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Style

Living in Japanese Senses

日本の手仕事が蘇る、世界で活躍する日本人デザイナー

2024.3.5

唯一無二のブランド「MIZEN(ミゼン)」寺西俊輔の挑戦

MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKIより。



日本には唯一無二の伝統技術が多くあるが、それらの継承問題は社会課題となって久しい。「Hermès(エルメス)」をはじめとする世界的な一流メゾンで活躍したファッションデザイナーの寺西俊輔は、この課題に立ち向かうために、ミラノ・パリでの活躍にピリオドを打ち、日本の伝統技術とファッションを融合するプロジェクト「MIZEN(ミゼン)」を2022年にスタートさせた。寺西が展開する独自の世界観と日本の新たな美は、私たちに多くのことを問いかけてくる。

 

ヨーロッパへ渡り見えてきた、日本人への信頼と日本の美意識

 

ミゼン代表の寺西俊輔は、幼少期からモノづくりやファッションが大好な少年だったと聞く。そして進学先に選んだのは京都大学建築学部。モノづくりができると進学したものの、やはりファッションが好きという想いが断ち切れず、大学卒業後は「YOHJI YAMAMOTO(ヨウジ ヤマモト)」への就職を決めた。
「当時のYOHJI YAMAMOTOにはデザイナーという職種はなく、パタンナーはデザインをして、それを3D(立体的)の形に縫製まで行うことから、デザイン・パターン・縫製の技術を持つことが求められていました。これは日本のデザイナーブランドでは珍しいことではなく、このようなパタンナーを3Dデザイナーと呼びますが、完全分業制のヨーロッパメゾンでは驚くべき存在であり、大変重宝もされていました。さらに日本人の誠実な仕事ぶりもあって、ミラノやパリでは大変評価されているように感じました」。

 

ファッションの本場ヨーロッパへ渡った寺西は、「CAROL CHRISTIAN POELL(キャロル・クリスチャン・ポエル)」に始まり、「AGNONA(アニオナ)」やエルメスなど、世界の一流メゾンで3Dデザイナーとして活躍したが、日本に暮らしていた時には気づかなかった事や新たな目標が徐々に見えてきたと語る。



ミゼン代表の寺西俊輔。 ミゼン代表の寺西俊輔。

ミゼン代表の寺西俊輔。







南青山のショップに並ぶ洋服のサンプル。スカーフやタイなどの小物もある。 南青山のショップに並ぶ洋服のサンプル。スカーフやタイなどの小物もある。

南青山のショップに並ぶ洋服のサンプル。スカーフやタイなどの小物もある。









「ヨーロッパへ移住した時は、もう日本に戻ることはないかなと思っていましたが、ミラノやパリに身を置くと、日本こそが自分の原点であり、日本へ社会貢献したい、そんな思いが生まれてきました」。
日本人デザイナーへの高い評価と信頼には感謝しつつも、個の存在価値についての考えるようになったと語る。
「20代で渡欧、30代ではエルメスで働くなど、次々と夢を叶えていくことができました。エルメスはとてもいい会社ですし、素晴らしい仲間にも恵まれましたが、自分が抜けてもエルメスはエルメス。何も変わりません」。
ヨーロッパには一流メゾンを次々と渡り歩くデザイナーも多くいると聞くが、寺西は一流メゾンでの輝かしいキャリアを積むことに心は惹かれず、それよりも自分にしかできないこと、日本のためにできることにチャレンジしていきたいという気持ちが湧いてきた。

 

日本の伝統技術を支える職人たちの手仕事の素晴らしいこと

 

そんな時、パリで開催されたファッション素材の見本市「プルミエール・ビジョン(PremiereVision)」で衝撃的な出合いがあった。
貝殻の真珠層を織り込んだ「螺鈿織(らでんおり)」を手がける『民谷螺鈿 (たみやらでん)』(京丹後市)、2匹の蚕が一緒に作る希少な「玉繭(たままゆ)」から手で糸を取り、それは見事な美しい色遣いの『白山工房(はくさんこうぼう)』(石川県白山市)の「牛首紬(うしくびつむぎ)」など、日本人でも知らなかった素晴らしい技術の数々に寺西は胸を打たれた。
その後日本に戻ると、京丹後や奄美大島などの織物産地に足を運び、職人たちの素晴らしい手仕事を目の当たりにし、なんとしても日本の伝統技術を守りたい、守らないといけないという思いに駆られ、これこそが次に自分がやるべきことと考えるようになったと話す。







牛首紬の繭 牛首紬の繭

石川県の白山市で作られている織物「牛首紬(うしくびつむぎ)」。1988年(昭和63年)に国の伝統的工芸品に指定された。2匹の蚕(かいこ)が作った「玉繭(たままゆ)」から糸を紡ぎ出し、糸づくりから製織までのほとんどの作業を手作業で一貫生産している。





牛首紬 織り機 牛首紬 織り機

玉繭は糸を引くのが難しく、職人の熟練の技が求められる。手挽きした糸は弾力があり、丈夫で耐久性に優れて通気性や肌触りが良く、また美しい光沢が生まれる。






螺鈿織 螺鈿織

貝殻の内側の虹色に輝く「真珠層」を薄く削り出して漆器になどに嵌め込む伝統技術が、螺鈿(らでん)である。帯や着物に織り込む「螺鈿織り」は民谷螺鈿の創業者にあたる、先代の民谷勝一郎が開発した。








