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日本の家紋を知る

2023.5.1

【彦根橘×井伊直正】徳川家康に見いだされた井伊直正が用いた家紋です












豊かな発想からのデザインが美しい日本の家紋。家紋とは、個人や家を識別するために用いられてきました。おおよそ200種類以上の家紋が現在でも使われているといわれています。家紋の種類と呼び名、家紋を使用した武将や著名人などを紹介しましょう。

 

 

 

 







橘紋

 

その由来は奈良時代にさかのぼります。元明天皇より橘姓を賜った県犬養三千代から始まりました。橘はミカン科の常緑小高木。一年を通じて緑をたたえているため、永遠性や継続性を象徴します。

 

橘氏がもっとも栄えたとされるのは奈良時代。平安時代になると藤原氏などに押され、政治の表舞台からは締め出されていきます。しかし、文人としては著名人を輩出。書で名を遺した橘逸勢、百人一首にも歌が納められた小式部内侍などがいます。また、平安時代中期以降となると、武家となるものも出てきます。南北朝時代、楠木正成は橘氏をルーツに持つと称していました。










徳川四天王のひとり、井伊直正の家紋「彦根橘」

 

 

時代を経て、徳川四天王のひとりである、井伊直正も橘紋を用いていました。橘紋をベースに葉とガクの部分をアレンジし井伊家の家紋「彦根橘」となりました。

 

 

井伊直正が家康に仕えたのは15歳のとき。鷹狩りの際、直正の美少年ぶりに家康の目が留まり、出仕することとなったというエピソードが残ります。美しいだけでなく、武将としても活躍。武具を赤で統一する「赤備え」で名を馳せました。関ヶ原の戦いでも活躍しますが、その時に得た傷がもとで、2年後に亡くなります。

 

 

徳川四天王の中でも、徳川家康のお気に入りの家臣と知られる井伊直正。桜田門外の変で倒れた幕末の大老・井伊直弼まで、井伊家は徳川家の重臣であり続けました。

 





参考図書:「戦国武将ビジュアルプロフィール200」青木康洋著 インプレスコミュニケーションズ
家紋素材:発光大王堂

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