石川県を襲った昨年1月の震災と9月の豪雨。無情なまでの二つの自然災害を乗り越え、製作活動を続ける県内の漆芸家と陶芸家の作品が、セイコーハウス6階を彩っています。展覧会の名前は「いしかわの工芸 ─漆と陶─」。困難な状況下にありながらも、作品と向かい続けてきた工芸家たちの、真摯な創作活動の結実をご覧ください。
受け継がれてきた「金襴手(きんらんで)」の技法と、新たな色彩との出会い ──陶芸 𠮷田幸央──
薄紫、薄緑、薄紅……。淡く儚げな色彩が金箔の輝きと絶妙な調和を見せ、その絶妙な調和を春霞のようなたおやかな乳白色が覆う。それはまるで印象派の画家が水彩画を用いて、光に満ちた日本の春をキャンバスに描いた趣さえ感じさせる。
技法でいうならば「金襴手」。しかし従来の「金襴手」の概念を大きく越えている。加えて、磁器なのにあたかも陶器のような肌合いすら感じさせる不思議な表情の焼物。それが𠮷田幸央さんの作品だ。


「金襴手彩色水指」径17.5×高15.5㎝
水彩画を思わせる、しっとりした色調と陶器のような肌合い
𠮷田さんは九谷焼の産地である石川県小松市で、上絵付を専業として1906年に開業した「錦山窯」の4代目である。3代目の、父・𠮷田美統(みのり)さんは、「釉裏金彩(ゆうりきんさい)」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている。
多くの人が一度は耳にしたことがある「九谷焼」。じつは、この九谷焼にはさまざまな技法があり、「錦山窯」では金箔を用いた「金彩」の技法が代々受け継がれている。また。九谷焼といえば「赤・緑・黄・紫・紺青」の「九谷五彩」に代表される、どちらかといえば鮮やかな色使いの器が大半だ。しかし𠮷田さんの作品は、しっとりとした控えめな色調が多い。


「彩色金彩杯」 径6.2×高6.2㎝
「錦山窯」の伝統があったからこそ可能となった新たな作風
「九谷焼の地で育ち、幼いころから父の作品をはじめとして代々が手掛けた焼物が間近にあり、さまざまな色絵を見てきました。そんな影響もあり、私自身もやはり色絵の焼物が好きです。さまざまな技法がある色絵のなかでも、父が手掛けてきた『釉裏金彩』は、文様を金箔や金泥で描いた後に、その上から釉薬を掛けて焼き上げるという、極めて難しい技法です。
この技法を父から受け継ぐ一方で、私独自の色を出すために試行錯誤を繰り返しました。その結果辿り着いたのが、色を混ぜるのではなく、洋絵具で淡い色を重ねてさまざまな色を生み、そこに金箔を焼き付ける『金襴手』の技法を加えた、新たな表現方法です。この技法は『錦山窯』の伝統があってこそ創り出すことができたといってもよいでしょう」
用いる金粉や金箔にも細やかな神経を払う
「金彩」の窯である「錦山窯」では、金粉を自らの手で製造している。切りまわして使用した金箔の残りの部分を集め、練って金粉とするのだ。自ら製造することによって、粉の大きさを調節することができ、より繊細な表現が可能となる。
また、金箔そのものも、「錦山窯」独自の厚さのものを特注で製造してもらっている。「金彩」の要となる「金」に、これほどまでこだわることによって、煌びやかな金の表現が可能となる。「最近の金の高騰が、頭に痛いところではありますが……」𠮷田さんは苦笑いする。


