昨2025年の日本を象徴するイベントといえば大阪の人工島、「夢洲」で半年にわたって開催された大阪・関西万博だ。1日平均15.8万人、累計2500万人以上が訪れ、370億円の黒字。40万枚売れた通期パス利用者の平均来場回数は11.8回ということからもその熱狂ぶりがうかがえる。来場者の約8割が「満足」したと答え、9割が「大成功」だったと振り返る、日本の魅力を世界に伝えた重要イベントだった。
話題となった大屋根リングを中心に据えた155ヘクタールの会場敷地には、すべてのパビリオンを制覇した熱心な来場者ですら足を踏み入れられない聖域がいくつかあった。その代表格は、国王や大統領といった賓客だけが招待された美しい「迎賓館」だろう。
同施設での歓待は、ある意味、日本政府が考える今日の日本における最上級のおもてなしと言える。新春企画として、今の日本の最上級とはどんなものだったのかを探ってみたい。
世界中から国王を含む50名近い賓客が万博を訪問
迎賓館の外観は黒。建物全体が高い黒塀に囲まれており、その門は賓客の車が通る時だけ開かれる。外からはほとんど中の様子を窺い知ることができなかった。
184日間の開催期間中、大阪・関西万博には、名誉総裁を務めた秋篠宮皇嗣殿下とそのご家族が開会式や閉会式に参加されたほか、天皇皇后両陛下も2度訪問されるなど、日本の皇室も頻繁に訪問したが、実は世界各国からも数多くの賓客が訪れている。
デンマーク、スウェーデン、オランダやアフリカ南部のレソト王国から合計4名の国王が訪問したのに加え、ルクセンブルクの公爵など国王に準ずる方2名、4名の皇太子、大統領24名、首相15名、国連のアントニオ・グテーレス事務総長など数多くの国賓が訪れた。
主な訪問の目的は、各国パビリオンで開催された毎日1カ国を取り上げてお祝いするナショナルデーへの参加や、その国の祝日などを祝うイベントへの参加だ。
ちなみに最初のナショナルデー(万博開幕2日目の4月14日)に選ばれたのはトルクメニスタンで、式典にはセルダル・ベルディムハメドフ大統領が来日。後に人気パビリオンの1つとなったトルクメニスタン館は、同大統領の視察終了を待ってから一般公開されたという。
一般公開されなかった聖域「迎賓館」
自然の光や風を取り入れることで「日本の美」を表現した迎賓館。円環状(ドーナツ型)の施設の中央には柳の木が1本だけ立つ大きな水盤があり、そこにその日の空模様が映し出されていた。
さて、こうした賓客が隊列の車に乗って万博会場に着くと、真っ先に案内されたのが「迎賓館」だ。
万博会場の中で最上級の施設に位置付けられ、ボストン総領事や、外務省大臣官房総括審議官兼欧州局大使なども務めた引原毅氏が館長を務めた。天皇陛下を含む日本の皇室や上記した賓客以外にも各国のナショナルデーのために派遣された代表団などがこの施設を訪れている。
万博マップには描かれていなかったが、場所は開会式や閉会式を始め、数多くの式典やコンサート、舞台パフォーマンスが行われた「EXPOホール(愛称:シャインハット)」のすぐ隣にある「EXPOナショナルデーホール」の真裏にある。通常のパスでは建物の周囲に近づくこともできないが、スタッフ証を持っていても建物の周囲が高い黒塀で覆われており中を覗くことはできなかった(ただし、実はEXPOナショナルデーホール屋上の展望施設からは見下ろすことができた)。
サッカー場の約3分の2ほど、約4600平方メートルの敷地に建つ、ガラスとコンクリートで作られた円環状(ドーナツ型)の施設。中心には柳の木が1本だけ立つ大きな水場があり、そこに広い空が映し出されていた。自然の光や風を取り入れることで「日本の美」を表現したのだという。設計は日建設計、建設は大林組と大池建設工業が担い、大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーで大屋根リングも手掛けた藤本壮介氏が監修した。
賓客を迎える一日の流れ
賓客を迎える車は日欧の高級車やEVミニバスなどを用意。万博開催年に合わせたミャクミャクがあしらわれたナンバープレートなどが用意された。
迎賓館を訪れた賓客たち。まずは代表者がこの席に座り記帳を行った。
