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クルマという作品、クルマというメディアで、僕じゃなくちゃ、できないことを。山本卓身 《後編》

2018.03.15
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28歳になる頃、目標としていたメーカーのデザイナーに
ジョー・シトロエンに入社した時は、本当に嬉しかったです。市販車やコンセプトカーをデザインし、その仕事自体はとてもやりがいがあった。でも、だんだん違和感に気付きはじめたんです。夢を実現したはずなのに、「何だろう、この“これじゃない感”」はと。僕は、スーパーカーを作るためにカーデザイナーになるのが夢だった。だから、カーデザイナーという“職業”に就くのは手段でしかなかったのに、その目標を長く追っているうちに、それが目的化していた。それを認めるのに、5年かかりました。




プジョー・シトロエン時代


その頃、各メーカーはスーパーカーを造っていたのですか?
時は、市場が非常に冷え込んでいましたので、スーパーカーを製造するメーカーはほとんどありませんでした。その一方で、メーカーは「最近の子どもはクルマが好きじゃない」なんて言う。そんなの、僕にしたら当たり前です。「子ども達が憧れを持つような強いメッセージを、クルマで表現しなければ」という話を、ずっと社内でしてきました。世界全体での自動車の生産台数は伸びているんです。ただ、売れるクルマは実務的なものが多く、憧れをかき立てるクルマは多くはありませんでした。やっとこのところ、僕と同世代のデザイナーたちがメッセージ性のあるクルマを発表するようになりましたね。一般車のデザインプロジェクトには、10名ぐらいの才能あるデザイナーが一同に集まってしのぎを削るわけですが、近年は特にブランド・コントロールが厳密になってきて、そこから外れるモノは作れない風潮になってきて。それがちょっと違う気がしてきていましたし、造る側として規制が増えるということはプロの仕事としては仕方のないことですが、自分が信じる、自分が生きるフィールドが他にあるのでは?と思うきっかけとなりました。その時に、「ゲームのためのクルマ」という発想が浮かび上がってきたのです。


ゲーム『グランツーリスモ』 

 その当時、僕は独立して自分でビジネスを回し、その資金で自分が好きなクルマを造ろうと思って準備していたんです。でも自動車業界を離れるのなら、その前にやり残したことはなかったか?と考えた。そう、スーパーカーをデザインしていなかったんです。そこで「スーパーカーをデザインできる環境づくり」を練りはじめます。その頃、大学時代の親友が『グランツーリスモ』シリーズの企画・開発・制作を行う「ポリフォニー・デジタル」に勤務していて、彼を通じて社長に会う機会があったんですね。社長と握手した時に、ひらめいたんです。「この出会いを、ただの握手で終わらせてはいけない」って。そこから、2年間、企画書を練りに練りに練り込みました。

 

その場で、フラッシュアイデアレベルでも「ゲームから生まれたクルマ」というお話はされなかったですか?
一切、しませんでした。PSAプジョー・シトロエンとポリフォニー・デジタルという二つの会社を巻き込むプロジェクトですから、慎重にかつ完璧な計画を目指しました。最終的に、企画、資金集め、デザイン、PRなど、すべてに関してゼロから自分で関わらせてもらいまして。結果「これこそが、自分のビジネスモデルのプロトタイプだ」と実感しました。ただデザインを突き詰めるのではなく、終始一貫して関わってクルマを世に出したいんだ、と。

 

怖さはありませんでしたか。
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T by シトロエンのプロジェクトは、自分自身のプロジェクトでしたから、100%フリー、何をやってもいいわけです。嬉しかった一方、めちゃくちゃ怖かったです。リリース後の、カーデザインや仕組みへの評価、すべてが僕に返ってくる。だからこそ、「自分が信じることをやる」しかないと腹が据わりました。その頃からですね、「自分は、自分」という姿勢がしっかり固まったのは。

 

