「海を取られた!」 数十m沖合いへ移動した波打ち際
「津波がくる!」と、高台にある公民館の駐車場に逃げてから、2~3時間が過ぎていました。大きな地震のほかに、何が起こっているか分からず、困惑している状態でした。手元にあったスマホの電波は途絶え、緊急地震速報のアラームと津波警報の画面表示のまま止まっています。駐車場に逃げてきた方々とお互いを気遣う言葉を掛け合うことで、何とか冷静さを保ち、生きていることを確かめているような時間でした。
その間、町のお父さん達は自らの命の危険を省みず、住宅のなかに取り残されている人がいないかと町内を一軒ずつ訪ね、全壊した住宅から脱出できなくなってしまった方を救出して、黒島町の皆の安否を確認してくださっていました。凍える寒さのなか真っ暗になりましたが、一向に津波の気配はありませんでした。
元旦の晩はそのまま公民館で過ごすことになり、外で待機していた方々が順々に明かりの灯った公民館の室内へ入っていきました。ふだんからこの町で暮らす方々に加え、お正月に帰省されていた子ども達の家族等130名程が避難していたでしょうか。この町に引っ越して一か月程の私にとっては、初対面の方々ばかりでした。多くは生まれも育ちも黒島で、家族ぐるみのお付き合いをされている方々。このような皆さんに囲まれ、ぽつんとしていると「ここにおいで!」と座布団を空けてくださったことが、どれ程に心強かったことか。ご近所さん達と肩を寄せ合い、わずかなスペースで暖をとり、夜ごはんには公民館に備蓄してあった非常食を分け合って過ごしました。
1月1日、元日の朝に高台から町を見下ろし、何気なくシャッター切った。この日の夕方に大地震が襲ってくることを知るよしもなく。
1月6日、元日と同じ場所から撮影。鳥居や家屋は倒壊し、道には瓦礫が散乱。海岸が隆起し、砂浜が広がった。
テレビに映る、変わり果てた輪島の姿
しばらくするとテレビがついて、その画面には真っ赤に燃える輪島市街地の様子が映し出されました。朝市周辺で延焼し続ける火事の映像でした。目に飛び込んできたのは、ついこの間まで暮らしていた河井町の変わり果てた光景。いつも朝市で海産物や食料品、漆器を並べている方々、市街地に住む知人達の顔が浮かんできます。そわそわするばかりで、連絡することも駆けつけて何かすることもできない状況で、どうか生きていてほしいと心から願うばかりでした。
一晩中、黒島の町の様子とテレビで流れていた市街地の映像が頭から離れずにいました。これが本当に現実のことなのかどうか受け止めきれず、果たして何がどうなっているのか分からず、座布団の上で丸くなったり横になったりして夜が更けていきました。
朝方になるとテレビの電波が途絶え情報を得ることができなくなり、やがて電気もストップ。外が明るくなり、お向かいのお母さんと自宅に帰ってみようと、高台から坂を下って浜へ向かうと、そこに広がっていたのは、今まで見たことのない景色でした。
海に水がない!波音の消えた浜
地震が起きる前の一か月程、自宅兼漆塗りの工房として、浜辺近くの古民家に暮らしていました。豊かな自然とあたたかなご近所さんに囲まれた、心穏やかな日々。天気のいい日には、水平線に浮かぶ夕日や月を眺め、波音に耳を澄ますように過ごします。嵐がくると、荒波のしぶきで窓ガラスが曇り、海風で家が揺れ、舞い上がった砂が家屋内に吹き込んで床一面が白くなります。一長一短ありましたが、自然の移ろいとともにある暮らしでした。
地震前の穏やかな日々。周囲を茜色に染め、水平線に沈んでいく夕日を眺めるのも楽しみのひとつだった。
お母さんと自宅近くの浜へ辿り着くと、何てことでしょう!今まで海だったところに水がなく、赤茶色い海底が露出しているではありませんか。何だか異世界にやってきたような、ぞくぞくする景色でした。昨日の大きな揺れによって、波打ち際が数十m沖合いの方へ移動してしまったのでした。
波打ち際が数十メートルも沖合に後退し、不気味な赤茶色の海底が露出。見慣れていた光景が一変し、異世界へ連れてこられた気分だった。
「海を取られた」 地元の方々の悲痛な叫び
この黒島町は、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船の寄港地、そして船主集落として栄えた地域。その当時は、黒島港を通じて日本の南から北に至るまで色々な交流があり、多様な文化がもたらされました。その面影や空気感が、今なお町のなかに感じられます。先祖代々に渡って航海や貿易に携わってきた矜持、そして大自然への畏敬の念が相まって生まれた有形・無形の文化がこの地に根付いていて、町のふだんの暮らしのなかで受け継がれているのです。このような土地柄で生まれ育ったお父さん達は、自家用の船で沖に出て、厳寒期を除く一年を通して漁をすることが生きがいとなっている方々も多くいらっしゃいました。
