35年以上にわたり政府で住宅政策、まちづくり、土地政策、防災、地方創生などに携わり、現在は日本文化発信機構(JCCO)の理事の活動をはじめ、地域価値の創造に取り組む市川篤志氏は、「これからは地方創生ではなく、地域価値の時代だ」と語る。そこでPremium Japan編集長、JCCO専務理事の島村美緒が、地域の価値こそが日本のチカラになるという視点から、日本の未来について語り合った。
人口減少は問題ではない。問われているのは価値を生み続ける力
市川氏が地域について考える原点には、幼少期の風景がある。
長野県北部の中野市の果樹農家、ブドウ農家の長男として育った市川氏は、大学進学を機に東京へ出て、その後、国土交通省に入省した。30代前半にはパリの国際機関OECDに赴任し、家族でフランスに暮らした。
ある週末、フランス人の友人家族に招かれてノルマンディー地方を訪れた。リンゴ畑が広がる田園地帯。そこで人々はリンゴを育て、シードルを造り、それを蒸留してカルヴァドスにする。そうした営みが何世代にもわたって続き、暮らしの中に自然に溶け込んでいた。
市川氏はその風景に、不思議な懐かしさを覚えたという。中野市のブドウ畑や果樹園の風景と重なったからだ。
市川:あの時、私は「地域の価値とは何か」を考え始めていたのだと思います。
ノルマンディーでは、リンゴを育てる営みが人々の暮らしの風景と重なっていました。文化とは、そういうものだと思うのです。特別に飾られたものではなく、続いてきた営みが暮らしに溶け込んでいるもの。そこに地域の価値があるのだと感じました。
島村:昨今は日本の国力低下が叫ばれています。日本国家としての取り組みも重要ですが、各地域の価値の向上は不可欠ですね。
市川:おっしゃる通りです。私は農村で育ち、霞が関で政策を担い、地方行政を経験し、海外から日本を見て、今また地域の現場に立っています。それぞれの立場から、ずっと同じ問いを追いかけてきました。
地域とは何か。地域の価値とは何か。そして人口減少の時代に、地域はどう価値を生み続けていけるのか、日本にとって重要な課題ですね。
島村:日本の人口減少が招く課題にはどんなことが考えられるのでしょうか。
市川:日本は今、これまで経験したことのない時代に入っています。今後100年ほどで人口は明治から大正期の水準まで減少し、高齢化率は4割を超えるとも言われています。社会の担い手は確実に減っています。
島村:しかし市川さんは、人口が減ること自体を最大の問題とは捉えていないんですよね。
市川:はい。人口減少そのものが問題なのではありません。
本当に問われているのは、担い手が減っていく中で、地域がどう価値を生み続けられるかです。そして、その営みを守り、未来へつないでいけるかどうかです。
私は35年以上、地域政策に携わってきた中で、ひとつ確信していることがあります。結果は現場に現れる、ということです。
制度をつくったから成功ではありません。予算をつけたから成功でもありません。地域で実際に変化が起きたかどうか。そこに暮らす人たちの意識や行動が変わったかどうか。それがすべてです。
島村:それは地方の課題ということで、東京は違うんですか。
市川:地方では人口減少の現実が先行していますが、これは地方だけの話ではありません。東京も同じ船に乗っています。だからこそ、東京対地方という構図で考えても意味がないのです。
島村:地方創生という言葉が広まった頃、「東京から地方へ人を移せばいい」という議論が多かったように思います。
市川:日本全体の人口が減っていく中では、どこかが増えればどこかが減る。それだけではゼロサムゲームです。
必要なのは、人口を奪い合うことではなく、その地域ならではの価値をどう育てるか。そして、それをどう伝えるかだと思います。
私も最近は、「地方創生」という言葉をあまり使わなくなりました。地方を創生する、という言葉には、どこか外から何かを与えるような響きがあります。
けれど本来、地方でも東京でも、地域にはすでに価値があります。自然かもしれない。食かもしれない。文化かもしれない。人と人とのつながりかもしれない。
それを見つけ、磨き、未来へつないでいく。私は「地域価値」という言葉の方が、今の時代にはしっくりくるのです。
観光は目的ではない。地域価値を磨いた結果であるべきだ
市川:観光客を呼ぶために何かをつくるのではなく、地域が本来持っている価値を磨いた結果として、人が訪れる。それが理想だと思っています。