「彩色金彩杯」 径6.2×高6.2㎝
生成アート研究とタッグを組み、新たな可能性に挑戦
淡い色を重ね、そこからさまざま色調を生むには、何度も窯の火を通して焼き付なければならない。多い場合は7~8回もの焼成が必要となる。こうした焼成を繰り返しつつ、完成時の状態も予め思い描いておかなければならない。
以前は、長い時間をかけて器の完成スケッチを手描きでおこしていたが、𠮷田さんは3年程前から、とある分野の技術者とタッグを組み、そのスケッチ作成をスピーディにするプロジェクトに取り組んでいる、とある分野とは、生成アートの研究だ。
コンピューターが完成イメージを提示。しかし主体はあくまでも作り手
ソニーコンピューターサイセンス研究所の研究員であるアレクシー・アンドレさんとの共同作業で開発されたのは、𠮷田さんの作風を学習したコンピューターが、器の絵付けを生成するアート制作ツールだ。このツールでは、𠮷田さん自身がさまざまな変数を画面上で操作し、コンピューターが生成してきたアイデアを𠮷田さんが取捨選択して採用し、スケッチを完成させていく。
主体はあくまでも作り手。生成AIを使用しているわけではない。しかし、コンピューターの力により、これまで想像することができなかったイメージを、しかも短時間で得られる可能性が広がってきた。


「Tomonami」と命名されたツールで生成されたイメージ(左)と、それをもとに𠮷田さんが製作した作品(右)。(この作品は、展覧会には出品されていません。画像は、Sony Computer Science Laboratories, Inc., Tokyo, Japan より転載)
「この開発に関わったことは、伝統工芸とは何かを改めて考えるよい機会でした。受け継がれてきた技法を確実に自分のものとして取り込むと当時に、次を見すえて新たなチャレンジを怠らない。それが、伝統工芸がこれまで存在し続けることができてきた理由だと思います。父が長年の時間をかけて行ってきたこと、私が試行錯誤して生み出した新たな色とその色が生みだす複雑な表情、そしてコンピューターを用いて完成スケッチを作ること、そのどれもが次代につながっていく伝統工芸の姿なのだと思います」
「蒔絵」と「沈金」。二つの技法が醸し出す、唯一無二の世界 ──漆芸 坂本康則──
漆の加飾技法である「沈金」と「蒔絵」。どちらかひとつの技法を身につけるだけでも長い時間が必要とされるが、漆芸家の坂本康則さんはその2つを習得し、ひとつの作品のなかで、両方を見事なまでに使いこなしている。
「私は若いころから沈金の修業をしていました。そんな私の結婚相手が、蒔絵師の家の娘だったものですから、義父に蒔絵の技法を習い、おかげ様で蒔絵もできるようになりました」
坂本さんはさりげなく語るが、二つの技法を自在に使いこなす作り手は輪島でもそれほど多くない。
刃物で文様を彫り、そこに金箔や金粉を沈めるのが「沈金」。「蒔絵」は、漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに金粉などを蒔く(まく)技法。同じ漆器の加飾技法とはいえ、この二つはまったく異なる。
「二つの技法は同じ金を用いていますが、まったく表情や雰囲気が異なります。表情や雰囲気が違うふたつの加飾をひとつの作品のなかに同居させることが、じつはなかなか難しいものです。この部分には沈金をここには蒔絵をと、完成状態を想像して下絵を起こす最初の段階からとても悩みます。その下絵が作品の出来具合を大きく左右します」
蛍が放つ儚げな光。その一瞬の輝きを沈金で表現
「夜遊戯(よあそび)」と命名された作品では、夏の夜に飛び交う蛍が描かれている。蛍が放つ儚く切ない光。漆黒の闇に浮かびあがる一瞬の輝きは、極めて小さな金粉の集合だ。幻想的なまでの煌めきは、漆の表面に極小の穴を穿ち、そこに金粉を沈めていくという、気が遠くなるほどの細かな作業によって生み出される。


蒔絵沈金箱「夜遊戯」 27×13×12㎝
蛍が飛び交っているのは、歯朶(しだ)が生い茂る川べりだ。優美な筆遣いで描かれた歯朶の葉が、蛍が放つ光を柔らかく受け止めている。控えめに光る螺鈿は、流れる川の水面の煌めきだろうか。幻想的なまでに美しい光景は、二つの技法を身につけた坂本さんだからこそ到達することができた、唯一無二の世界といえよう。
砕いた卵の殻を用いた、細密ジグソーパズル
蒔絵の技法のひとつに「卵殻(らんかく)」と呼ばれるものがある。文字通り卵の殻を用いた技法だ。鶉や鶏の卵の殻を砕いて小片にし、それを漆に貼り付けた状態で上塗りを施し、その後に炭などを使って研ぎ出していく。そうすると貼り付けられた卵殻の小片が美しい文様となって浮かび上がってくる。江戸時代から始まったとされるこの技法で、雨に咲く大輪の白紫陽花が描かれているのが、「晴れたらいいね」だ。


