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株式会社箔一 取締役会長 浅野邦子氏インタビュー 《後編》

2018.06.22
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女性の地に足の付いた視点から、商品を開発

沢箔によるものづくりを模索し、作った工芸品を全国各地のデパートに売り込みに歩いた浅野さん。それは過酷な日々だったと言います。

 「金沢では当初、私の作った金沢箔工芸品は受け入れてもらえませんでした。玉の輿に乗ったと安心している京都の両親に心配をかけたくなくてね、最初の営業先は大阪。そこから名古屋や東京などを回りました。デパートは完全に縦割りの世界。そこへ、銀や真鍮などを作った色箔というよそにない素材を使った工芸品を売り込みましたが、最初はけんもほろろ。デパートで初めて販売できたのは、東京・玉川髙島屋で催された金沢物産展でのことでした」。

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その頃浅野さんは、全国で初めて金箔打紙製法によるあぶらとり紙を開発。これが大評判になります。金箔づくりでは、金を打つときに間に「箔打ち紙」というものをはさみます。2gの金を畳1枚分までに叩き伸ばすために必要なこの紙は、京都の舞妓さんたちが化粧後のあぶら浮きを押さえる「ふるや紙」として愛用されていました。しかし柿渋などが配合されているこのふるや紙は、現代女性の肌には不向き。浅野さんは箔打ちの技法を使って、専用のあぶらとり紙を製造することを思いつくのです。

07.箔一ふるや紙_復刻版ゴールド
伝統の技を現代に活かしたことで生まれた「ふるや紙」。肌ざわりの良さ、吸脂性の高さで今もロングセラーだ

「日常品として使える工芸品や肌に優しいあぶらとり紙もそうですが、その後に作った食用金箔、化粧品など、まずは自分がいいな、欲しいなと思うものを作ってきました。その点は、女性起業家らしさかもしれません」。

女性だったからこそ生まれた、ヒット商品。一方で、女性だったからこその苦労も多々あったそうです。

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「当時、起業する女性は珍しかったから、そりゃ色々ありましたよ。取引先との宴会で『酒呑めー!』、『酒注ぎに来い!』なんて、かわいいもの。『ウチと取引したかったら、この股くぐれ』と言われたこともありましたねぇ。今から思ったら侮辱な話、パワハラですよね(笑)。でもねぇ、イヤだと言うヒマはなかった。心の中で思ってましたよ、“東京に大きなビルを持ってる”、“東名高速道路にバンバン、トラック走らせて作ったモノを売ってる”、そういう会社だって、みんな私みたいなところからスタートしてるんだって。これを乗り越えんと、大きくならん、とね」。

常識に囚われずブランドを作り、それを守る

沢箔を使った工芸品から始まった箔一は、その後、建築材、食用、化粧品、箔加工、材料事業などと事業を拡大。この間、幾多の浮き沈みを経験しながらも、創業から40年を越えました。現在は金沢本社、東京・銀座ショールームの他、直営店9店舗、カフェ6店舗、また箔貼り体験が出来る「体験処」が2店舗、そして工場5拠点を持ち、直営本店である「箔巧館」は金沢箔の歴史や技術を紹介する観光施設として一般に公開されています。

13.金箔ソフト
食用金箔を1枚被せて大人気となった金箔ソフト。寿や松竹梅などの文字や柄に抜いた箔、アラザンなど、食用金箔のラインも多彩

箔一は自社一貫工場での製造にこだわっていると浅野さんは言います。高い技術力を内部に保持し、製品のすみずみまですべて自社で責任を持つにはそれが必須だからです。

12.成田空港国際ターミナル
成田空港国際ターミナル内の箔装飾。手技を活かした技法と提案力で、ホテルやレストラン、交通機関などに、多くの建築装飾を納めている

「うちには外注の職人さんはいません。すべて、雇用した社員。社員には安定した生活の中でいいものを作って欲しい。そうでなければ、金沢箔のすばらしい技術をさらに高めながら残すことができませんから」。

京都から金沢へ来たヨソ者なのに、素人なのに、女性なのに。そういくら叩かれても決してへこたれなかった浅野さん。夫の実家である箔屋の本家から縁を切られたことは、さすがにつらかったと言います。しかし「意地を通せば、実績や」と孤軍奮闘から始まった金沢箔工芸品は、いまや地場産業のひとつとしてなくてはならない分野となりました。

「でもね、伝統というのは、ブランドというのは、一瞬で消えるんです。私ね、1回だけ不良品を出したことがあったんです。それを現場が黙っていたものだから話がこじれ、約14億円の損失になりました。これは身をもって危機管理を学ぶいい経験でしたね」。

だからと、浅野さんは笑いながらこう言います。「時々社員をこう叱るの。『売上を取るのと、ブランドを守るというのは、まったく違うんやて! 甘い仕事で箔一の名前を汚さんといて!』ってね(笑)」。

2009年には社長を息子の達也さんにゆずり、事業承継もつつがなし。自身は2016年に経団連審議員会副議長に就任。地方から日本の経済界を変えるべく、積極的な活動を行っています。

「推薦していたただいて入った当初は、大企業ばかりの経団連で私に何ができるのか?と、正直、困惑しきり。でも地方で起業した女性で、現在は中小企業のオーナーである自分だからこそ、言えることもあるのだと今は分かっています。そのお役目をまっとうしなくてはね」。

ものづくりができない企業は絶対に滅びる、と断言する浅野さん。今後は次世代の箔一ブランドを構築する人材の育成が使命だと語ります。女性ならではの視点を活かしながら経営者として着実な成長を遂げ、常識に囚われることなく新しい産業とブランドを生み出したそのパワーは、桁外れ。新風を巻き起こしてきた歩みは、まだまだ留まることを知りません。

 

 

 

<プロフィール>

浅野邦子(あさの くにこ)

京都市生まれ。1975年、箔一創業。金沢箔を使った商品を提案し、「金沢箔工芸品」という新分野を生み出す。76年、全国で初めて金箔打紙製法によるあぶらとり紙を商品化、特許取得。77年、株式会社箔一を設立し、代表取締役社長となる。2009年、代表取締役会長に就任。日刊工業新聞優秀経営者顕彰「女性経営者賞」、通産省ニュービジネス協議会「レディスアントレプレナー賞」、経済産業省「ものづくり大賞優秀賞」など多数受賞。2016年、経団連審議員会副議長に就任。
http://www.hakuichi.co.jp

取材/島村美緒(プレミアムジャパン編集長)、文/木原美芽、写真/山村隆彦(人物)