ドキュメンタリー監督、ロイター・ニュースアンカーとして、グローバルな視点で世界に発信し続ける我謝京子さん《後編》)

2019.04.09
後1

ニューヨークで日本人女性の感性をいかした報道やドキュメンタリー映画作りで評価されている我謝京子さんに後編ではドキュメンタリー映画について、お話しいただきました。

最初の映画がニューヨークで頑張る日本人女性をテーマで製作したのですね。

2001年の9月11日全米同時多発攻撃以降、私のアパートは閉鎖となってしまいました。つまり、9月11日、突然、私と娘は着る洋服はもとより、パジャマも下着も歯ブラシもなくなってしまいました。そんな困っている私たちを、たまたま9月11日のお昼に初めて会う予定だった日本人女性が中心となって、助けてくださったのです。そしてこんなにも多くの日本人女性が力強くニューヨークで生きているのだなと改めて実感したのです。ですから、いつか元気になったら、彼女たちに取材して、ドキュメンタリーにしたいと思うようになったのです。そして数年後、取材を始めてみると彼女たちは、不思議なことに皆、自分の人生を母親の人生と比較して話すのです。この過程のなかで、私のドキュメンタリーの縦糸は母と娘の関係、そして横糸はニューヨークに住む日本人女性たちという、タペストリーのようなものになっていきました。そして最終的に題名は、「母の道、娘の選択」となりました。

1本目が好評で2作、3作目へと続くのですね。

2本目はこの映画について取材された記事を見た日本人女性から依頼されて、311で被災した女性たちに取材することになりました。「311:ここに生きる」というタイトルです。

そして、3本目も不思議なご縁で作り始めることになりました。「311:ここに生きる」は母校上智大学のイスパニア語学科の協力でスペイン語の字幕もつけられ、バルセロナで上映することが決まり、沢山のスペイン人が見てくれました。そのときにこの上映会が「慶長遣欧使節団400周年記念事業」に認定され、これをきっかけに、この使節団のリーダーだった支倉常長とはどんな人物だったのかと調べるようになりました。

すると、支倉常長がスペインから日本に戻る400年以上前、9人から13人の日本人は日本に戻らずスペインにとどまり、セビリア郊外のコリアデルリオという町にはその子孫と言われている人たちがいて、そのうちの600人以上の苗字は「ハポン(日本)」だとというのです。この「ハポンさん」たちの映画をつくりたいという思いがどんどんと強くなり、ようやく2018年の9月に完成しました。そしてありがたいことに、支倉常長の故郷がある宮城県で、2018年の12月に上映することになりました。現地では、支倉常長が子供時代を過ごした川崎町でも上映会があり、お墓参りをすることもできました。ここで知ったことは、なんと支倉常長は日本人で始めて、ヨーロッパでチョコレートを味わった人だということでした。

4本目は?

今後も日本に関連するのを作っていきたいです。次回作は、若い世代と作ってみたいという気持ちが強いです。

映画を作ることで、娘さんとの関係がどう変わりましたか。

娘を、私の人生に巻き込んでしまったという罪悪感がなくなりました。娘を8歳でニューヨークにつれてきたことで無理を強いていたなあと移住当初は罪悪感を抱いていましたが、映画の取材の中で、彼女が「ママが働かないでいつも家にいたら、それはママが本当にしたいことでないからママがママでなくなる」と言ってくれました。子供というのは親以上に親のことがわかっているのだなと思いました。そんな娘自身もだんだんと自信をもって自分の人生を進んでいます。映画が完成すると、かえって自分や娘、そして私の母親の姿も客観的に見ることができるようになり、人生はそれぞれが、壁にぶつかりながらも、もがきながらも、前に進んでいくものなんだと実感できたとき、日本を娘とふたりで出てしまったという私の罪悪感は消え去り、911で被災した心の復興も前進していました。

個人的に好きなことはなんですか。

茶道です。山田宗徧が流祖の宗徧流です。祖母も母もこの流派で、私が生まれたときから、祖母は家で茶道を教えていました。母もその後を継ぎ、私も母に教えられています。実は被災後、母の先生がロイターで鎮魂茶会を開いてくれました。そこであらためてお茶を通じて心が和むことを実感しました。今では、私は、ニューヨークで日本人、米国人や中国人、フランス人など世界各国の人にお茶を教えています。ブルックリンの桜祭りでもお茶会を催したところ、2日間で2000人以上がきてくださいました。若い頃は堅苦しいとお茶の世界から遠ざかった時期もありましたが、今はお茶に癒されています。

 

 

<プロフィール>

我謝京子(がしゃ きょうこ)ドキュメンタリー映画監督 ロイター・ニュースアンカー

1963年東京都生まれ。1981年にAFSでオレゴン州レドモンドに留学、85年には上智大学在学中にマサチューセッツ州立アマースト校に留学。87年、上智大学外国語学部イスパニア語学科を卒業。同年、テレビ東京に入社し報道記者となる。フルブライドジャーナリストとしてミシガン大学に留学し、92年にジャーナリズムフェロープログラムを終了。93年に帰国し、テレビ東京に報道記者として復帰。その後は、経済番組や自然出産・少子長命社会のドキュメンタリーの製作、ペルー大使公邸人質事件や神戸大震災の復興などを取材。2001年4月に母子単身赴任で、ロイター社のテレビレポーター&プロデューサーとして赴任。同年9月11日、米同時多発攻撃事件で被災する。04年、フォーダム大学教育大学院を卒業。米ニューヨーク州公立小学校の教職免許取得。05年から映画監督としてドキュメンタリー映画『母の道、娘の選択』の制作に着手する。ニューヨークで生きる道を選んだ日本女性の生き方を克明に収めた同作品は09年に完成し、マイアミ国際女性映画際、東京国際女性映画祭、チュニジア国際映画祭、台湾女性影展など数多くの映画祭で上映された。また、同作品は2010年度ニューヨーク国際インディペンデント映画祭において「観客賞」と「最優秀文化ドキュメンタリー賞」をダブル受賞。これは、日本の女性監督史上、初の2冠達成である。さらにニューヨーク女性記者会からはフロントページ賞を受賞した。2011年には、東日本大震災後の女性たちの心の復興を取材した「311:ここに生きる」を公開。2018年には、スペインを舞台とした「ハポンさん」を完成した。現在、ニューヨークで担当している番組の「ロイター・マーケット・レポート」と「ロイター・ビジネス・ウィークリー」は、ロイターのウェブサイトやヤフー、TBS系の24時間チャネル「TBSニュース」で放送されている。

 

取材・文 伊藤 操(いとう みさお)

繊研新聞ニューヨーク通信員、日本版「ハーパース・バザー」編集長を務める。現在は、ライター、アートプロデュサーとして東京とニューヨークで活動。著書;「ティナの贈りもの」「ダナ・キャランを創った男。滝富夫」「私をみつけて」「あなたを待ちながら」「Waiting For You」「NY失恋MAP」