卵殻蒔絵箱「晴れたらいいね」 13.5×28×12㎝
紫陽花の花びら一枚一枚をよく見ると、まさしく「びっしり」という言葉がふさわしいほどに、卵殻の小片が敷き詰められている。それは卵の殻を使ったジグソーパズル。一枚の花びらの中に、いったい何ピースの卵殻が使われているのか、数えることが困難なほどの数だ。
その花びらの集積が、大輪の紫陽花となり、おおらかに咲き誇っている。花や葉には雨が落ちている。降り注ぐ雨の雫の青は螺鈿、紫陽花の葉は沈金で描かれている。蛍の放つ光と同様、やはり気が遠くなるほどの作業の末に出来上がった作品だが、花びらや雨滴のラインがそうさせるのだろうか、どことなくモダンな雰囲気も漂う。
工房のラジオから流れる歌が、作品名のヒントに
「ここ最近は、流れる水の表情や動きを作品に取り入れることを目指しています。螺鈿で描いた雨は、その試みのひとつです。漆は黙々と進める地道な作業が大半です。また、輪島は豊かな自然が残る土地ですので、幼いころから親しみ、頭に残っている景色などを図案化していきます。トンボの図案などは、幼い頃に見た記憶がベースになっています。
工房ではラジオを流していますので、若い人が聴くような歌も自然と耳に入ってきます。『夜遊戯』も『晴れたらいいね』も、ラジオから流れてきた歌のアーティスト名や曲のタイトルから、作品名のヒントをいただいています」


蒔絵箱「風のコンチェルト」13×21×12㎝
訥々と語る坂本さんが、その時だけ少し照れくさそうに笑った。
「そして、じつはこんな仕掛けもしてあります」
坂本さんが『晴れたらいいね』の蓋を外してくれた。蓋が隠していた側面に描かれていたのは、雨上がりの空に浮かぶ美しい虹だった。
坂本さんの自宅は、昨年の震災で被害を受けたものの、工房や道具類に甚大な影響はなく、幸いにも秋には製作に取り掛かることができた。一方、輪島には工房どころか自宅まで損壊し、製作もままならない職人や作家が多数存在している。そうした人々が、一日でも早く物作りの現場に戻ることができる日を心から願い、坂本さんは今日も黙々と、工房で漆と向き合う。
話を伺った2人の作家のほかに、今回の展覧会に出品しているのは以下の9名の方々だ。
【陶芸】田端和樹夫さん、徳田八十吉さん、中田博士さん
【漆芸】 大角裕二さん、清水康志さん、田中義光さん、寺西松太さん、水谷内修さん
また、以下の方々の作品が特別出品として展示されている。
【陶芸】𠮷田美統さん、中田一於さん
【漆芸】小森邦衛さん、山岸一男さん、西 勝廣さん




◆アート探訪記~展覧会インフォメーション
いしかわの工芸 ─漆と陶─
会期:2025年1月16日(木) 〜 2025年1月26日(日)
時間:11:00 – 19:00 最終日は17:00まで
- 場所:セイコーハウス 6階 セイコーハウスホール


櫻井正朗 Masao Sakurai
明治38(1905)年に創刊された老舗婦人誌『婦人画報』編集部に30年以上在籍し、陶芸や漆芸など、日本の伝統工芸をはじめ、さまざまな日本文化の取材・原稿執筆を経た後、現在ではフリーランスの編集者として、「プレミアムジャパン」では未生流笹岡家元の笹岡隆甫さんや尾上流四代家元・三代目尾上菊之丞さんの記事などを担当する。京都には長年にわたり幾度となく足を運んできたが、日本文化方面よりも、むしろ居酒屋方面が詳しいとの噂も。
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