「盛岡市」――日本でも滅多に観光地として名前挙がらないこの都市が2023年1月、米国を代表する新聞The New York Times紙で20年以上つづく今年行くべき場所を紹介する人気お正月企画でロンドンに次ぐ2位に選ばれ、日本はおろか世界中で話題になった。盛岡を同紙に推薦したのはクレイグ・モド氏、現在は日本に住む米コネチカット州出身の作家だ。2024年、いわぎんリサーチ&コンサルティングが行った試算では、この記事が盛岡に与えた経済効果は98億4500万円にものぼったという。
「盛岡」が世界2位の衝撃
「盛岡」ショックの後も翌年には「52 Places to Go in 2024(2024年に行くべき52カ所)」で3位に「山口市」が、そして今年、2025年1月7日発表の「52 Places to Go in 2025(2025年に行くべき52カ所)」では30位に「富山市」、38位に「大阪市」が選ばれている。
大阪市を除く3都市を推薦し、それらの都市を紹介する記事を書いたクレイグ・モド氏は「リストに載ったか否かだけが重要で、本来、順位はそこまで重要ではありません。ただし、やはり皆、順位を気にしてしまいますよね。多くの人が聞いたことがない都市、盛岡が2位となったことで、この年のリストは日本だけでなく海外でもかなり大きな反響を呼びました」と解説する。
このリストは毎年、New York Times紙に関わった世界中のジャーナリストやフォトグラファー数百人から寄せられた多数の推薦文を元に選ばれるという。彼は3年連続で日本の中核都市の知名度を世界的に向上させたことになる。
小さい頃から作家になることを目指していたというモド氏、早稲田大学留学中にインディーズ出版社で働き、作家、写真家、デザイナーとして活躍を始めた後、一時はシリコンバレーのIT企業に勤めるが、やがてシリコンバレーに嫌気がさし再び日本に戻ってきた。


以前はデジタルカメラを使用していたが、最近はネガフィルムに惹かれていると言う。
そんな彼にとって大きな転機となったのが2013年だ。オーストラリア人の友人に一緒に熊野古道を歩かないかと誘われて歩き旅に出た。ここから歩き旅にハマって、日本全国を自分の足で歩く旅を始め「ウォーカー(歩き旅の探求者)」を名乗り始めた。それまでは日本の食文化にも興味がなく、寺と神社の違いさえわからなかったが十数年の歩き旅で大きく変わった。
一体、これまでどれくらい歩いたのか。
「中山道が1回に、東海道が2回。紀伊半島も何千Kmか歩きました。熊野古道は宣伝がうまい中辺路ばかりが有名だけれど、実は他にも伊勢路(いせじ)、大峯奥駆道(おおみねおくがけどう)など6本以上の道があります。ほとんど全部歩きました。他にも山形の六十里越街道、出羽三山、松尾芭蕉の奥の細道、山口の萩往還、四国の龍馬脱藩、塩の道も…」。
日本人でもなかなか知らない街道の名が次々と挙がってくる。
2016年には、ライカとのコラボレーションで熊野古道の写真集『Koya Bound』が出版された。
だが、モドが自ら代表作とするのは2020年に1,000km以上の中山道の歩き旅と、そこで出会った昭和の面影を残す喫茶店の思い出を写真と文章で綴った『Kissa by Kissa』だ。
自費出版の本で出版資金はクラウドファンディングで集めた。美しい印刷にこだわったために1冊1万5000円という高価な本になった。こんな渋い内容でちゃんとお金が集まるのか本人も不安だったというが、蓋を開けてみると数日間で1500万円近い資金が集まり本人を驚かせた。


言葉も写真も美しい『kissa by Kissa:路上と喫茶ー僕が日本を歩いて旅する理由』。
2024年末、ついにその本の日本語版も『Kissa by Kissa: 路上と喫茶ー僕が日本を歩いて旅する理由』(今井栄一訳)として出版された(盛岡で出会った書店『BOOKNERD 盛岡』が版元になり、日本語版の価格は税込2500円に抑えられた)。
こうしたモド氏の活動を支えているのは、世界に数万人いる彼のファンコミュニティだ。年額100ドルで活動を応援してくれる彼らにモド氏はメールマガジンやYouTubeの配信で旅での発見を発信している。
「旅」の本当の目的は何だったかを改めて考える
盛岡を訪れたのも、このコミュニティがきっかけだった。モド氏は、コミュニティ参加者に度々、ヒントや取材許可をもらっては雑誌などが絶対に取り上げなさそうな取材をして発信しているという。そんな取材企画の1つで函館、盛岡、酒田、松本、敦賀、尾道、山口、唐津、鹿児島、松山の10の中核都市を訪問。その中で、彼が最も活気を感じてほれ込んだのが盛岡だったという。「人々がフレンドリーで親しみやすく、チェーン店ではない個人商店が頑張っている街でした」。
それにしても盛岡、山口、富山とモドさんが勧める観光地はいわゆる日本の観光名所とは一味違う。日本で訪れるべき観光地は、まだ他にいくらでもあるように思えるが、一体、どんな基準でこれらの街を選んでいるのか。
今年、富山を選んだのは、街そのものが好きであることに加え、New York Timesの方から能登半島地震の応援をしたいと言われていたこと、そしてややオーバーツーリズム気味の金沢の近くの街を選ぶことで少し観光客を分散したいという狙いもあったという。このようにモド氏の選択は彼の趣向と非常に大きな影響力を持つリストの果たすべき社会的責任の微妙なさじ加減で選ばれている。


