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日本のエグゼクティブ・インタビュー

2024.11.19

老舗企業が連なる醤油業界で革命を起こせるのか フンドーダイ代表取締役社長 山村 脩

『透明醤油』という商品をご存じだろうか。味はしっかり醤油なのに、なぜか水のように無色透明の醤油。これを製造しているのが、今回ご紹介をする山村 脩氏が代表取締役社長を務める熊本の醤油老舗メーカー「フンドーダイ」である。経営の転機でフンドーダイを救った元証券マンの山村氏が、なぜ社長へと起用されたのか。そして山村氏の波乱に満ちた人生もまた興味深い。

 

 







地元の名家、大久保家から事業を受け継いだのは元証券マン

 

 

フンドーダイは熊本の名家である大久保家が、戦国時代末期より営んでいた両替商や造り酒屋がはじまり。1869年に11代目当主が醤油味噌の製造へと業態転換し、長く地元から愛され続けてきた調味料メーカーである。しかし時代の変遷に対応していくために、2014年にベンチャーで6次産業化を目指す「五葉」と経営統合し、山村氏も事業へ参画することになる。





山村氏は大学を卒業後、野村證券に入社し、営業畑を歩んでいた。10年が経つ頃には引き抜きの話も増え、自身も他業種に興味を持つようになっていったと語る。

 

「次は外資系企業へ行って、早い時期にファイヤーできたらよいなんて考えていました。そんな時、外資系企業へ就職したはずのゼミの同級生がなぜか金型会社の工場長の名刺を持っていたんです。話を聞けば、金型のベンチャー企業に転職した言うんです。彼は私にとても面白いことをやっているから見に来いよ!と誘ってくれたことがきっかけで金型会社へ転職することになりました」。

 





全くの異業種への転職で待ち受けていたのは、天国と地獄

 

 

金型とは工業製品を量産・生産するために必要な金属の器の総称であり、モノづくりには欠かせない型枠である。
山村氏が転職したインクスは、3次元CAD(コンピューターによる設計)から、簡単に金型設計加工ができるソフトを自社開発し、1990年創業当時から金型業界の革命児と呼ばれ、金型業界を大きく変革させる可能性を秘めた企業として注目されていた。






「当時のオーナー社長は『金型は人間でいえば頸椎。型がなければモノづくりはできないが、下請けのイメージが強い。だからこそ自分たちが金型業界を、製造業を強くするぞ!』その言葉に強く惹かれたんですね」。

 

インクスは驚くほどのスピードで成長をしていったが、経営に無理が祟たり、さらにリーマンショックの影響もあって、2009年に民事再生となった。突然の混乱の中、山村氏を含めたプロパー社員が再生に努め、2011年に山村氏は退職する。






農家になるミッションを背負って、右も左もわからない熊本へ移住

 

 

会社の再生に奔走する日々から解放されて、1年間は職に就かず、海外旅行をしたり、上海に移住したりの暮らしをする。

 

「自分で投資ファンドをやっている野村証券時代の先輩に、当時中国のPM2.5による空気汚染を愚痴っていたんです。それなら空気が綺麗なところに行かないかと先輩が嬉しそうに語り、次は食に関わるビジネスを行いたいので、九州で農業生産法人を立ち上げないかと誘ってくれたんです」。

 

次の仕事について考えはじめていたタイミングでもあり、『農家になれ!』というミッションを背負って、熊本へ移住を決意した。しかし熊本へ行ってみると、農業生産法人の立ち上げが実に難しいことだと知ることになる。








農業生産法人とは農業経営を目的として、農地法で農地の取得を認められた法人を指すもので、山村氏が農家になるためには、すでに農地を所有しているか、親子3代農家であることが条件だった。

「農業生産法人になるのは難しいと先輩に話すと、だからお前を熊本へ送ったんだよ、何か方法を探せと。仕方がないのでなんとか方法を探すと、地元の理解があればなんとなるかもしれないと知り、農業委員会にアプローチを重ねてミッションを果たすことができましたが、時を同じくして、フンドーダイとの経営統合が決まりました」。






東京・浅草にあるフンドーダイのアンテナショップ「出町久屋」 東京・浅草にあるフンドーダイのアンテナショップ「出町久屋」

東京・浅草にあるフンドーダイのアンテナショップ「出町久屋」

 