北前船の寄港地として栄えた黒島町は、船主宅の屋敷や黒瓦の日本家屋が残る、美しい家並の町として知られていた。
夕方に公民館へ戻り、波打ち際が移動したことについて、玄関ロビーで夜番をしているお父さん達に尋ねてみました。
「サザエやウニ、アワビが岩や消波ブロックにくっついたまま身動きがとれない状態だから、今なら歩いて採りに行けるよ!海水がなくても三日位は生きているから、今のうちだ」
お父さんの一人が冗談交じりに、でも少し言葉を濁すように話していました。
この時、お父さんは周囲を明るく元気づけようと気丈に振る舞っていたけれど、心のなかでは悲痛な叫びを上げていたに違いありません。今まで港だったところが干上がってしまい、もう船をつけることもできない状態になり「海を取られた」という途方に暮れた気持ちが後ろ姿に滲み出ているようにも感じました。自然の恵みや厳しさを味わいながら、この風土に身をゆだねるように生きてきたからこその言葉。余白からは、落胆する気持ちの深さとともに、純粋にこの地を愛する気持ちがひしひしと伝わってきました。
海の謎がようやく自身のなかで解けたのは、地震から10日余りが経ち、外部からの情報を得られるようになってからのこと。専門家によると、あの大きな揺れで、黒島の海岸線沿いの断層が約4m隆起したとのこと。元旦の夕方に津波はきていたものの、海底が盛り上がった高さによって海水の動きが打ち消され、陸地まで波が到達しなかったそうです。
山が笑い出す、さぁスタートだ!
地震から100日以上が経っても、元旦のまま時が止まっているような感覚が心のどこかにあります。年明けの上塗り仕事に向けて用意していた漆は散乱したまま、この春の個展を目指し1年かけて準備してきた漆器は仕上げられないまま…。どうしようもない現実に気後れしたり、たまに胸が締め付けられるようになったりするけれど、日は昇り、やがて暮れ、季節はめぐります。
3月の終わりから、ツバメを見かけるようになりました。そして、東の空がほんのりと赤く染まり、明るくなるまでの時刻には、色々な野鳥がさえずりはじめます。まだ眠い時間帯だけど、重なり合ってこだまする美しい歌声に目が覚めて、早起きして散策せずにはいられなくなります。
雪国の春は、至るところに命の輝きが凝縮されていて、パワフルです。冬を越した花々、春を待ち侘びていた蕾、土のなかで眠っていた草の根が一気に芽吹き、開きます。すると、野山がいっせいに色とりどりになり、香り豊かな空気に包まれ、まるで笑い声が聞こえてくるかのようです。この季節に散策していると、うっとりするような風景が広がっていて、花々をめぐる蝶や虫のように自然と踊りだしそうな気分になります。
木蓮の花が一斉に開いた。手の平を合わせ、そっと広げたようなその形は、春の訪れを受け止めているかのよう。
能登半島の桜の開花は4月半ばころ。「さまざまのこと思い出す 桜かな」この句を噛みしめながら花を見る。
数えきれないほどの土筆が顔を出す。それも、ある日突然といっても過言でないほど一斉に。
川辺にはいつの間にかコゴミが生えていた。アクはほとんどなく、柔らかくて食べやすく、天ぷらにしてもおいしい。
野草を摘んで料理することも、この時期の楽しみのひとつ。川辺を見渡すとコゴミやカンゾウ、田圃にはセリ、野原にはイタドリやツクシ、山水の湧く場所には葉ワサビやミズブキ等、やわらかくて、かぐわしい草があちらこちらに生えています。味わうたびに、心身が季節とだんだん調和していく感覚があります。
いよいよ能登にも春爛漫の季節がやってきました。これからの暮らしと仕事を模索して、動きはじめます!
白粥にぜんまいをあしらう。自然の造形の面白さと鮮やかな緑にしばし箸を止める。器は、自作の漆椀。
独活(ウド)をたっぷりと入れた味噌汁。春の香りが鼻孔をくすぐる。
秋山さんの作品展が「スペースたかもり」で4月に開催される予定でしたが、震災のために当初の規模を縮小し、被災を免れたほんのわずかな作品のみを展示する「ミニミニ展」が2日間限定で開催されます。
photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
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『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
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