2011年2月、たった一人で「㈱温故知新」を創業した松山知樹氏。2015年に運営を請け負った初の施設「瀬戸内リトリート 青凪」は話題を呼び、多くの賞を総なめにした。その後も、玉野競輪場に併設する「KEIRIN HOTEL 10」や、世界初のオフィシャル・シャンパン・ホテル「Cuvée J2 Hôtel Osaka」などで新風を巻き起こし続けている。現在、手掛ける旅館とホテルと飲食店は15施設、社員数も400名を超えた。破竹の勢いで成長する同社の代表取締役 松山知樹氏に話を聞いた。
コンサル会社から旅行業界へ
松山氏は、東京大学大学院を修了すると、ボストン・コンサルティング・グループに続いてドリーム・インキュベータに入社する。その後、業種をガラッと変えて、星野リゾートという旅行業界に転職した。
「コンサルティングは助言が主な役割となる場合も多く、その後の実行はクライアントに委ねられることが一般的です。自分は結構、真面目な性格なので、結果までコミットできない仕事はどうなんだろうという思いが胸の中にありました。
できればリアリティのある業界がいいなと思っていたところに、たまたま星野リゾートにご縁があったのです。リアルな業界を探していた当時は、パン屋の社長をやらないかというお誘いもありました。そちらを選んでいたら、随分と人生は変わっていたでしょうね(笑)。」
旅行業界はサービス産業であり、ドメスティックでもある。かつていた業界との間のギャップはなかったのだろうか。
「外資系のコンサル会社にいたとは言っても、主に国内企業を担当していました。ですから、それほどギャップは感じなかったです」
5年ほど籍を置くことになる星野リゾートで、最初に着手したのは意外な仕事だった。
「最初は客室清掃の効率化に取り組みました。掃除のマニュアル作りです。
どういう風に部屋を回るか、ゴミ回収のやり方とか布団やシーツを入れるタイミングとかの手順書です。というのは、星野リゾートは清掃も社員自らが行うからです。ホテル業の中で清掃は、とても地味ですが大事な部分。何を参考にして手順書を作成したかと言うと、自動車工場のマニュアルです。これは面白くて、例えば、ある工程で「右手で回す」という指示があったとしたら、左利きの人でも右手で回す、それがマニュアルの世界なのです。そういう視点から清掃のノウハウを蓄積していったのが、星野での最初の仕事です」
自動車会社のマニュアルを援用するところが、松山氏の発想の斬新なところだ。
「自動車メーカーの考え方が、マクドナルドに行き、コンビニにも行きました。チェーン展開をしているような会社では、考え方は基本的にみんな一緒です。同じやり方を複製していって、上手い人と下手な人の差が開かないようにする。属人化することを極力排していくわけです。さらに言えば、3人で出来る仕事を5人でやらせたら、ゆっくりやるだけですよね。ですから、究極的にはどのようにして適切なシフトをどう組むか、なのです。つまり、いかに適切な仕事量に対して、適切なリソースを配置するか、ということです。
ある仕事に対する最適な人数配置、それがいちばん重要なポイントで、清掃の手順はシフトの先の話となります。最初は清掃に関わっていましたけれど、すぐに旅館運営の仕事をやるようになりまして、10軒ぐらいの旅館の運営を見ていました」
創業の一カ月後に東日本大震災
「温故知新」の創業は2011年2月だが、いかなる考えのもとに、この社名にしたのだろうか。
「会社を創った当時は、ホテルというよりは温泉旅館の再生がメインのものとして頭にありました。だから、温泉の温が入っている言葉がいいと考えました。そして、故きをたずねて新しきを知る――温泉旅館を次の時代につないでいくのにピッタリの意味だなと思ってこの社名を選びました。いま関わっているプロパティがすべて温泉宿というわけではありませんが、ベースには温泉旅館の発想があります。どんな部屋にでも露天風呂をつけてしまう、みたいなことですね(笑)」
ところが、起業した翌月に東日本大震災が起きてしまう。