日本のB面の魅力を発見し、世界へ発信してくれている。
では、彼自身の趣向とはどんなものだろう。「自分は元々(レコードで言うところの)B面が好き」だとモド氏は笑いながら言う。世の中の多くの人が行なっているA面の旅は「最近ではインスタ映えなどばかりが大事になって、すっかり旅のそもそもの目的がねじれてしまった」と指摘をする。「訪問先に住んでいる人々の気持ちを一切考えず、ただ自分のセルフィーを撮ることばかりに一生懸命で、ちょっと度を越してグロテスクにさえなってきています」。
「旅」とは本来、そういうものではなく「訪れた先の人々と交流したり、その地での日常的な営みに触れて影響を受けたり、それを自分の国に持ち帰ったり、この街はなんでこんなに平和で素敵なんだろうと考えたりするものです」というのがモドさんの旅の哲学。
「もちろん、初めて日本を訪れる人のほとんどはこのリストに関係なく東京や京都を訪れるでしょうし、マンガやアニメのファンなら鎌倉高校前(踏切の前に広がる海岸が美しくよくマンガやアニメで描かれている場所)を訪れるだろうと思います」。
その一方で「この10年ほどの間に、日本を頻繁に訪れ日本文化にも敬意を持った目の肥えた洗練された観光客がかなり増えてきた」とモド氏は言う。
「先日会った母親連れの台湾人男性も日本訪問は25回目だと言っていました。そんな感じで京都も金沢も既に何回か行ったし、高野山も行ったし、何かオーセンティック(本物志向)でさらにディープな体験を探している観光客が増えてきているのだと感じています。僕は盛岡で海外からの観光客を見かけると、声をかけてどうして盛岡に来たのかを尋ねます。先日声をかけたあるカップルは僕の盛岡でのおすすめをベースに、1ヶ月間かけて秋田や青森など東北地方を回る旅をしていると言っていました。これはまさに僕がそういう人が出てきてくれたら嬉しいなと期待していたことです」。
ちょっと前までは、生魚を食べる風習すら奇異に感じていて、観光地でもない未知の土地に足を踏み入れることに不安を持っていた観光客も多かったのではないか。
「そうだと思います。でも、今はそういった不安はYouTubeやInstagramを通して得られる情報ですっかり払拭されてしまいました。でも、その代わり旅の楽しみでもある神秘的な要素も薄れてしまいました」。
しかし、だからこそ旅の上級者たちは噛むほどに味が出る郷土の文化や歴史に惹かれるのかも知れない。