ナショナルデーの開催は午前と午後の2パターンがあるが、ほとんどの国は午前に訪れていたという。11時に式典開始というスケジュールが固定されているため、多くの来賓は10:30頃に、政府が用意した車でこの迎賓館に到着した。
国によって訪問する人数や好み、ニーズが異なるためミニバスやミニバン、セダン、SUVなどの12台の車が用意された。車種はトヨタのアルファードとヴェルファイア、日産のセレナ、ホンダのオデッセイといった国産車に加え、BMWのi7やレンジローバー。そして、EVモーターズ・ジャパンとアルファバスジャパンのEVミニバス。アルファバスジャパンとEVモーターズ・ジャパンによるEVバスなどで、EVモーターズ・ジャパンのミニバスは今回の万博のためだけに用意された特別車だという。
賓客が空港や宿泊先からこれらの車に乗って迎賓館の黒塀の中に到着すると、会場の入り口で日本政府代表によるレシービングライン(出迎えの列)で挨拶が行われ、入り口すぐ左にある「記帳台」へと案内される。ここで「代表団長」が署名を行った後に、一向は3つある貴賓室の一つに通される。
通常は一番広い「夢洲」(約120平米)に通されるが、随行員が多い場合などは約80平米の「咲洲」、「舞洲」なども使われた。貴賓室では、日本政府代表からその日の日程説明を受けたり、三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)による立礼式(りゅうれいしき)のお茶が振る舞われるなどした。
迎賓館には3つの貴賓室があり、それぞれ大阪の島の名前がつけられている。一番大きいのが万博会場の「夢洲」の名前がついた部屋。三千家の茶人によるる立礼式のお茶が振る舞われた。足下に開いた窓からは3つの貴賓室すべてから臨むことができる石庭が覗いている。賓客によっては空港から車で直接、ここに到着するため、クローゼットなどを用いて着替えや身繕いなどもここで行ったようだ。
賓客をもてなす夢洲のアメニティにはクレドポーボーテやSHISEIDO MENの商品が選ばれていた。
3つの貴賓室の前を通り過ぎ、円環状の建物を半周すると、そこには細い通路があるが、実はその先がEXPOナショナルデーホールに繋がっている。賓客は11時前になると、この通路を通ってEXPOナショナルデーホールに案内されていた。
ナショナルデーの式典が終わると、賓客はもう1度、同じ通路を通って迎賓館に戻り、円環状の通路を時計回りにもう少し進むと「日本の赤」を基調とした約250平米のダイニングルームが現れる。そこで正午ごろから1時間強、昼食会(ランチ)が行われた。
ダイニングルームの運営および料理の提供は、大阪を代表する高級ホテル、リーガロイヤルホテルで「日本の魅力を発信すること」をテーマに和食(懐石コース、正倉院弁当)、和洋折衷、洋食コースの計4種類から、賓客側が選択できる形式で提供。飲み物は日本の醸造技術を伝えるため、厳選された4種類の日本酒と日本産の赤・白ワインが振る舞われた。
デザートは、万博の公式キャラクター「ミャクミャク」と会場のシンボルである「大屋根リング」、さらには「ウォータープラザ」をモチーフにした独自のデザインを採用し視覚的にも万博の世界観を表現。季節の移ろいにも反映し「夏バージョン」と「秋バージョン(いちじくと紅葉)」が用意された。
その後、代表団は万博会場に足を踏み入れ、パビリオンなどの視察を行うのが通例だったという(午後のパターンの場合は15:30到着、16:00に式典がスタートし、その後、夕食会が行われた)。
こうした一般的な流れとは別に、国によっては夜に相手国が主催する返礼レセプション(パーティー)が行われることもあった。迎賓館にはそのための「バンケットルーム」も用意されていた。
興味深いのは、迎賓館の賓客用の部屋がまるで時計の文字盤のように円環状に時計回りに配置されており、賓客の行動の流れが入り口からスタートして時計回りで完結するよう設計されていた点だ。記帳台、貴賓室、式典会場への通路、ダイニングルーム、バンケットルームと、すべてが自然な流れで繋がっていく。この動線設計は、賓客にストレスを感じさせることなく、限られた時間の中で最上級のおもてなしを提供するための工夫だったと言えるだろう
迎賓館の入り口と正反対の位置には、ナショナルデーホールへと続く通路がある。各国の代表団はここからナショナルデーのイベントに向かった。