地元に愛され続けているフンドーダイを立て直すために奮闘

 

2014年より、山村氏も参画してフンドーダイの立て直しがはじまった。

「まずは外部から経営者を招いて会社の立て直しを図ったのですが全く上手くいかず、2016年にはフンドーダイの経営統合を推進した先輩が社長になりました。しかし依然として厳しい状況が続いたまま。フンドーダイの赤字は膨らむばかりだったのを見かねた投資家の一人が『このまま投資を続けても意味はない。常駐の社長を1人置き、本業で利益を立たせる方法を考えるべきだ』と穏やかながらも厳しい提案がありました。そして今までの一連の流れを知っている私に社長をやらないかと話があり、悩んだ末お受けしました」。

 

 





3年で黒字化するので、その間の支援を条件に山村氏が2018年に社長に就任する。

具体的な立て直し案があったわけではなく、ただ度々変わる経営体制に振り回されて、委縮していく社員たちの姿に胸が痛んだ。そこで彼らを元気にするためには、フンドーダイの技術を集約した新製品開発が一番と考えた。





(左)生揚げ醤油を特殊技術によって透明した「透明醤油」100ml \550 (右)九州産大豆・小麦を使った本醸造醤油に、赤酒、和三盆を加えた「平成」100ml \550 (左)生揚げ醤油を特殊技術によって透明した「透明醤油」100ml \550 (右)九州産大豆・小麦を使った本醸造醤油に、赤酒、和三盆を加えた「平成」100ml \550

[左]生揚げ醤油を特殊技術によって透明した「透明醤油」100ml ¥500(税別)[右]九州産大豆・小麦を使った本醸造醤油に、赤酒、和三盆を加えた「平成」100ml ¥500(税別)

 






「まずは九州の高級醤油を作れないかと社員に提案しました。テーマは新宿伊勢丹に置いてもらえる醤油。すると社員は高級志向の九州醤油なんて笑われますよ!と言うんです。九州の醤油は混合醤油といって、アミノ酸や砂糖を加えているので九州の人は一歩引くんです。私は九州の食材にはやはり九州の醤油がよく合うと思いますし、九州の文化に誇りを持つべきだと思っています。その想いから誕生したのが、無添加で、九州の原料にこだわった高級醤油の特醸甘口醤油『平成』です。目標としていた伊勢丹新宿本店にも置いていただいています」。

 

そして同じタイミングで開発をスタートさせたのが『透明醤油』であった。





「九州の高級醤油に並んで考えたのが、当社の技術を使った特別な醤油の開発です。社員とのディスカッションの中で、ある女性社員から醤油の色は消せると思うと話がありました」。

そもそも醤油はその発酵過程でアルコールを発生させる。フンドーダイはそれを取り除く特許技術を持ち、この技術こそが透明醤油製造のカギになるのだと言う。




「当社の技術があれば、透明にできることは分かっていたんですが、水のように透明にする以上に、その透明さをキープさせることが大変でした。時間が経つと、透明醤油は徐々に色づいてくる。それを起こりにくくするために、最終調合で使う原料の選定に試行錯誤しました」。

 

 





社員一丸となって作り出した透明醤油は海外を中心に注目され、料理業界においても一石を投じる商品となった。これらの商品をきっかけにメディアへの登場も多くなり、業績は安定していった。





これは傑作と呼ぶ、本わさびのみで製造した「わさびオイル」

 

フンドーダイの新製品開発はその後も続く。

「日本人にとっては醤油に適量のわさびを溶くわさび醤油は容易く作れますが、海外の人には醤油とわさびのバランスがわからない。そこで、最初から溶いてあるわさび醤油が欲しいと言う話があり開発を続けましたが、わさびは水溶性なので、開封すると3日で香りも味わいも消えてしまう。3年半かけて研究しても納得する商品を作ることができませんでした」。

 




菜種油の生産量が多い熊本には製油会社も多く、山村氏が製油会社の社長にわさび醤油の話をしたところ、オイルならわさびを閉じ込められるのではないかと提案を受け、2年かけて完成したのが『わさびオイル』だ。