旅先では、流ちょうな日本語で、その街に暮らす人々と積極的にコミュニケーションを取るのがモド流だ。
観光立国、日本に寄せる期待
ところで近年、訪日観光ではオーバーツーリズムが大きな問題になっている。モド氏はこの状況をどう見ているのか。
「オーバーツーリズムとは言うけれど、実は日本への観光客はイギリスやイタリアと比べても全然少ないんです。ただ問題は、日本の多くの地域が自らの宣伝やプロモーションがうまくないことだと思っています。だから、訪日観光客の9割くらいが東京とか京都とか大阪とか広島とかの限られた都市ばかりを選択して訪問が集中してしまい、どこに行くにも満員電車のような状況になったり、人々が道路に溢れて警察沙汰になったりするのだと思っています。こうした状況に追い打ちをかけているのが観光バスだと思います。同じ観光スポットに毎日数百人単位の人を送り込んでいます」。
中国や東南アジアの国々の人々の所得が増えたことで、多くの新たな旅行者が旅に出やすくなり、日本だけでなくヨーロッパにおいてもオーバーツーリズムを引き起こしています。人口規模が大きな国が多いし、こうした国からの観光客が今後も増え続ける状況は避けられないとモド氏は言う。
美しい景観や地域文化をこの観光客急増から守るには、時にはコストを見直し、観光地への入場料を適切に設定することが重要だと彼は提案している。その目的は、単に訪問者数を減らすことだけでなく、地域がその負担に見合った経済的な利益を確実に得られるようにすることだという。
「例えば富士山の登山料引き上げるといった対策は、オーバーツーリズムの抑制に役立つと思います――こうした試みは訪問者に、これらの場所にちゃんとした価値があることを思い出させます。料金があまりにも安いと、訪問者はその場所が実際に人々が暮らす現実の場所であることを忘れ、まるで遊び場のように扱ってしまうのです。もう1つの興味深い事例に原宿のハラカドの地下にできた銭湯が挙げられます。プレオープン期間中、地元の常連客を作るために渋谷区民に限定開放したりといった制約を設けたんです。ただ、こうした国々からの観光客が増え続けるのは観光の問題ではなく資本主義の問題でどうにもできない部分があります。日本は、訪問そのものの抑制に注力するのではなく、質の高い体験価値を理解し、マナーを守るリピート観光客を増やすことに重点を置き、まだ知られていない魅力的な地域へと誘導するべきだと私は思っています」。
インバウンド観光客の増加で観光地化を目指す地域も増えているが、どんな地域が有望なのか。
「車のハードルは非常に高いです」とモド氏。地方都市の中には車に乗らないとどこにも行けないところも多いが不慣れな土地で国際免許でレンタカーを運転して巡るまでする観光客は極めて少ない。だから、ある程度、歩いて楽しめるくらいのサイズの街であることを意識して観光地を勧めているという。「実際、自分の足を使って歩いてみることがその土地を知るいちばんの近道」だとも言う。特に城下町などは道が複雑で面白いので勧めることが多いという。
「新幹線の駅が、街の中心にどれだけ近いかも重要です」とモド氏。「その点、盛岡や富山はよいですね。京都も」。一方で名前が「新」で始まる新幹線の駅は街の中心部から離れていて観光にあまり貢献できないことが多い。「新青森や山口は結構ギリギリの線だと思います」。
観光開発には長い時間がかかるという視点も忘れてはならないと指摘する。
「今や直島はすっかり人気の観光地ですが、ベネッセによるアートサイトの開発は1980年代からで人気が出るまでには30年以上時間がかかっています。驚くほど短期間で人気を伸ばしたのは尾道周辺でしょう。(自転車で島巡りが楽しめる)しまなみ海道サイクリングロードができたのは20年ちょっと前。LOGなどのオシャレなホテルができたのも人気を後押ししています。そうしたことができた一因として坂道が多いために安い物件が多く、そこを若い人たちが買って面白いことを始めていることがあると思います。そういう点では同様に坂道が多い長崎にも期待しています」。
日本の魅力の根っこにあるのは「余裕」
ITにも精通したモド氏は2010年代最先端のITに触れるべくしばらくの間、シリコンバレーで働き、その後、やはり日本がいいと戻ってきた。だが、その時点では、なぜ自分が日本に惹かれるのかわからずにいたという。
だが、その後、2013年に熊野古道を歩き、他の街道も自らの足で歩いてみる中で少しずつそれがわかってきたという。


世界中のモド氏ファンは、彼が発信する言葉を常に待っている。
「ちょっと奇妙に聞こえるかも知れないですが、日本を素晴らしい国にしている重要な要素の1つは手厚い保険制度だと私は思っています。こうした制度が無ければ家族持ちの人間が、小さな個人経営の店を営み続けるなんていうことはできません。こうした余裕が、最終的に日本の地方都市の活気や魅力にもつながっているんだと思います」。
残念ながら日本の地方には、そうした個人店が廃れてチェーン店ばかりになってしまったところも少なくない。しかし、盛岡、山口、富山のように、そうした魅力的な店が残る地域もまだまだある。モド氏はそうした地域を応援しすることで地域のプライドを取り戻させ、地元にUターンしたくなる出身者が増えるような状況を生み出したいと思っているという。
そんなモド氏、これまで英語での本は自費出版で行ってきたが、近々、米国の名門出版社から本が出る。近著はこうした日本の地方都市にあるような心の「余裕」がテーマになっているそうだ。
Photo by Hidehiro Yamada
クレイグ・モド Craig mod
作家、写真家、歩いて旅をする人。1980年、アメリカ・コネチカット州生まれ。2000年より日本在住。 著書に『Things Become Other Things』(2023年)、『Kissa by Kissa 日本の歩き方』(2020年)、『Koya Bound 熊野古道の8日間』(2016年)、『僕らの時代の本』(2015年)、『Art Space Tokyo』(2010年)など。『The New York Times』『Eater』『The Atlantic』『The New Yorker』『WIRED (米国版と日本版)』などに寄稿・執筆。現在はオンラインサロン「SPECIAL PROJECTS」を運営しており、4万人以上のメルマガ登録者に向けて定期的に発信。2024年3月からJ-Waveの「People’sRoastery」ラジオ番組に月1回ゲスト出演し、旅や写真などについて語っている。
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