成や大学・セミナーなどで学生への講演等、アート活性に幅広い領域で活動している。
著書に「アートは資本主義の行方を予言する」 (PHP新書)、「コレクションと資本主義」(角川新書)

 

インタビュー 編集長 島村美緒 文 木原美芽