日本を代表するアーティスト、坂本龍一さん。50年以上にわたり音楽という枠を超えた幅広い表現活動を続けてきた彼のインスタレーション作品を集めた大規模個展 坂本龍一「音を視る 時を聴く」が東京都現代美術館で開幕しました。
坂本が生前、同館のために遺した展覧会構想を軸にした展覧会となっていますが、美術館の内外に展示された12の大型インスタレーションはいずれも7名の世界的アーティストとのコラボレーションとなっています。展示のテーマは、タイトル通り彼の創作活動における長年の関心事であった音と時間。
夢幻能や東日本大震災を扱った作品もあり、日本からしか誕生し得なかった「世界のサカモト」の感性に迫っています。
坂本龍一+高谷史郎«TIME TIME» (2024)
2021年にアムステルダムで公開された舞台作品『TIME』を基に作られた新作映像作品。坂本がテーマにしてきた「時間とは何か」という問いを『夢十夜』、『邯鄲』といった夢の物語で表現。
展覧会に入る挨拶文のあと、展示室へとつづく暗く細い通路を抜けると20メートルを超える長い部屋いっぱいに張られた水盤と、その中に立つ3つのスクリーンが現れます。
展覧会最初の作品は坂本龍一+高谷史郎による«TIME TIME»。2人が2021年にアムステルダムで初演した舞台作品『TIME』を基に本展のために制作された新作です。
高谷史郎さんはパフォーマンスを含む数多くの作品を手掛けてきたアーティストで、ボーダレスな活動をするアート集団Dumb Type(ダムタイプ)のメンバーの1人としても知られています。
坂本龍一さんとは最初のオペラ作品『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(1999年)で協働して以後、交流が深く、今回も展示されている全12作品中5作品がこの2人のコラボレーション作品となっています。
«TIME TIME»は、「時間とは何か」という問いを、夢をテーマとした「夢幻能」の形を借りて表現した作品です。しばらく眺めていると左から笙を吹きながらゆっくりと歩を進める女性のシルエットが現れ、たっぷりと時間をかけて3つのスクリーンを渡り切ります。続いて夏目漱石の「夢十夜」や能楽の「邯鄲(かんたん)」などの言葉が読まれ、英語と中国の字幕と共に都市を行き交う人々や花などさまざまな映像が映し出されます。
夢幻能のように一瞬と永遠、眠りについた瞬間と100年の夢の時間など、異なる時間が交錯することで、私たちの「時間」や「存在」についての認識を揺さぶります。そして、圧倒的な自然の力に立ち向かおうとしながらも、やがて力尽きていく「無常観」も象徴的に描かれています。
坂本龍一+高谷史郎 «water state 1»(2013)。希少衛星から会場を含む地域の甲類量データを抽出し、1年ごとに凝縮したデータを用いて天井の装置から水盤に雨を降らせ、波紋を描かせる。同時に室内の音も変化。終盤では低音の振動によって水面に荒々しい模様が描き出される。
2つ目の作品«water state 1»(2013)も高谷史郎さんとの共作です。静謐な空間。白い壁と黒い床の空間にまるで石庭のようにいくつかの石が置かれ、中央には黒い正方形の台に水が張られています。
突如、天井から水が滴り落ち、水盤に美しい波紋が現れ、やがて水盤のそこかしこにいくつもの波紋が現れ始め、眺めているだけで瞑想をしているような心地を味わえます。
実は水がしたたり波紋が現れる場所とタイミングは、気象衛星から得た会場周辺の降水量データを基に決まっているそうです。
坂本龍一さんは非常に環境意識の高いアーティストで、特に日本ではメディアなどでも声高に環境問題に意見を述べる活動家としての側面もよく知られており、音楽作品でも氷河地帯で録音した“氷が崩落・融解していく音”を取り入れた「Glacier」(アルバム『Out of Noise』)を制作したり、インスタレーション作品でも世界各地の樹木の生体データから音を生成した作品や風速風向センサーの値を音楽に変換した作品など、我々が普段見過ごしてしまっている地球環境や自然環境をテーマにした作品が少なくありません。
高谷さんとの作品はこの他にも2011年の東日本大震災で被災した宮城県農業高校のピアノを「自然によって調律されたピアノ」(冒頭の写真)と捉えて作品化した«IS YOUR TIME»(2017/2024)、坂本さんのオペラ『LIFE』を霧の発生する9つの水槽に投影された映像で再構築した«LIFE-fluid, invisible, inaudible»(2007)、2023年に「Ambient Kyoto」で披露され話題となった映像作品を進化させた«async+immersion tokyo» (2024)があります。
さらに美術館の中庭にて、この2人に霧の作品を彫刻とするアーティストの中谷芙二子さんも加わって制作された作品«LIFE-WELL TOKYO» 霧の彫刻 #47662も展示されています(30分に1回現れます)。
高谷さんと中谷さん以外では真鍋大度、カールステン・ニコライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、Zakkubalan、岩井俊雄と言ったアーティストがコラボレーションをしています。
坂本龍一+高谷史郎«async-immersion tokyo» (2024)。2023年のAmbient Kyotoで展示され大きく話題となった作品を進化させた映像作品。音を「立体的に聴かせる」ことを意識したという2017年のアルバム『async』の曲に合わせて作られた作品。
デザイン、アート、エンターテイメントの領域でさまざまな作品を生み出すライゾマティクスの主宰で、個人でもアーティストやDJとして活躍する真鍋大度さんとの作品、«センシング・ストリームズ2024一不可視、不可聴(MOT version)» (2024)は、入場料を払わなくてもみられるミュージアムショップ前の庭に展示されています。「都市と自然」をテーマにした芸術祭で発表された作品で、美術館の外に設置されたアンテナによって収集された携帯電話、WiFi、地上波デジタル、FMラジオなどで使用されている人間が知覚できない電磁波のデータが壁沿いに広がる16mのディスプレイにリアルタイムで映し出されます。