昨年の独立は、まさに「自分」になられたことを強く意思表示された機会ですね。
立後の僕は今、大きく3つの方向性を持っています。ひとつは、作品としてのクルマづくり。2つ目はオーダーメイドカーの制作。そして3つめがクルマ以外のプロダクトデザインです。まずは作品づくりですが、クルマは僕にとって、彫像であるとも言えるんです。画家が油絵の具を、彫刻家が木や石を使うように、カーデザイナーは、クルマを使って表現するわけです。カーデザイナーを目指しはじめた9歳の時、僕はデヴィッド・ボウイに衝撃を受けました。独立の話がまとまりはじめた時、デヴィッド・ボウイにコラボしたいと猛アタックを掛けたんですが、デザインを始めた3週間後、彼は亡くなってしまいました。「夢は叶えられる」と信じ、それをひとつひとつ実現してきた僕にとって、初めての辛い体験でした。しばらくは茫然自失でしたが、やはり彼のためにクルマを造りたいと思い直し、現在もこのプロジェクトを継続しています。2019年1月には、フランス・パリでの発表を計画しています。ただこのデヴィッド・ボウイに捧げるコンセプトカー「db」は走行しません。アート色が強い、まさに彫刻ですね。


デヴィッド・ボウイに捧げるコンセプトカー「db」

 オーダーメイドカーの方は、まだ市場が明確にありません。「そもそも、そんなことができるのか?」と思う方がほとんどでしょう。ですからまず実際にクルマを世に出して認知してもらわなければなりません。完全なフルデザインの場合、2年ほどで完成可能です。もちろん、ものすごく精巧な機器が重なり合ってできる奇跡のような製品ですから、非常に難易度は高いですが、それを実現できるチームと組んでいます。3つめのクルマ以外のデザインですが、今はボートや家電、ドローン、新しいところではAIへのデザイン教育などの依頼をいただいています。将来的には列車のデザインもしたいですね。小田急沿線で育ったので、ロマンスカーは僕のヒーローでした。子どもの頃から人一倍、思い入れがあるんです。小さい頃にあれを見るといつも、すごく幸せな気持ちになった。これはロマンスカーに限らず全てに言えることですが僕の人生を豊かにしてくれたオブジェクトのデザインに関わって、次世代にメッセージを届けたい。だから、ピンポイントですが(笑)、ぜひロマンスカーをデザインするチャンスを得たいですね。

 

一気に活動が幅広くなられますね。
は、僕以外の人間にはなれない。だから、ピンポイントでもやりたいと思うことを大事にしていきたいのです。そこが強みでもあると思う。ニッチでもいい、自分が感じるその瞬間を最大出力することで、強いメッセージが生まれる。クルマから派生する活動もありますが、全てのプロジェクトに共通して自分の仕事は自分の信じる創作を通して次世代を元気にするメッセージを送ることだと思っています。それが僕にできる社会還元だと信じているのですから。

 

山本卓身

1973年東京都生まれ。東京造形大学工業デザイン学科卒業後、カーデザインコンサルティング会社に勤務。2000年、イギリス・コヴェントリーのコヴェントリー大学大学院オートモーティブ・デザイン学科に入学。在学中のコンペで首席を取り、在学中にプジョー・シトロエンへの入社が決まる。2001〜2006年、プジョー・シトロエン コーポレーション&アドヴァンス・デザインスタジオでエクステリア・デザイナーとして勤務。2006〜2012年、スティル・シトロエンで市販車やコンセプトカーなどのデザインを担当。2008年、オンラインカーゲーム『グランツーリスモ5プロローグ Spec III』内で、GT by シトロエンを発表。同年のパリ・モーターショーで実車が展示された。同車はルイ・ヴィトン クラシック コンセプト アワード 2008/09を受賞。2012年、『グランツーリスモ』シリーズの企画・開発・制作を行う「ポリフォニー・デジタル」に移籍し、ヨーロッパスタジオ・デザインディレクターに就任。2017年1月に独立し、Takumi YAMAMOTOを設立。オーダーメイドカー、ハイパーカーのデザインやクリエイションをメインに、ボートやロボット、家具、工業製品など、幅広いデザインを手がける。
http://takumiyamamoto.com/works/db.html

 

《前編はコチラ

 

インタビュー 編集長 島村美緒 文 木原美芽 
(撮影協力:ブルガリ 東京・大阪レストラン)