人は観光施設だけを見に来るわけではありません。その土地の空気、風景、食、人々の表情、暮らしぶりにも惹かれているのだと思います。
私が魅力を感じる地域には共通点があります。そこに暮らす人たちが、その土地での暮らしを楽しんでいることです。もちろん、その背景には産業や自然、食や文化、伝統があります。そして人と人とのつながりがあります。
島村:確かに、旅行者の関心は大きく変わり始めていることを実感しています。浅草のような有名観光地には、もちろん世界中から人が集まります。一方で、根津や谷中のような場所に惹かれる外国人も増えています。
彼らが求めているのは、ガイドブックに載っている名所だけではなく、普通の商店街や住宅街、暮らしの気配。自分だけの切り取りを見つけたいという感覚があるのだと思います。
市川:そうですね、AIの時代だからこそ、私は地域の価値がますます重要になると考えています。
AIは知識や情報を広く共有してくれます。けれど、その土地の自然、その土地の食、その土地に暮らす人々との出会いは、そこでしか得ることができません。その場にいなければわからない空気感があります。
AIは多くのことを代替するかもしれませんが、地域の風景や文化、人々の営みそのものを代替することはできません。
AIが発達するほど、逆に地域固有の価値は際立ってくる。私は、AI時代はデジタルの時代であると同時に、リアルの価値の時代でもあると思っています。
日本は宝の山。足りないのは「編集力」と「翻訳力」
市川:日本には素晴らしいものがたくさんあります。まさに「宝の山」です。
自然もあります。食もあります。工芸もあります。祭りもあります。ものづくりもあります。人々の暮らしもあります。
ただ、その価値を世界に伝える力が足りない。私はそれを「編集力」と「翻訳力」だと思っています。
島村:日本の発信力の低さに関しては、常に私も考えていたことです。地域に密着した芸能や文化も、どんな地域でどんな暮らしの中から生まれてきたのか。なぜその土地で続いてきたのか。その物語ごと伝えていくことが必要だと思います。
市川:地域の人にとっては当たり前のことでも、外から見れば大きな魅力であることが少なくありません。けれど、当たり前すぎるからこそ、自分たちでは価値として意識しにくい。
だからこそ、外の視点も必要です。ただし、外の人が勝手に価値を作るのではありません。地域の中にあるものを見つけ、光を当て、現代の言葉に翻訳していく。そこに編集の役割があるのだと思います。
島村:海外ブランドはストーリーテリングが非常に上手ですよね。例えば、オリーブオイルひとつでも「樹齢100年の木から採れた実で作っています」と語る。それだけで、その背景にある風景や時間の積み重ねを想像できます。
日本人は真面目で謙虚なので、自分たちの価値を語ることにためらいがあります。でも、価値を伝えることは誇張ではない。伝えなければ、存在しないのと同じになってしまう。
伝統工芸やファッションも同じです。品質は高い。技術もある。でも、ブランドとしての見せ方、伝え方が弱い。その結果、本来もっと高く評価されるべきものが、安く見られてしまうことがあります。
市川:価値は、存在しているだけでは伝わりませんね。
地域にあるモノやコトは、それ単体で価値を持っているように見えますが、本当はその背景にある暮らしや歴史、人の営みと一体になって初めて価値になります。
ノルマンディーのシードルやカルヴァドスも、単にお酒として存在しているのではなく、リンゴ畑の風景や人々の暮らしと結びついているからこそ魅力がある。
日本の地域にも、同じような価値がたくさんあります。ただ、それを語る言葉がまだ足りていないのです。
文化は「守る」だけでは続かない。必要なのは価値の循環である
市川:私は文化を特別なものだとは思っていません。文化とは、続いてきた営みが暮らしに溶け込んだものです。食も、祭りも、工芸も、伝統芸能も、農業も、ものづくりも、暮らしも文化です。
地域を産業、自然、文化、暮らしと分けて考えるのではなく、一つの全体として見ることが大切だと思っています。
暮らしと寄り添ってきた様々な事、それこそに価値がある。そこに地域らしさがあり、地域の魅力があるのです。
島村:同時に、多くの地域では祭りや伝統工芸、伝統芸能の担い手が減り、継承が危機に瀕しているという課題もありますね。
市川:「守る」という発想だけでは難しいと思っています。
守ろうとするだけでは、作り手の暮らしが立ちゆかなくなる。価値が認められ、選ばれ、適正な対価が支払われる。その循環があってこそ、文化は続いていきます。
