能登半島地震の被害を受けた輪島市黒島地区能登半島地震の被害を受けた輪島市黒島地区

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輪島便り~星空を見上げながら~ 文・写真 秋山祐貴子

2024.3.29

輪島便り~若き塗師・秋山祐貴子さんが綴る輪島の現在(いま)漆への思い、日々の営み【第二回】【第一回】

かつては黒島の代表的な廻船問屋建築だった 旧角海家住宅も、1月1日の地震で倒壊。再建の目途は立っていない。




輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。そんな秋山さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。かつての輪島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。復興に尽力する一方で、日々の生活を営み、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの輪島の姿です。




震度7の地震で途切れた、明けましておめでとう

 

 

2024年元旦16時過ぎ、おしるこを食べながら年賀状を書いていたところ、大きな地震が起きました。前年11月に、石川県輪島市内の黒島町にある古民家へ引っ越してきて迎えた新年です。ここ数年、能登半島ではこのような地震が多発していたこともあり、初めは「いつものことだ」と思ってやり過ごしていました。

 

 

それから5分程経つと、今度は地面からドスーンと突き上げるような衝撃が起こり、部屋のなかがシェイクされるような状態に。その揺れがしばらく続き、座っていることもまっすぐ歩くこともできなくなり、机の下に隠れました。次の瞬間、家のなかが崩れはじめ、その粉塵で室内が霞みはじめたのです。

 

 

「これはまずい」と、家の外へ逃げることを決意。倒れて壊れた襖や崩れ落ちた砂壁、散乱した品々をかき分け、玄関へ何とか辿り着きました。しかし、ガラス戸が割れていて引き戸が開けられず、それではと勝手口へ急いだものの、こちらの戸も傾いて開きません。平衡感覚が乱れパニック状態になりながら、開閉できる窓を見つけて、そこから飛び降り、ようやく脱出することができました。




地震の被害を受けた黒島地区 地震の被害を受けた黒島地区

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている黒島町のメインストリートからの日の出。写真奥の山中にある神社も、今回の地震によって大きな被害を受けた。撮影は1月6日の早朝。





「津波がくる!早く高台の公民館に逃げよう」

 

 

家は十字路の角に位置し、外に出てみると三方向が瓦礫で塞がっています。斜め向かいの土蔵は全壊して、我が家の方へ倒れこんでいます。

 

 

お向かいさんやお隣さんと安否確認をして、「津波がくる!早く高台の公民館に逃げよう」と声を掛け合い、残る一方向の道を通って高台へ急ぎました。ご近所の家々の屋根からは、大雪のあとの落雪のように黒瓦が落ちていて、割れた窓ガラスの破片とともに、道中に散乱しています。

 

 

道の隆起が激しく、やっとの思いで公民館に辿り着くと、駐車場には多くの人が集まっていました。16時半を回っていたでしょうか。町のお父さん達の「しばらくしたら満潮を迎えるから、それまでここで待機して様子を見よう」という掛け声によって、混乱する気持ちがすこしなだめられました。

 

 

海の方角に夕日が沈んでいくとともに、ぐんと冷え込んできます。周囲には裸足に草履で逃げてきて凍えていたり、体調不良で氷のように冷たい地面に横になっていたりする方々もいらっしゃいます。着の身着のままで逃げてきた住民が身を寄せ合っているうちに、お互いの顔が見えなくなるくらい真っ暗になりました。その晩は公民館のなかで過ごすことになり、避難生活がはじまったのです。




 

能登半島は、2007年3月25日にも地震に見舞われています。私が漆塗りの修行のため輪島へ移住したのは、その翌年のことでした。日々の暮らしのなかで、地元の方々がご自宅や土蔵をはじめとする伝統的な建造物を数年かけて、時には十数年の歳月を経て、ようやく神社仏閣の修復に取り掛かる姿を見てきました。今回の地震は、やっと工事のブルーシートが外れたと思った矢先の出来事なのです。




春のはじめ、石蕗(ツワブキ)の黄色い花が輝きだします

 

 

能登半島はもともと海底が隆起してできた地形で、その自然のままの景観を残しつつ、先人が山海の恵みを活かすように暮らしを築いてきた地域です。この季節は、冬と春との境を行ったり来たりしているような気候が続きます。

 

 

春のはじめ、重たく積もった雪が解けはじめると、石蕗(ツワブキ)の黄色い花が輝きだします。雪に包まれた自然界には、鮮やかな色の植物の姿がまだ少ない時期で、道端にきらきらと光って見えるこの花に生命の躍動を感じます。