上質の菜種油に本わさびを使用した「わさびオイル」45g ¥1,000 上質の菜種油に本わさびを使用した「わさびオイル」45g ¥1,000

上質の菜種油に本わさびを使用した「わさびオイル」45g ¥1,000(税別)


「西洋わさびは使わず、本わさびのみを使用していますので、辛味は強いですが、味が非常によく、試食されればほとんどの方が購入されます。まさに傑作です。これを当社の『平成』と合わせると、辛さと甘さが相まってとても本当に美味しいのでおすすめです」。

たしかに通常の市販のチューブ型のわさびとは辛さの質や香りが違って、癖になる味わいである。

 



また最近では、透明醤油をムース化した「Foam-Clear Soy Sauce」、九州醤油のムース「Foam-Sweet Soy Sauce」に加え、醤油と味噌それぞれをシート化した「Leaf」を開発した。

「この商品は一般家庭向けというよりはプロ向けです。醤油と味噌をムースやシートにすることで、さらに料理の可能性が広がると思いまし、海外でのニーズもあると考えています」。

日本人にとって台所の必需品の醤油が姿を変えて楽しめるのはカルチャーショックでもあるが、その豊かな発想には頭が下がる。山村氏はその開発力の根底にあるのは、農業県である熊本出身の社員たちの鍛えられた舌にあると語る。

 

 




(左)透明醤油をフォーム化した「Foam-Clear Soy sauce」(右)九州醤油をフォーム化した「Foam-Sweet Soy sauce」 (左)透明醤油をフォーム化した「Foam-Clear Soy sauce」(右)九州醤油をフォーム化した「Foam-Sweet Soy sauce」

[左]透明醤油をムース化した「Foam-Clear Soy Sauce」[右]九州醤油をムース化した「Foam-Sweet Soy Sauce」




(左)醤油の「Leaf」(右)味噌の「Leaf」 (左)醤油の「Leaf」(右)味噌の「Leaf」

[左]醤油の「Leaf-Soy Sauce」[右]味噌の「Leaf-Miso」





食材が豊かな熊本から生み出される調味料の可能性

 

「熊本は農業産出額が全国で5番目の農業県です。海のもの、山のもの、畜産、これほどまでに食材が豊かな県は少ないと思います。だからこそ、ここで育った人たちは舌が肥えているんです。社員の多くは熊本出身ですから、優れた舌の持ち主ばかり。よく消費者の方々に当社の商品は主張しすぎないのに、素材の味わいを引き出し、どんなものにも合わせやすいとお褒めの言葉をいただくのですが、これら商品を支えているのが彼らの肥えた舌にあると思っています」。



社長就任直後は、異業種から来た山村氏に対して快く思っていない社員もいたようだが、常に一生懸命な山村氏の姿に共感した社員たちと、いつしか信頼と絆を持つようになっていった。

 

 





「長く地元に根付き、愛されてきたフンドーダイをどう次へつなげていくか、その責任は常に感じています。醤油業界は、代々受け継がれている老舗企業が多く、私のような立場の者は珍しい世界です。異業種から来た私に何ができるのか、この答えはまだ見えていません」。

海外マーケットの拡大、新製品開発など、社長に就任してから挑戦と改革を続けている山村氏の野望はまだ続いていく。今後のフンドーダイの成長と共に、山村氏の次なるステージがどこになるのかも気になるところである。




島村さんと山村さん 島村さんと山村さん




山村 脩 Osamu Yamamura

1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業。1992年、野村證券に就職し、支店リテール営業や法人営業などを担当。2002年退職。2002年株式会社インクス入社、2011年退職。2013年株式会社五葉フーズ常務取締役、2018年現職就任。

 

 

 

島村美緒  Mio Shimamura

Premium Japan代表・発行人兼編集長。外資系広告代理店を経て、米ウォルト・ディズニーやハリー・ウィンストン、 ティファニー&Co.などのトップブランドにてマーケティング/PR の責任者を歴任。2013年株式会社ルッソを設立。様々なトップブランドのPRを手がける。実家が茶道や着付けなど、日本文化を教える環境にあったことから、 2017年にプレミアムジャパンの事業権を獲得し、2018年株式会社プレミアムジャパンを設立。

 


Photography by Toshiyuki Furuya

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