「会社設立から1ヶ月後に震災が発生し、事業は大きな影響を受けました。随分と苦労はしましたねえ。でも、いま振り返ってみると、商売にとって良くない時期に苦労をしたことは大事なことだったなと思います。なぜなら、ちょっと悪い時期に当たるとアッという間にうまくいかなくなってしまいますから」
社員はまだいなかったのが幸いした。
「社員は私一人でしたから、会社にはあまり損害は出ていません。社会全体が混乱の中にあり、通常の事業環境ではありませんでした。その後は逆に、震災復興に関連するご相談やご依頼を多くいただき、ひたすらそれをこなす感じです。具体的には、被災したホテルや旅館の再生・復興計画を作る仕事で、ある種のコンサルティングでした」
潰れる旅館も多かったのではないか。
「復興支援の場合は特殊スキームでした。債務負担の調整などを通じて事業を立て直すための時間が確保されました。その結果、厳しい状況にあった旅館やホテルが再生へ向かう動きも生まれました。
震災復興のプラン作りにプラスして、売り上げを上げるための実行支援、旅館運営のサポートを行いました。会社を創ったときに、社業としてやがては運営をする心積もりがあったので、先々につながるだろうとは思っていました」
1軒目の「瀬戸内リトリート青凪」は賞を総なめ
そこから本格的に施設運営に携わることになるのだが、最初に手掛けたプロパティはインパクト充分だった。
「会社を創ってちょうど5年目のことで、たまたま最初にご縁があったのが、『瀬戸内リトリート 青凪』です」
あの海に抜けるプールで有名な、安藤忠雄氏が設計した宿である。
瀬戸内海が一望できる「瀬戸内リトリート青凪」
「しかし、開業してからが大変でした。新規の施設で、7部屋しかないホテルですから、どう頑張ってもすぐには黒字になりません。最初の一年ほどは、本当に乗り越えられるのかと思うほど厳しい時期でした。やってもやっても赤字ですから、収入を得るどころか、事業継続のために資金を投じ続ける状況でした。働いたらお金を入れなきゃいけないという状態ですね。とは言え、焦りとかはなかったです。『自分がやってもムリだったら、ムリだよね』みたいなところがあるんですよ。自分のできる限りの手は尽くしているという感覚はありましたし、これまでの経験に裏打ちされた、乗り越えられるという確信がありました。ワケの分からない自信みたいなものです」
成功する創業者は、決まって、ある種、楽天的なものだ。
「まあ、根拠がゼロというわけではないです。一応、いろいろな社会人としての経験もあった上での話ですから。とりあえず、目先の資金繰りだけはちゃんとしておいて、いずれはきちんと黒字にはなるだろうと。ただ、銀行での資金調達の難しさは痛感しました。事業の継続に向けて、関係者やご縁のある皆さまから幅広いご支援を賜りました。」
「その当時、株主になってくださった皆さんには恩返しをしなければなりませんから、出資してくださった人が株を売ろうと思えば売れるような状態にしてあります。苦しい時に、いろんな人に助けていただきました。一応、その恩返しは出来たかなとは思っています。」
礼文島から五島列島までの多彩なプロパティ
いま現在、北は礼文島から南は五島列島まで、様々なプロパティに関わっている。どのように選択しているのだろう。
「多くのご相談をいただく中から、当社の理念や地域との親和性を踏まえて取り組む案件を選定しています。その上で、ちゃんと持続可能かどうか、数字がきちんと回る施設かどうか、もちろんそれは計算しています。礼文島の『三井観光ホテル』に関して言えば、そこにホテルを出そうとはまったく想像もしていませんでした。話が来たときに、社員に『礼文島ってどう思う?』と聞いたら、それは当社らしい挑戦で、ロマンがあるのではないか、という声が上がりました。
雄大な利尻富士を眺めることができる「礼文観光ホテル 咲涼」
もともと壱岐で『海里村上』(現在は『壱岐リトリート海里村上』)とかを運営していましたから、ある種、温故知新らしい場所なのかなと思い直して、結果、やることになりました」
