TOSHI YOROIZUKA
TOSHI YOROIZUKA

Style

Portraits

日本のエグゼクティブ・インタビュー

2025.7.10

パティシエ 鎧塚俊彦 唯一無二のお菓子への追求と共に、地方創生へ情熱を傾ける

「Toshi Yoroizuka(トシ ヨロイヅカ)」のオーナーパティシエである鎧塚俊彦さんの人生は、常に挑戦の連続である。たとえ周囲の反対という逆風にさらされようとも、自らの信念を貫き、決して曲げない。その精神力、胆力はどこから湧き上がるのか―――。今回は、日本を代表するパティスリー「Toshi Yoroizuka」の誕生と、鎧塚さんが見据える未来へのビジョンを伺った。




パティシエという仕事が認知される前に、敢えて洋菓子の世界へ飛び込む

 

子どもの頃にテレビで見たフランス料理に心を奪われ、将来は料理人になることを夢見ていた鎧塚さん。しかし高校卒業後、一旦は別の仕事に就くものの、当時はまだ職業として認知されていなかったパティシエの道に自ら飛び込む選択をした。




「子どもの頃からお菓子が大好きだったこともありますが、当時はまだ洋菓子をつくる仕事は一般的ではなかったからなのかな」と語る。

「小さな頃からお菓子が好きだったこともありますが、まだあまり知られていない世界だったからこそ、逆に惹かれたのかもしれません」

日本で修行を経てヨーロッパへ渡り、スイス・オーストリア・フランス・ベルギーなどの

名店を渡り歩いた8年間。その中で得たことは洋菓子職人としての技術も当然あるが、それ以上にメンタルが鍛えられ、感謝の心を得る機会につながった。





「海外へ行けば見たことのない技術や素材があって、目から鱗が落ちる体験にあふれている、そういう時代は私たちの師匠の時代で終わっているんです。私が修業した時代には海外の技術や素材はすでに日本に入っていました。しかし、現地で言葉も通じず、コネもなく仕事を探し、住居を見つけ、食うにも困るような日々の中で、メンタルが強くなったと同時に、多くの人の優しさに触れる機会になりました」。

 

では、やはりいまの若者たちも海外修行をするべきなのかを聞いてみた。

 





一年中、忙しく日本中を走り回る鎧塚さんだが、時間があるときはカウンターに立ち、いまもデザートをサービスしていると言う。 一年中、忙しく日本中を走り回る鎧塚さんだが、時間があるときはカウンターに立ち、いまもデザートをサービスしていると言う。

一年中、忙しく日本中を走り回る鎧塚さんだが、時間があるときはカウンターに立ち、いまもデザートをサービスしていると言う。






海外で修業をすることはマストではない。すべては本人の志である。

 

「明確な目標や目的を持っているなら行けばいい。でもチャンスがあれば行きたい程度なら止めた方がいいと思います。だってパリのパティスリーからぜひうちに来てください、なんてお誘いはないですから」。

 

確かに、そんなドラマのような展開は早々ないだろう。





「実際のところ、日本と海外の洋菓子に関する技術の差はほとんどないと思います。むしろ衛生面などは日本の方が優れていますよ。もし日本でお店を持ちたいと思っているなら、日本でしっかりと基礎を学んで、お金を貯めて日本でお店を持てばいいんです。日本で何も見つけられないのに、海外へ行ったらなら何かが見つかるかなと考えているのなら、海外に行く必要なんてありません」と話す一方、海外でお菓子屋さんをずっとやっていこうという気持ちがあるのなら、一刻も早く行くべきだとも語る。





日本を代表するパティシエは、直感を信じて突き進んでいく

 

 

鎧塚さんは、様々な修業期間を経て、2004年、東京・恵比寿に6席だけのカウンターデザート専門店「Toshi Yoroizuka」を開店。店名は“即決”だったと聞き、驚いた。








「店を始める際、お世話になった人に店名を相談したら『名前なんて何でもいい。どんなにかっこ悪い名前でも、自分がかっこ良ければ、その名前もかっこ良くなる。逆に、どんなにかっこいい名前でも、お前がかっこ悪ければ、その名前もかっこ悪くなる』と言われて、なるほど、それならなんでもいいや!と思って決めました」。

 

これは店名だけではなく、お店のロゴも同じ。当時、パソコンが使えなかった鎧塚さんに代わって作業した人がパパっと作った案がそのまま採用になったとか。





しかし「Toshi Yoroizuka」の白と黒を使ったお店のロゴマークには周囲からの相当な反対に合った。

 

