文・松山 猛
ドイツ時計の進化を支えた、世界的ブランドを築いた功労者
カール・モーリッツ・グロスマンは、ドイツにおける科学の都、ザクセンのドレスデンに1826年に生まれた。技術者養成所に入るとその才能を開花させ、当時ドイツの近代的時計製作の先駆者であった、アドルフ・ランゲの弟弟子として才覚を表す時計師となっていった。
時計製造の中心となっていたドレスデン郊外のグラスヒュッテの地に工房を構え、素晴らしく精度の高い、ポケットウオッチや,船舶の航海のためのマリンクロノメーターなどの製作で人気を博した。
また時計世界の人材を育成するための、時計学校を設立し、自ら教鞭をとり後に続く人材を沢山育て上げた、ドイツ時計世界の功労者となった。
だが残念なことに1885年に亡くなり、彼の工房は閉じられてしまったのだった。
そしてその後に、ドイツは二つの世界大戦に巻き込まれ、また時計の世界もポケットウオッチから腕時計の時代に入り、彼の輝かしい功績も、忘れられようとしていたのだった。
第二次世界大戦後、ドイツは東西二つの国家として分断されてしまっていたが、1990年に人々が待ち望んだ国家の統一が実現し、 時計の都市ドレスデンと、それを支えてきた製造拠点のグラスヒュッテに新しい時代が始まったのだった。
「トレンブラージュ」748万円。
新生モリッツ・グロスマンに魅了される理由とは
ドイツ時計ブランドのウェンペや、ランゲ&ゾーネを復興させたギュンター・ブルムラインの下など、ドイツの時計会社でキャリアを踏んだ、クリスティーネ・フッター女史が2008年、モリッツ・グロスマンを再興させるという快挙を成し遂げた。
その新生グロスマンの時計は、やっぱりポケットウオッチ時代のグロスマンのデザインを踏襲したもので、3分の2プレートのムーブメントを磨き上げたものとなった。
松山猛氏が訪れたドイツ・グラスヒュッテにあるモリッツ・グロスマンの工房にて。
以前この工房を訪問したことがあったが、何より興味を抱いたのが、その精密極まりないムーブメントの造りや、中でも何よりシャープに磨き上げられる針の、デリケートさであったのだ。
ムーブメントに社名や、製造番号がエングレーバーによって手彫りされるのも、19世紀のドイツ時計的な味を醸し出している。
そしてテンプのブリッジにはお約束の唐草模様が彫り込まれ、これもまたドイツ時計のデザインの伝統に乗っ取っている。
シンプルな手巻きによる、スモールセコンドの3針モデルが基本だが、自動巻きやトゥールビヨン・モデルなど、様々なバリエーションも生み出し続けてきた。
「パワーリザーブ サーモン」 1078万円。
質実剛健さを伝統として来たドイツの時計の世界だが、クリスティーネさんの女性的な感性がそこに加わり、文字盤の表現などに、繊細な表現が感じられる。
このグロスマンの時計も、日々の時を共に過ごす相棒としての魅力にあふれていると僕は考えるのだ。
「松山 猛 時と人を繋ぐもの」とは
日本の時計ジャーナリストの草分け的存在である、松山 猛さんが心惹かれた時計や人、ブランドに宿る物語を独自の視点で紹介していく連載。
筆者プロフィール
日本の作詞家、ライター、編集者。1946年京都市生まれ。1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。70年代から機械式時計の世界に魅せられ、時計の魅力を伝える。著書には『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など多数。
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