オーストラリアで、最良のワイン造りを続けるワイン醸造家、小林敦子《前編》

2018.01.19
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ご自身のワイナリー SMALL FORESTにて

6回目のゲストはオーストラリアで、日本人初のワイナリー経営者となった小林敦子さん。2013年12月、アッパー・ハンターバレーにご自身のブランド「Small Forest」を設立。2012年からは、IWC(International Wine Challenge)のSAKE部門におけるジャッジに任命され、日本酒を世界に発信する活動も行っています。ワインと日本酒造りを経験した日本人初となる類い希なるワイン醸造家、小林さんにこれまでの経緯やワイン造りに対するこだわりを伺いました。

 

―オーストラリアでワイナリーを経営するまでの経緯を教えてください。

大在学中は、就職についてあまり真剣に考えておらず、近くの協和発酵に入社しました。大学で醸造の勉強をしていたので、酒類の研修室に入りたかったのですが叶わず、品質管理課で働きました。とてもいい会社でしたが、3年間勤めた頃に、農大の同級生が関わっていたワイナリーの生産量の拡張に伴い勤務することにしました。3年後にそのワイナリーを辞め、仲間と3人でワイン造りのコンサルタントを始め、宮崎の都農ワインなどを手掛けました。現在のように情報が自由に入ってこない時代に、ワイナリー設計、免許申請からワイン造りや販売までの コンサルタントはその当時珍しかったと思います。その一環で、フランスに渡り、収穫期に働きました。その後、季節が逆のオーストラリアへ収穫時期に行くようになりました。


―では最初からオーストラリアを目指していたわけではないんですね?

ーストラリアは、ワイン造りの技術では先端を走っていたこと、また季節が逆なことも理由の一つです。現地で1999年にローズマウントエステート(Rosemount Estate)というオーストラリアで当時5番目に大きな会社からオファーがあり、これもご縁かなと思い、1年間勉強することにしました。そして入社してみて驚いたのが、とにかくワイナリーの人たちがよく働くこと。ついていくのがやっとで、これだけやらないとこうはなれない、ということを実感したのです。


―オーストラリアというとのんびりしたイメージなので意外ですね。

にかくいつも忙しいんです。もちろん波はあって、収穫時期が最多忙ですが、いつも3交代シフトでした。次第に慣れてくるようにはなりましたが、こういう厳しい働き方は日本では経験できないと感じて、オーストラリアに残ることにしたのです。日本に帰らないと伝えたら大騒動になりましたが(笑)。 私はいつもこのパターンなのですが、ある意味自分で退路を断ったと言えますね。

ローズマウントエステートでは7年間働きました。会社が大きくなり、合併、最終的に大手ビール&飲料メーカーのフォスター(Foster)に買収された翌年の2006年に辞めました。その後は1年休憩を取り、収穫時期のワインメーカーとして近所の仕事を請け負ったりして、パートタイムで働いていました。

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―その後日本に一時帰国されたのですよね?

2008年暮れに、宮城県の浦霞という日本酒メーカーの社長から仕事のオファーを頂いたんです。日本酒にはもともと興味はありましたが、30年前には女性が入れる業界ではなく、それが伝統だと思っていました。それが回りまわって、日本酒メーカーで働くことになったのですから人生はわからないものです。オーストラリア人の夫が賛成してくれたこともあり、翌年から単身で塩釜に住み始めました。1シーズンでは何もわからないので、2シーズン、18か月。そのころにはもう女性が蔵に入れることになっていました。夫は電気技師。ローズマウントにいたころに知り合ったので、ワイン造りについては理解があります。スケジュールがめちゃくちゃ、12時間は最低働いているので、それがなければ続けてこられなかったと思います。

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―オーストラリアに戻られてからは?

さなワイナリーで働きはじめたのですが、半年後オーナーがそこをブリスベンを本拠地とするマラバー(Malabar Coal) という鉱山会社に売却してしまったのです。オーストラリアには質の良い石炭があるので、鉱山会社がたくさんあります。この鉱山会社はスティールを作るための石炭を掘り出します。現存のすでに露天掘りをしている鉱山は、発電の燃料になる石炭です。露天掘りではなく地下堀で石炭を発掘するので、この地域の現存の農業との共存が出来ることを目標に、新しい鉱山の開発を目指していました。畑もその一部なので、面倒を見ていきたいと。それに鉱山があればその土地には仕事が生まれていきます。そしてマラバーから、自分でワイナリーをやってみないか、というオファーが来たのです。でも資金がない。ローズマウントは、誰もが誇りを持って働いていた会社でしたが、合併や買収のため2006年にこの地から撤退し、別の州に移転しました。ワインを造っていた人からぶどう栽培農家まで、みんな仕事を失ってしまい、町がさみしくなっていくのが辛かった。それがきっかけでSmall Forestを始めることにしました。資金なしで。


≪後編に続く≫

小林敦子

オーストラリアにおける日本人初のワイナリー経営者。IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)日本酒ジャッジ 兼 ワインジャッジ。農大を卒業後、協和発酵に就職。その後、退職してワインコンサルタントとして活躍しながら、フランス(ボジョレー、ムルソー、ボルドー)やオーストラリア(ミルデュラ、クナワラ、ヤラヴァレー、西オーストラリア)でワイン造りの経験を積む。その後、オーストラリア・アッパーハンターバレーに当時あった大手ワイナリー、ローズマウント社からの誘いを受けて移住。2009年には日本に一時帰国し、18ヶ月にわたり宮城県・塩竈にある「浦霞醸造所・株式会社佐浦」で蔵人を担う。オーストラリアへ戻り、日本酒のコンサルティングを行うかたわら、2013年12月にアッパーハンターバレーにワインブランド「SMALL FOREST」を立ち上げる。
http://smallforest.com.au/
日本での問い合わせ先:株式会社ヴァイアンドカンパニー https://www.vaiandcompany.com/

インタビュー・文  編集長 島村美緒