礼文島は稚内市の西方60キロの位置にある。日本海に浮かぶ最北の離島だ。陸地からはフェリーで2時間もかかる。一体、どんなゲストが来るのだろう。
「いわゆるツアーの旅行客がほとんどです。世界中行ったし、海外は疲れるから日本国内で行ったことのないところに行ってみよう、という感じですね。真冬を挟んで、11月から4月までは閉めています。2025年には、新入社員の入社式をそこで実施し、その後は現地に滞在しながら、実務を通じて経験を積んでもらいました。一生そこでやるという話じゃなくて、長くても10月までで、早い人は8月ぐらいからよそに異動しますから、期間限定の研修です。逃げたくても逃げられない場所でしたが(笑)、一人も辞めていません」
社是は地域文化を盛り立てること
当社は地域文化を盛り立てることに極めて意識的だ。
「礼文島などはその最たるものです。このホテルが、地域の存続にとって重要な役割を担っていると感じます。やっぱり、ホテルや旅館というのは地域貢献なんだなということがリアルに感じられる場所です」
他の施設では、具体的に地域の産業とどのような取り組みをしているのか。
「まず食材がそうです。地産地消と敢えて謳うまでもなく、普通に仕入れたら地域から仕入れることになります。タクシー会社との関係も密になりますし、離島へのツアーもあります。地元の人が通うレストランの紹介や、地元の職人を招いてのクラフト制作体験などもやっています。施設の中にいると社員同士の会話で終わりになってしまいます。だから社員には、『なるべく外の人と会うように』と言っています。外で話しているうちに、いろんなアイデアが出てきて、新しいものが生まれてくるものです。
それを私たちは、『地域との共創』と呼んでいます。
それを意識的にやりたいと考えていて、今度、社内で『地域共創アワード』を作って、競わせようと思っています。そうした旗印があったほうが、みんなやる気になりますよね」
ホテルや旅館が、「自らは地域のショーケースである」という意識を持つことは、とても大事なことではないか。
「ホテルは特に何もしなくても、よそから来た人が宿泊できるというだけで社会貢献にはなっているのでしょうが、社会貢献を意識的にやることが大事だと思うのです。既存の市場を奪うのではなく、新しい市場を共に創出していくことです。その結果、社員が誇りをもって働けることにつながるし、またそういう意識のある施設だということで温故知新のホテルを選んでくださるお客様も出てくるのかな」
もちろん、イベントも大いに開催される。
「お越しくださった方には、ここにいらっしゃれば地域のものがまとめて見られる点が良いと思います。その意味では、地域の方と交流できるイベントは各施設でやっていますね。生産者に語ってもらう会とか、ワインの生産者の会などは分かりやすいです。長野県・白馬の『ホテル ラ ヴィーニュ 白馬』などは、開業して一年なのに、もう4、5回、ワイン会をやっています。
四季それぞれの自然と戯れることができる「ホテル ラ ヴィーニュ 白馬 」
「ホテル ラ ヴィーニュ 白馬 」でのワイン会。ワインメーカーズディナーなど、趣向を凝らしたワイン会を定期的に開催している。
地域の良いものを知ってもらう場としてホテルを活用していただきたいのです。そういう地道な積み重ねが社会貢献につながると思います」
年間5軒ずつ増やしていく計画
温故知新はホームページ上で「業績推移」をオープンにしている。そこでは、売上、経常利益、当期純利益、総資産、固定負債、運営施設数の推移……などを誰でも知ることができる。
「一応、上場を目指したときもあったので、会社の数字は出しています。とは言え、もっと沢山の利益を出している会社は山ほどあるわけです。良くも悪くもこのぐらいの数字ですと、実態を公開しているということです。上場企業ならば、普通にオープンにしているわけですから、特別なことをしているとは思っていません」
一人で始めた会社は、現在、社員数が400人を超える。14年で400倍に成長した。
