鹿児島県本土と沖縄県のほぼ中間に位置する奄美群島は、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの有人島からなる。今回旅した奄美大島はその中で最も大きく、面積は700平方キロメートルあまり。東京23区や琵琶湖よりも広く、南北を車で縦断するにもおよそ2時間を要する。
奄美大島は、徳之島、沖縄島北部及び西表島とともにユネスコの世界自然遺産に登録され、2026年7月には5周年を迎えた。ここでしか見られない独自の生態系が守られ、ルリカケス、アマミノクロウサギなど絶滅危惧種も暮らす貴重な自然を宿す島だ。
東シナ海と太平洋、ふたつの海と亜熱帯の森に恵まれた島には、長い歴史の中で育まれた独自の文化が、今も暮らしの中に息づいている。「触れる・食べる・泊まる」をテーマに、奄美大島を旅した。
強い日差しと深い緑。奄美大島の第一印象
奄美空港からレンタカーを走らせると、まず目に飛び込んでくるのは、強烈な太陽の光と、その下に広がるさとうきび畑の濃い緑である。光と影のコントラストが、驚くほど鮮明だ。集落が現れては途切れ、その合間に小さな入り江が姿を見せる。海はエメラルドグリーンに輝きながら、波一つ立てずおだやかだ。クルマから降りて入り江を歩いてみる。容赦なく照りつける日差しに肌を焼かれながら、木陰に入れば、ふっと救われるような涼しさに包まれた。
神に捧げた飲み物をルーツに持つ 奄美大島のソウルフード「ミキ」
レンタカーで島を巡る道すがら、地元のスーパーマーケットに立ち寄るのも旅の楽しみだ。棚を眺めているだけで、この土地ならではの食文化が見えてくる。中でも目を引いたのが、「ミキ」と呼ばれる飲み物である。米とさつまいも、砂糖を原料に発酵させた乳酸菌飲料で、奄美大島を代表するソウルフードのひとつ。島では数社ほどが製造販売しており、島の人たちはそれぞれにお気に入りがあるという。ひとつ購入して「ミキ」を飲んでみる。おかゆを思わせるとろりとした舌触りに、ほのかな甘みとかすかな酸味が重なった。
かつて奄美では「ノロ」と呼ばれる女性祭司が祭祀を司っていた。「ミキ」は、豊年祭などで神に捧げるためにつくられた口噛み酒を起源とするともいわれ、その名も「お神酒」に由来するとされる。かつては各家庭でもつくられていたそうだ。スーパーの棚にごく普通に並ぶ飲み物の中にも、島で受け継がれてきた文化が宿っている。そんな発見もまた、奄美大島を旅する面白さである。
「触れる」奄美大島の伝統産業を知る、大島紬村を訪ねて
さとうきび畑と空と海を横目に、奄美空港から車でおよそ20分。奄美を代表する伝統工芸、大島紬を訪ねて「大島紬村」へ向かった。約1万5,000坪の敷地には、ヤシやアダン、ソテツ、ヒカゲヘゴなどの亜熱帯植物が生い茂り、まるで植物園のよう。夏にはシークワーサーが実り、秋にはシャリンバイが赤い実をつける。
「ルリカケスの声がしますね。姿を見せてくれるかもしれません」。そう教えてくれたのは、大島紬村の社長で、自らも伝統工芸士である越間得晴さんだ。代々大島紬の製造に携わってきた家に生まれた越間さん。この村は父の代に、奄美の自然に触れながら大島紬を知ってもらいたいという願いからつくられたという。現在では制作工程の見学に加え、泥田での絞り染め体験も行われている。
泥と植物が生み出す、大島紬の深い黒
越間さんと庭園を歩いていくと、泥染めの作業場にたどり着く。大島紬を象徴する「泥染め」は、シャリンバイに含まれるタンニンと泥の鉄分を化学反応させ、独特の黒褐色を生み出す伝統技法である。染めて、泥につけ、洗う。これを何度も繰り返し、2〜3週間、時には1か月以上をかけて深い黒を定着させていく。
「江戸時代に始まった技法で、一説には、薩摩藩の武士から紬を隠すため泥の中に入れたところ、独特の黒に染まったことが始まりともいわれています。技法として確立されたのは、明治から大正時代です」