「日本では白と黒は喪の色。洋菓子はおめでたい時にいただくものですから、絶対にやめた方がいいと何人にも反対されました」。しかし鎧塚さんはブレずに自分の思いを貫く。

 





6席のカウンターデザートの店にこだわったのも同じ。

 

「周囲からは『失敗する典型』だと言われました(笑)客単価が低くて、回転率も悪いから絶対儲からないよ!と」。

 

カウンターデザートをやりたいと考えるパティシエは多い。だが、採算が取れないからあきらめる人がほとんど。しかしこの時の鎧塚さんの挑戦は、連日長蛇の列を生んだ。

 

 

「実際、いまだに儲かっていません(笑)。でも、でもカウンターデザートは私の顔であり、ポリシーですから、これからもやめるつもりはありません」。

 

鎧塚さんにとって、お店の収益よりも、表現のほうが勝るのだ。





「Toshi Yoroizuka」一号店の恵比寿店のオープン当時の写真。 「Toshi Yoroizuka」一号店の恵比寿店のオープン当時の写真。

恵比寿の「Toshi Yoroizuka」一号店。当時の写真。





「決断にいいも悪いもない。何かを決断したとき、選択しなかった要素をすべて頭の中から消し去って、選んだ道を信じて努力することが大切なんです。もし失敗した場合は、自身の決断が間違っていたのではなく、その後の努力が足りなかったのだと思います」。





自分のスタイルを貫くことで、周りからの評価が変わっていく

 

常に業界の最前線に立つ鎧塚さん。トップを走り続けるためには、いつも新しいお菓子を生み出さねばならない使命感やプレッシャーがあるのでは?──そう尋ねると、不思議そうな表情でこちらを見る。





「数年前にピスタチオのブームがありましたが、私は20年前からピスタチオのクレームブリュレを作っています。ブームと呼ばれるのはちょっと不愉快ですね。なぜならブームは終わるものだから。でも美味しいは時代を超えるんです」

 







本当に美味しいものは、姿が変わっても根底は変わらない。洋菓子の道を切り開いてきた鎧塚さんよりも前の世代、諸先輩たちの作るお菓子や、昔ながらのケーキ屋さんの定番ケーキは今でも変わらず美味しいのだ。

 

「私が20年間全く変えずに作っているお菓子も、やっぱり変わらず美味しいと自負しています。それが『Toshi Yoroizuka』のスフレです。最初は“これ、焼けてないんじゃない?”と言われたこともありましたが、今ではあのスフレが食べたいと日本中からお客様がお越しになります。ブームなんてものに振り回されずに、自分のスタイルを貫くことが大切だと思っています」。






洋菓子は進化していると感じていたが、それは見た目や素材などのことであって、美味しいという感性は確かに変わらない。ブレずに、独自のスタイルを貫く。やがてそれが定番になり、そしてブランドとして確立されていくのだ。



京橋 京橋

Toshi Yoroizuka 東京は、一階がショップ、二階がサロン(要予約)となっている。




追い続ける7つの夢。その一つである第一次産業と地方の活性化を成し遂げる

 

鎧塚さんは新しいことへの挑戦もいとわない。2010年エクアドルに『ToshiYoroizuka Cacao Farm』開設。2011年には小田原石垣山山頂に約2000坪の農園を併設したパティスリー&レストラン『一夜城Yoroizuka Farm』をオープンさせた。

 




これらの活動の根底には鎧塚さんの7つの夢があると言う。それが何であるかは教えてはもらえなかったが、その一つに地方の農園や農家の方々と交流を深め、地方の活性化を目指すこと。

 

 

「農業は人間が生きていく上での根幹。そこを大切にしていかないと、これから先どうなってしまうのか心配です。AIなどの新しい技術にばかり注目が集まり、農業や漁業などを軽視するような風潮には強い憤りを覚えます。第一次産業に携わる人々をもっとリスペクトしていきたいではありませんか」と鎧塚さんは語気を強める。




常に言葉を選びながらも、自身の夢や熱い思いはあふれ出てくる。 常に言葉を選びながらも、自身の夢や熱い思いはあふれ出てくる。

常に言葉を選びながらも、自身の夢や熱い思いはあふれ出てくる。






現在、地方活性のために、6つの県の顧問やアドバイザーしたり、地方へ足しげく通って農業の方々と交流を深め、共に協力をして課題解決に努めている。

 