「特にこの数年、運営施設が増えると人が増えます。元になっている施設の母数が小さいので、一気に倍になったように見えるんですが、このまま倍々ペースで行くわけではありません。ただ、今後、施設は年間で5軒ずつ増やす計画ではおります。実は、今後の社の成長のために、資金調達も実施しました。
施設の一個一個を丁寧に作っていって、小さいままオーガニックに成長していく選択肢もありました。しかし、外部から億単位でお金を入れるということは、会社をもう少し大きくしていく方向に舵を切ったわけです。
それを言い換えれば、ある種の覚悟がいるのですが、会社がきちんと持続性のあるものになるということです。ちゃんと施設を増やして、それに見合う仕組みを作って、結果的に大きな社会貢献ができるようになる、そういう選択です。それが今年決断した大きな覚悟となります」
宿泊施設をめぐっては、ファンドやM&Aが極めて活発に動いている。持ち込まれる案件も多いのだろう。
「岡山県玉野市の玉野競輪場内に併設して作った『KEIRIN HOTEL 10』や長崎県五島の『五島リトリート ray』、この辺が出来たのがコロナ中の2022年です。その頃から運営施設の案件はどんどん入ってくるようになりました。最近は、ありがたいことに多数のご相談をいただいており、体制強化が課題になっています。
10個を吟味するだけならいいですけど、100個になり1000個になる。そして実際には、必ずしも良い順から選べるわけじゃなくて、いろんな事情で選ばれるわけです。組織として対応力をさらに高めていく必要があります。それが直近の悩みではありますね」
岡山県玉野市に位置する日本初のスタジアム一体型ホテル「KEIRIN HOTEL 10」
長崎県福江島の海辺に立つ「五島リトリート ray」
みんなが幸せになるために
外資系にも在籍したところからドメスティックな業界へと急転回した松山氏は、「日本の美意識」をどのように捉えているのだろうか。
「品質に対する責任感の強さじゃないでしょうか。海外に行くとよく分かりますが、日本は、一個一個のものの出来栄えが異常なほど素晴らしい。ちゃんとしたものを作りたいという意識がこれほど強い民族が世界の他にあるのだろうかと思います。
細かいところまで行き届いている感じです。モノづくりに関しては、本当に凄いです。それが行き過ぎていて、いいモノさえ作れば認めてもらえるという甘えが強いという側面も、逆に日本人にはあるように思います。その先は、ブランディングの問題で、欧米のようにちょっとしたことをさも凄いことのように言い換えることも大事です。ここは重要なポイントなので、うちの会社はしっかりとやっています。良いものでもそれが伝わらなければ、結局は良くないものになってしまいますから。
それは地域活性化のポイントでもあって、新しいものを生み出すというよりも、今あるものを言い換える、あるいは良さや光を見つけることです。それはハッタリではなくて、みんなが幸せになるための方法なんですね」
松山知樹 Matsuyama Tomoki
1973年デトロイト生まれ、18歳まで大阪育ち。1998年東京大学大学院修了・都市工学修士。同年㈱ボストン・コンサルティング・グループ入社、2000年ドリーム・インキュベータ創業に参画。2005年㈱星野リゾート入社、2007年より取締役。2011年2月㈱「温故知新」創業。
島村美緒 Mio Shimamura
Premium Japan代表・発行人兼編集長。外資系広告代理店を経て、米ウォルト・ディズニーやハリー・ウィンストン、 ティファニー&Co.などのトップブランドにてマーケティング/PR の責任者を歴任。2013年株式会社ルッソを設立。様々なトップブランドのPRを手がける。実家が茶道や着付けなど、日本文化を教える環境にあったことから、 2017年にプレミアムジャパンの事業権を獲得し、2018年株式会社プレミアムジャパンを設立。
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