「世界的なメゾンでも着物の織地や染物をコレクションに使うことはありましたが、それはたった一度の取り組みに過ぎません。それでは伝統技術の継承や職人さんの仕事の安定にはつながらない。もっと継続的に、より安定的な仕事が発注できれば、職人さんの収入は安定し、職人さんのやりがいも生まれるはずです。そのためには我々がもっとこれらの技術へ関心を持ち、その価値を理解することが、それらの技術の継承につながると考えます。そして、そのためのプロジェクトを自分が立ち上げよう、そう決意したことがミゼンのはじまりです」。

 

意を決した寺西は2018年に帰国を決意。帰国のために空港にいた時、フランスの某有名ブランドからオファーの電話が鳴った。誰もが心惹かれるブランドではあったが、寺西の決意は変わらず、帰国して新ブランド立ち上げに奮起する。翌年、ミゼンの前身となる「ARLNATA(アルルナータ) 」をスタートさせ、2022年にはより扱う織地の産地を増やし、オリジナルデザインの織地を作るなど、より柔軟で汎用性の高いスタイル提案をするミゼンをスタートさせたのだ。

ミゼンという名前は「未然形」という単語から来ている。今までにはなかった、職人を中心としたブランドであり、伝統技術をそのままに生かして、職人に寄り添った新しいシステムで生み出されるファッションプロジェクトがここから始まった。

 

産地・手仕事・職人、、それらを生み出すものを知ってもらうことも仕事の一つ

 

南青山のミゼンの店内には、さまざまな産地の織地が並び、日本の伝統技術へのリスペクトを強く感じるモダンな空間が広がっている。2階に上がれば、ハンガーに掛かる寺西の美しいデザインの洋服が目に飛び込んでくる。しなやかなで凛々しく、手仕事で生み出された美しい紬や絣の素材を巧みに使ったミゼンの世界観には、ただ圧倒される。
ミゼンではサンプルを元に、好きな産地の紬や絣、などの織地を選びオーダーすることができる。その際、寺西は必ず、染めや織りの技術やその産地、成り立ちなどについて丁寧に説明していく。ミゼンの主役はデザイナーではなく、あくまでも伝統技術であり、その背景にいる職人だから、と寺西は語る。







MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKI 2 MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKI 2

MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKIより。






MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKIより。 MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKIより。

MIZEN BLUE 勝〜SHO〜INSTALLATION by NAOKI SASAKIより。







「洋服には産地のタグを付けていますが、それは織物や伝統術のストーリーとともに着こなしていただきたいと考えているからです。自分もそうでしたが、日本人でも知らない産地や技術は多くあります。日本の大切な技術や職人さんの想いを感じて欲しいですね」。

 

着物の素材を洋服にするのは実は簡単なことではない。繊細な着物の素材は、洋服のような着こなしをするには強度が弱いものもあるため、寺西はニットやシルク、他の織地や染物と組み合わせながら、洋服としての着やすさを高める工夫をしている。
「エルメス時代にも伸縮性のある素材とない素材を組み合わせるデザインは行ってきましたが、伸縮の異なる生地を縫い合わせるには高い技術が必要です。まずは日本で、これができる工場や職人を探す必要がありました。ミゼンは基本的に全て日本で縫製をしていますので、日本の高い縫製技術もミゼンには欠かせません。
正直、ミゼンの洋服は安くはありませんが、その背景には織物や染物に携わる多くの職人さんの丁寧な手仕事や細かな作業、特別な技術があることを知っていただけたら嬉しいです。ミゼンの洋服や小物を身につけることは、それら技術へのエールであり、それを支援していただくことと考えていただきたいです」。

 

寺西は、次世代のラグジュアリーというのは、自己の欲求を満たすためだけのものでなく、人と人とが繋がること、職人などの人の存在やそこにあるストーリーに価値があると語る。己のスタイルこそが共感の証であり、そこに誇りを感じる。これこそが新しいラグジュアリーの価値観なのかもしれない。

 

脈々と続く日本の伝統と寺西俊輔が作り出すミゼンのスタイルに、世界のセレブたちも注目をしている今、日本の新たなラグジュアリーブランドの萌芽を予感する。

 

(敬称略)






寺西俊輔  Shunsuke Teranishi

ミゼン代表。京都大学建築学科卒業後、YOHJI YAMAMOTO 入社後、イタリア・ミラノに渡り、CAROL CHRISTIAN POELL チーフパタンナー、AGNONA クリエイティブディレクター STEFANO PILATI 専属3Dデザイナーとして経験を積んだ後、HERMÈSに入社し、フランス・パリに移る。アーティスティックディレクターNadège Vanhée-Cybulski のもと、レディスプレタポルテの3Dデザイナーとして働く。2018年日本に帰国後、伝統産業の新たな価値を発信することを目的とした STUDIO ALATA を設立し、ARLNATA (アルルナータ)を立ち上げる。その後2022年4月にふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」の創業者とミゼンを立ち上げる。2023年、FORBES JAPAN主催「CULTURE-PRENEURS 30 2023」受賞。

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