ナショナルデーホールの並びにあるダイニングルームは鮮烈な赤い壁が印象的。賓客の背後には川島織物セルコンが現代美術作家・川人 綾氏デザイン・監修のもと、制作したタペストリー「CUT: C/U/T_CC-CM_I」が飾られていた。
ランチやディナーは和食、洋食、和洋折衷の三種類を用意。賓客の好みに合わせて選んでもらえるようになっていた。和食は「なだ万」、それ以外はリーガロイヤルホテルの渡部玲料理長が監修を行いミャクミャクをモチーフにしたデザートが振る舞われた。
「日本の美」を伝えるアート作品
国によってはナショナルデーの最後に返礼レセプションを行うことがあり、そのための場としてバンケットルームが用意されていた。ここには川島織物セルコンが現代アーティスト、手塚愛子氏にコミッションして作らせた作品2点が展示されていた。ここに写っているのは鎖国時代(16~17世紀)に描かれた日本地図と世界地図をモチーフにした「時代を織り直す(勇気と好奇心についての考察)」
迎賓館、記帳台のすぐ後ろには川原隆邦が手掛けた越中和紙の1つ蛭谷(びるだん)和紙の作品が掲げられていた。作品は8点制作され、季節に合わせて展示替えが行われた。ここに写っているのはNo.07 Artral Compass。右に写っているのは川原氏本人。
迎賓館には、いくつか「日本の美」を感じてもらうためのアート作品も飾られていた。
入り口入ってすぐの左側、記帳台の後ろに飾られていたのは、富山県の越中和紙の1つ蛭谷(びるだん)和紙の唯一の継承者、川原隆邦氏(川原製作所)の作品。
「日頃から和紙の魅力を世界へ発信したいと考えていたので、絶好の機会をいただけました。せっかくなので、自分一人だけではなく、できるだけたくさんの方と一緒に挑戦したいと思い、日本各地の素材を活かした作品づくりを構想し始めました」とのことで、伝統技法を守りながらも「日本全国の素材を活かし、新しい和紙を作る」ことを目指した、という。
色合いやモチーフの異なる計8点が制作され、季節に合わせて展示替えを行なった。ちなみに400年前に生まれた蛭谷和紙は、トロロアオイという原材料の栽培から紙漉きまで、すべて1人の職人の手で行うのが特徴。
鮮烈な印象を残す真っ赤なダイニングルームには、1843年創業の京都の老舗「川島織物」と、床材メーカー「セルコン」が合併してできた日本を代表する高級インテリアファブリック(織物)メーカー、川島織物セルコンが現代美術作家・川人 綾氏デザイン・監修のもと、制作したタペストリー「CUT: C/U/T_CC-CM_I」 が飾られた。1800色に染め分けた糸により緻密に織られており、織物ゆえ平面的であるものの屏風のような立体感を柔らかく感じさせる錯視効果を持つ作品となっている。
川人 綾氏は「制御とズレ」をテーマに、グリッド構造と色彩を用いた抽象的な絵画を制作してきた作家。京都で染織を学んだ経験と神経科学者の父の影響を背景に、視覚と認知の揺らぎに着目し、緻密な手仕事から生まれる微細なズレを「美しさ」としてとらえ、幾層にも塗り重ねた色彩が錯視的な感覚を引き起こす作品を数多く手掛けている。こちらの作品は3月31日まで豊洲にある「川島織物セルコン 東京ショールーム」のリニューアル記念として展示が行われている。
実は川島織物は1889年のパリ万博にも出展している万博とは非常に縁の深い老舗企業だ。ダイニングルームにはこの大型作品に加え、同じ川人氏による絹と和紙で作られた小型作品2点や返礼レセプションが開かれるバンケットルーム用に現代アーティスト、手塚愛子氏が手掛けた作品2点の合計5点を協賛している。
手塚愛子氏はベルリンと東京の二拠点で作品制作を行う作家で日本の歴史を織り込んだ作品2点を制作した。「時代を織り直す(勇気と好奇心についての考察)」は鎖国時代(16~17世紀)に描かれた日本地図と世界地図が、「迎賓館(織り途中・明治から令和へ)」は明治時代の大阪の迎賓館「泉布観」と万博の迎賓館がモチーフになった作品だ。