 

 

時折うっすらと積雪があるものの、地面に土が見えてくると蕗の薹(フキノトウ)が顔を出します。場所によって地面の温度が違うのか、同じ地域でも時期に差があります。ちょうどいい頃合いのものをすこしずつ摘んで、さっと料理して食卓で春の苦みと香りを味わいます。




ツワブキの花 ツワブキの花

どんよりとした天気が続く春先の能登。そんな時期、石蕗(ツワブキ)の花の鮮やかな黄色が眩しく目に映る。






地面から顔を出した蕗の薹 地面から顔を出した蕗の薹

雪が解け地面が見え始めるころ、蕗の薹(フキノトウ)も辺りを確かめるかのように、ゆっくりと顔を出す。




焼きおにぎり 焼きおにぎり

蕗の薹(フキノトウ)を摘み、蕗味噌に。それをたっぷりと塗った焼きおにぎりを自作の欅皿に盛る。




いつもは、子どものようにはしゃぎたくなる春なのに……

 

 

日本海にかかる分厚い灰色の雲間から太陽が出て、空気のあたたかい日が増えると木々の蕾が動き、梅の花が咲きはじめます。時折、枝木に鳥が集まる姿も見かけるようになります。

 

 

そして、海では海藻が旬を迎え、凍えるような時期からぽかぽかとするような時期にかけて様々な種類のものが採れます。海藻によって形状が異なり、その風味や歯ごたえを楽しみます。地物市や店頭に並ぶ魚の種類も増えてきて、食材に出合って料理を味わうことで、体のなかもすこしずつ冬から春へと移り変わっていきます。

 

 

このように能登は里山や海に囲まれていて、そこに暮らしていると四季折々の景色を肌身で感じることができます。冬の気候が荒々しく感じられる分、春の兆しを五感でキャッチするたびに、例年は子どものようにはしゃぎたくなるような気分になります。しかし、この春は行き場のない思いから視界が滲みます。同時に、まっすぐ生きようと奮い立たされるような思いが湧き上がってきます。

 




かじめ粥 かじめ粥

健康食品としても見直されている「カジメ」と呼ばれる海藻。そのネバネバはお粥と好相性。自作の汁椀に。




知恵を出し合いお互いを助け合う、黒島らしい人の温かさ

 

 

2024年3月現在、輪島の方々は市外の新しい拠点へ移ったり、二次避難をしていたり、ライフラインが整わない地元の環境で暮らし続けていたりしています。なかには傾いて倒壊しかけた家で、吹き込んでくる寒風や雨漏りにも耐えながら、この冬を乗り越えている方々もいらっしゃいます。

 

 

仮設住宅の入居には優先順位があり、このような危険と隣り合わせの暮らしをしている世帯も順番待ちで、見通しの立たない状態です。そして、人それぞれに被災の状況や置かれている環境が違っていて、今後の展望についても十人十色の選択を半ば強いられます。

 

 

黒島町では今なお上下水道が使えない状態です。それでも、住民のうち一握りの方々がここで暮らし続けています。このような状況で、住民主体の復旧に向けたボランティア活動が進むとともに、今後の復興についての意見交換や話合い、勉強会が活発に行われています。

 

 

被災した前回の地震に続き、町全体で壊滅的な被害を受けた今回も、昔ながらの伝統が息づく町並みを守りながら、新しい形を模索して暮らしやコミュニティの輪を繋げていこうとする機運が起こりはじめています。この地震のあと、手探りながらも地元の方々が知恵を出し合い、お互いを助け合う気風に、黒島らしいあたたかさをより一層感じています。




梅の木 梅の木

梅の木の下を通ると、ふわっといい香りが漂う。そして、鳥が木々を飛び交う。






震災を免れた秋山さんの器を中心とした、ささやかな展覧会が東京で開催されます

秋山さんの作品展が「スペースたかもり」で4月に開催される予定でしたが、震災のために当初の規模を縮小し、被災を免れたほんのわずかな作品のみを展示する「ミニミニ展」が2日間限定で開催されます。

 

 

塗師・秋山祐貴子のミニミニ展 
輪島の器と輪島ごはん 
2024年4月19日(金)12時~18時 4月20日(土)14時~18時
会場:スペースたかもり 文京区小石川5-3-15 一幸庵ビル302 tel:03-3817-0654



photography by Kuninobu Akutsu

秋山祐貴子 Yukiko Akiyama

 

神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。​現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。

 

 

 

関連リンク

 

秋山祐貴子ホームページ

 

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