カールステン・ニコライは、「アルヴァ・ノト」の名義で坂本さんとの音楽アルバムの制作やライブツアーでも協働してきたアーティストです。フランスの作家、ジュール・ヴェルヌの空想科学小説『海底二万里』を映像化した作品に坂本さんの最後のアルバム『12』の曲を添えた映像作品を展示しています。
アピチャッポン・ウィーラセタクンはタイ王国の映画監督で、『ブンミおじさんの森』が第63回カンヌ国際映画祭でタイ映画史上初めてとなるパルム・ドール(最高賞)を受賞した人物で、坂本龍一とは日本科学未来館に出品したVR作品で協働したり、坂本龍一のアルバム『async』の音楽を使った短編映画のコンペティションで一緒に審査員を務めたりしています。
「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」というコンセプトで、〝非同期的な音楽”を坂本が感じるまま演奏したというこのアルバム『async』。坂本さんはアルバムを「立体的に聴かせる」ことを意図したと言い、コンペティションでの作品募集以外に高谷史郎さん、アピチャッポン・ウィーラセタクンさん、坂本さんのもう1つの本拠地であるNew Yorkを拠点にしたアーティストデュオのZakkubalanらが、このアルバムを基にしたインスタレーション作品を作っています。
ウィーラセタクンさんの作品は小型カメラを親しい人々に渡して撮られた映像にアルバムからの2曲を合わせた作品となっています。
坂本龍一+Zakkubalan «async-volume» (2017)。
一方、Zakkubalanは暗い部屋に並べられた24の「小さな光る窓」(実はiPhoneやiPad)に坂本さんが多くの時間を過ごしたニューヨークのスタジオやリビング、庭などの断片的な映像を環境音と楽曲をミックスした音を添えて映し出した作品となっています。
さまざまなアーティストとの、さまざまなコラボレーションが楽しめる本展ですが、音楽家としての坂本龍一さんのファンの心を最も強く打つのは、おそらく展覧会の最後に展示されている坂本龍一×岩井俊雄«Music Plays Images × Images Play Music»でしょう。
アーカイブ特別展示 坂本龍一× 岩井俊雄 «Music Plays Images × Images Play Music» (1996-1997/2024)。打鍵のタイミングや強弱など坂本による電子ピアノの演奏を記録したMIDIデータを基に電子ピアノを使って演奏を再生。その上に実物大の坂本の映像を投影した作品。まるで本人の生演奏を聴いているような気分が味わえる。
岩井さんがアーカイブとして所蔵する坂本龍一さんのピアノ演奏のデータ(MIDIデータ)を基に、電子ピアノを制御し、そこに坂本さんが演奏している姿の映像をほぼ原寸大で重ね合わせるという内容で、まるで目の前で坂本さんの演奏を聴いているような感覚が味わえます。
展覧会では他に坂本さんのアルバム制作時にインスピレーションを与えた書籍、写真、メモや譜面や坂本さんのインタビュー記事が掲載された雑誌なども多数展示されています。
坂本龍一さんを紹介する言葉として、最もよく使われるのは「音楽家」という言葉でしょう。しかし、彼と同じ時代を生きた人々であれば、彼がYMOの一員として、あるいは個人としてテレビや雑誌、街中のポスターからインターネットなどあらゆる場所に登場した進化し続ける文化的アイコンだったことをよく知っているはずです。ただ活動の幅も興味の対象もあまりにも広いために、捉えどころがないと感じていた人もいるかも知れません。
坂本龍一さんをよく知る6名のアーティストとのコラボレーションが並ぶ今回の展覧会を体験すれば、坂本さんの考えの輪郭をなぞることができると思います。
今は亡き巨匠を忍びながら静かにじっくりと鑑賞したい展覧会です。作品は12点ですが、映像作品が中心で、1つ1つの作品の上映時間が長いので、時間に余裕を持って訪問することをお勧めします。
なお、東京都現代美術館では、この注目の展覧会の開催に合わせて、通常のミュージアムショップと隣接する形で本展関連商品に限定した特設ショップを開設しています。
◆坂本龍一 | 音を視る 時を聴く
2024年12月21日(土)- 2025年3月30日(日)
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(1月13日、2月24日は開館)、12月28日~1月1日、1月14日、2月25日
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/B2F ほか
観覧料: 一般2,400円(1,920円)/大学生・専門学校生・65 歳以上1,700円(1,360円)/中高生960円(760円)/小学生以下無料
Profile
林信行 Nobuyuki Hayashi
1990年にITのジャーナリストとして国内外の媒体で記事の執筆を始める。最新トレンドの発信やIT業界を築いてきたレジェンドたちのインタビューを手掛けた。2000年代からはテクノロジーだけでは人々は豊かにならないと考えを改め、良いデザインを啓蒙すべくデザイン関連の取材、審査員などの活動を開始。2005年頃からはAIが世界にもたらす地殻変動を予見し、人の在り方を問うコンテンポラリーアートや教育の取材に加え、日本の地域や伝統文化にも関心を広げる。現在では、日本の伝統的な思想には未来の社会に向けた貴重なインスピレーションが詰まっているという信念のもと、これを世界に発信することに力を注いでいる。いくつかの企業の顧問や社外取締役に加え、金沢美術工芸大学で客員名誉教授に就いている。Nobi(ノビ)の愛称で親しまれている。
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