一般来場者の目に触れることのなかったこの迎賓館は、ある意味で万博の「もう一つの顔」だったと言えるだろう。50名近い賓客をもてなしたこの空間では、400年の歴史を持つ蛭谷和紙から最新のEVバスまで、日本の伝統と革新が自然に共存していた。藤本壮介氏が設計した円環状の建築に映る空、三千家による立礼式の茶、川島織物セルコンの錯視効果を持つタペストリー――すべてが「日本の美」を異なる角度から語りかけていた。184日間の会期が終わった今、この迎賓館での体験は、訪れた各国の賓客の記憶に刻まれ、日本という国の新たなイメージとして世界へと広がっていくことだろう。
パビリオンにも用意されたVIP対応
ちなみに、万博会場に足を踏み入れた賓客の多くは、訪問先のパビリオン内に用意されたVIPルームに通され、パビリオンの代表から歓迎を受けた。その後、他の入場者がいない(あるいは少ない)タイミングを見計らって会場内に案内されるのが通例だった。小規模なパビリオンの中にはVIPルームを備えていないものもあったが、大型パビリオンの多くはこうした特別対応の準備を整えていた。
パビリオンによっては、このVIPルームのためにもアート作品や特別な体験を用意しているところがあった。例えば人気のイタリア館では日本在住のイタリア人アーティスト、マッテオ・チェカリーニが大型の絵画作品を描き下ろした。またシグネチャーパビリオンの1つで日本のジャズピアニスト・数学教育者、中島さち子氏がプロデュースした「いのちの遊び場 くらげ館」には裏千家の茶室が用意されていた。
賓客らVIPを迎え入れるために多くのパビリオンがVIPルームを用意していた。ゆるく楽しげな雰囲気の中島さち子氏プロデュース「いのちの遊び場 くらげ館」もVIPルームは裏千家の正式なお茶室になっていた。
人気のイタリア館にもVIPルームがいくつかあり、このVIPルーム専用のアート作品も用意されていた。本作は日本在住イタリア人アーティスト、マッテオ・チェッカリーニが描きおろした油彩の大作「イタリアの星」。7 人の人物が星型の構成で配置され、現代イタリアを支える主要分野 ― 科学技術研究、先端産業、ファッションとデザイン、音楽、美術を擬人化した6人とアジア系の特徴をもつ「新しいイタリア人」がイタリアを象徴する星型を作っている。
日本館にも大型のVIPルームが用意されており、日本政府が主催するクリエイター向けイベントなどではこの施設が利用された。なお、迎賓館を彩ったタペストリーを見ることができる。
川島織物セルコン 東京ショールーム タペストリー特別展示
展示作品:タペストリー「CUT: C/U/T_CC-CM_I」
デザイン・監修:川人 綾(現代美術作家)
制作:川島織物セルコン
会期:2025年12月1日(月)~2026年3月31日(火)
時間(水曜休館):10:00~18:00(予約不要)
会場:川島織物セルコン 東京ショールーム
東京都江東区豊洲5-6-15 NBF豊洲ガーデンフロント 6階
賓客を迎え入れる迎賓館としては、
大阪・関西万博「迎賓館」
用途: 世界各国から国王、大統領、首相などの賓客をお迎えし、歓迎、接遇するための施設
構造: 鉄骨造
階数: 平屋建
床面積: 4,624.06㎡
基本設計: 株式会社日建設計
実施設計・施工・監理: 大林組・矢作建設工業共同企業体・株式会社日建設計
デザイン監修: 2025 年日本国際博覧会 会場デザインプロデューサー 藤本壮介/株式会社藤本壮介建築設計事務所
Profile
林信行 Nobuyuki Hayashi
1990年にITのジャーナリストとして国内外の媒体で記事の執筆を始める。最新トレンドの発信やIT業界を築いてきたレジェンドたちのインタビューを手掛けた。2000年代からはテクノロジーだけでは人々は豊かにならないと考えを改め、良いデザインを啓蒙すべくデザイン関連の取材、審査員などの活動を開始。2005年頃からはAIが世界にもたらす地殻変動を予見し、人の在り方を問うコンテンポラリーアートや教育の取材に加え、日本の地域や伝統文化にも関心を広げる。現在では、日本の伝統的な思想には未来の社会に向けた貴重なインスピレーションが詰まっているという信念のもと、これを世界に発信することに力を注いでいる。いくつかの企業の顧問や社外取締役に加え、金沢美術工芸大学で客員名誉教授に就いている。Nobi(ノビ)の愛称で親しまれている。
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