文化や伝統を残すということは、過去を保存することではありません。今を生きる人たちの暮らしの中で価値を持ち続けることです。
島村:日本にはその循環を生み出すプロデューサーが不足しているように思います。伝統工芸でも伝統芸能でも、担い手が生活できなければ続きません。職人やアーティスト本人に、制作も発信も営業も全部背負わせてしまっている。
本来は、価値を見つけ、伝え、人をつなぎ、ビジネスとして成立させるプロデューサーが必要です。
市川:作り手や担い手を、ある意味でほったらかしにしてしまっているのかもしれません。
けれど、文化は担い手の生活が成り立ってこそ続いていくものです。文化を未来へつなぐには、価値を見つける人、伝える人、支える人を増やしていく必要があります。
地域を変えるのは「指導者」ではなく「始動者」である
市川:地域には、指示を出す「指導者」よりも、最初に動く「始動者」が必要だと思います。市長や町長でなくてもいい。役場の若い職員でもいいし、地域の住民でもいい。とにかく何かを始める人がいるかどうか。そこが大きいように思います。
地域を変えるのは制度だけではありません。人です。
島村:一つの例として茨城県境町のようなケースもありますね。大胆な教育施策や移住政策、自動運転バスの導入などで、町のイメージを大きく変えました。境町は、特段有名な観光資源があったわけではありませんが、新しい価値をつくり出し、地域のブランドを変えました。
市川:地元の人が参加していないプロジェクトは続きません。
補助金があるから何かをやるのではなく、「自分たちの地域を続けたい」「何とかしたい」という思いが先にあるべきです。
行政が全部やる必要はまったくありません。
むしろ行政は、人と人をつなぐコーディネーターになるべきです。この人とこの人を組ませたら何かが生まれるかもしれない。そういう媒介役こそ、本来の行政の価値だと思います。
市役所や町役場と付き合っていると、「自分たちは行政だから何かをやらなければ」と力が入りすぎて、逆効果になるケースもあります。
行政はプレイヤーである前に、場を整え、人をつなぎ、挑戦を支える存在であっていいのです。
光を当てることで、価値は動き出す
島村:今回、市川さんが日本文化発信機構やプレミアムジャパンアワードの活動に参加いただけたのはどのような理由からですか。
市川:私が関心を持っているのは、文化振興そのものというより、地域価値をどう見つけ、どう伝えていくかということです。価値は、存在しているだけでは伝わりません。光を当てる人が必要です。
プレミアムジャパンアワードも、表彰すること自体が目的ではありません。光を当てることで、その価値を見つける人が増える。応援する人が増える。担い手が増える。
個別のモノやコトだけではなく、それを育んできた地域の営みや文脈も含めて世界に伝えていく。そこに大きな意義があると思っています。
表彰はゴールではなく、始まりだと思っています。
ある価値に光が当たることで、人が集まり、資金が集まり、次の挑戦が生まれる。地域価値とは、固定されたものではなく、見つけられ、磨かれ、伝えられることで動き出すものなのです。
島村:おっしゃる通り、プレミアムジャパンアワードは“きっかけ“です。国内外問わず、日本の美意識が宿る優れたモノ・コト・ヒトと出合うための道標になることを目指しています。
市川:地域それぞれの固有の価値を見つけ、磨き、世界につないでいくことが、これからの日本にとって重要になると思います。
島村:今日はありがとうございました。
市川篤志 Atsushi Ichikawa
1964 年 7月、長野県に生まれ育つ。東京大学法学部を卒業し、1989 年に建設省(現・国土交通省)に入省。その後、大蔵省、OECD(在パリ)、福島県、内閣官房内閣参事官などを経て、国土交通省では政策課長、会計課長、大臣官房審議官(総合政策、土地・建設産業担当)、土地政策審議官などを歴任。さらに、2022 年に内閣官房内閣審議官(デジタル田園都市国家構想実現会議事務局次長)、2023 年からは内閣府地方創生推進事務局長に就任し、政府の地方創生推進の司令塔機能を担う。2024 年 退官。三井住友信託銀行株式会社の顧問に就任。日本文化発信機構(JCCO)理事。
Photos by Toshiyuki Furuya
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