「農家の方々を支援すると言っても、お互いにとってWin-Winの関係でなければダメ。ボランティアということではなく、お互いにメリットがある関係性でなければ意味はないと考えています。我々は規格外の農産物を安く仕入れさせていただき、美味しい洋菓子をつくり、その果物や野菜の魅力を広めていくことで農家や県へ貢献していきます」。

 





昨今、お米問題などから、第一次産業への関心は高まってはいるが、都心に暮らしていると見えてこない部分は多くある。鎧塚さんは現地へ出向いて農家と交流し、そこで見聞きした課題を体感して課題と向き合っている。そしてそこから洋菓子業界の未来や地方創生へ自身の発想で挑んでいるのだ。





地方から日本へ、日本からアジアへ。お菓子作りを通してできること

 

地方創生の取り組みと共に、鎧塚さんの目はさらにアジアへと広がっているようだ。

 

「さまざまな課題は日本だけではなく、アジアにおいても同じです。アジアが一つになることで得られること、乗り越えられるものがあるのではないかと思っています。これはあくまでもお菓子作りを通してですが、アジアの平和に貢献したいという想いを常に抱いています。国家という隔たりを無くして、共に手を携えていくことで、平和な世の中へとつながっていけたらいいじゃないですか」。




いままで走り続けているけれど、年齢的にそろそろ新たな働き方を考える時かなとも語る。 いままで走り続けているけれど、年齢的にそろそろ新たな働き方を考える時かなとも語る。

いままで走り続けているけれど、年齢的にそろそろ新たな働き方を考える時かなとも語る。





この何事へも意欲的に取り組む姿は、やはりあっぱれである。しかし鎧塚さんは有名になればなるほど、批判的な言葉も耳にする機会は増えているとも話す。

 

「私は敢えてSNSなどでの発信の機会を増やすように努力しているのですが、同時に発信した言葉の意味が正しく伝わず、自分の意図と違う書かれ方をメディアにされることもあります。なぜそうなるのかな?そんな気持ちはありますが、これからも自分の言いたいことは言い続け、自分が信じた道を進むという姿勢は変えずにいこうと思っています」。

 

 




鎧塚さんの活動の根底にあるものは、ただ美味しいお菓子を提供し、そして少しでも多くの方々へ幸せを届けることなのである。






 カウンターデザートがいただける「Toshi Yoroizuka」東京の2階サロンで。  カウンターデザートがいただける「Toshi Yoroizuka」東京の2階サロンで。

カウンターデザートがいただける「Toshi Yoroizuka」東京の2階サロンで。

 


鎧塚 俊彦 Toshihiko Yoroizuka

1965年、京都府宇治市生まれ。関西のホテルで修業後、渡欧。スイス、オーストリア、フランス、ベルギーで8年間修業を積む。ヨーロッパで日本人初の三ツ星レストランシェフパティシエを務めた後、帰国。2004年、恵比寿に6席のカウンターデザートを提供する「Toshi Yoroizuka」をオープン。その後、六本木にライヴ感覚を重視した14席のカウンターデザート「Toshi Yoroizuka MIDTOWN」、杉並区の八幡山駅近くに「Atelier Yoroizuka」開設。また、世界初となる、畑からの一貫した自社生産のショコラ作りを目指し、南米エクアドルにカカオ農園「Yoroizuka Farm Ecuador」を設けた。長年の夢を実現し、2011年には小田原石垣山山頂に2000坪以上の農園を併設したレストラン&パティスリー「一夜城 Yoroizuka Farm」、2012年には地方の農家の方々との連携を目指した「Yoroizuka Farm TOKYO」を渋谷ヒカリエにオープン。スイーツを通して、農業と地方の活性化に尽力している。また、2014年よりロカボ(低糖質)スイーツを専門にした、Toshi Healthy Sweetsを展開している。

 

島村美緒  Mio Shimamura

Premium Japan代表・発行人兼編集長。外資系広告代理店を経て、米ウォルト・ディズニーやハリー・ウィンストン、 ティファニー&Co.などのトップブランドにてマーケティング/PR の責任者を歴任。2013年株式会社ルッソを設立。様々なトップブランドのPRを手がける。実家が茶道や着付けなど、日本文化を教える環境にあったことから、 2017年にプレミアムジャパンの事業権を獲得し、2018年株式会社プレミアムジャパンを設立。

 


Text by Yuko Taniguchi
Photography by Toshiyuki Furuya

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