工房では、シャリンバイ染め、摺込捺染(すりこみなっせん)、締機(しめばた)、手織りなど、大島紬が完成するまでの工程を見ることができるのだが、その複雑さと緻密さに圧倒される。一つひとつの工程に熟練の技と時間を要し、その積み重ねによって一反の大島紬が生まれる。目の前で手仕事を見ると、その貴重さが実感として伝わってくる。
初めて泥染めの様子を見た。大島紬の独特の黒はこうして染められていたのだ。
大島紬の緻密な柄は、織りながら描いていくものではない。実は、織り始める前の糸の段階ですでに図案が仕込まれている。設計図に沿って、一本一本の糸に柄の一部分となる染め分けを施し、その絣糸(かすりいと)を経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に使って、染め分けた位置を正確に合わせながら織っていく。つまり、一本の糸だけを見ても柄はわからない。それぞれに仕込まれた柄の一部分が、織り進めるにつれて重なり合い、やがて緻密な文様となって現れるのである。一反の大島紬の柄は、織機にかけるよりも前から、すでに無数の糸の中に分解されて存在しているのだ。
奄美大島・龍郷町発祥とされる「龍郷柄(たつごうがら)」。幾何学的な文様が印象的な、大島紬を代表する伝統柄のひとつ。ハブの背模様やソテツの葉など、島の自然をモチーフに発展してきた伝統柄である。幾何学的な文様は遠目には端正に、近くで見ると驚くほど緻密。大島紬ならではの絣の技術がよくわかる柄のひとつだ。
大島紬を、いまの暮らしへ
園内には、白を基調としたモダンなショップも併設されている。伝統的な龍郷柄から、ドット柄が印象的な白大島まで着尺が並ぶほか、アロハシャツや蝶ネクタイ、バッグ、財布など、現代の装いに取り入れやすいアイテムも揃う。反物を仕立てた際に生まれる端切れも、くるみボタンや帯留め、シュシュへ。長い時間をかけてつくられた布を、最後の一片まで生かす。伝統工芸をぐっと身近に感じさせるものが並び、あれこれ手に取っているうちに時間が過ぎていく。
「古典柄だけでなく、現代的な絵柄やオリジナルデザインも積極的に取り入れています。また、職人の手仕事が詰まった反物を一つも無駄にしない『ゼロウェイスト』の姿勢も大切にしています」と越間さん。
コロンとしたオーバル形がかわいい、大島紬の帯留め。柄も色もさまざまで悩んでしまう。
シックな大島紬の蝶ネクタイ。ハリ、ツヤのある大島紬ゆえ、装いをランクアップしてくれそう。
「食べる」奄美の食文化を次世代に手渡したい、なつかしゃ家の食卓
ビジネスや観光の拠点である名瀬は、奄美大島の中心地だ。多くの飲食店が軒を連ねる屋仁川通り(やにがわどおり)は、地元では「やんご通り」の愛称で親しまれている。その通りから少し入ったところに「なつかしゃ家」はある。店というより、田舎の親戚の家を訪ねるような一軒家の郷土料理レストラン。初めて訪れたのに、どこか懐かしさが込み上げてくる。その名の通り「なつかしゃ家」なのだ。この日も予約でいっぱいの店内を切り盛りしていたのが、女将の恵上イサ子(えがみ いさこ)さんである。
席に着くと、テーブルいっぱいに郷土料理が並んだ。鮮やかなピンク色のハンダマご飯、ピーナッツ豆腐、豚骨料理、祝い事に欠かせないもち米天ぷら。一品一品に島の知恵が詰まっている。
奄美大島のお料理の特徴は?と聞いてみた。「味の決め手は、サトウキビから作られるザラメと黒糖の巧みな使い分け。ほとんどの料理にザラメを使い、黒糖はお菓子に用いるのが奄美流。ザラメと黒糖だとやっぱりその味わいがお料理に使った時違うんです。全然コクが違うから」と恵上さんが説明してくれた。
奄美には「塩豚」の文化も根付いている。冷蔵庫のなかった時代、豚肉にたっぷりと塩をまぶして保存し、正月前に仕込んだものを翌年5月頃の田植えの時期に食べていたという。
「昔はそれぞれの家で米を作っていたので、豚肉にたっぷりと塩をして、その藁に包んで軒下に下げておくんです。それを田植えの頃に外して、煮て食べるんですよ」
肉を長く保存するための知恵でありながら、米を作る暮らしとも結びついていた塩豚。奄美の郷土料理には、島で暮らしてきた人々の生活が映し出されている。
鮮やかなピンク色が目を引くハンダマご飯。島のお料理は茶色になりがちだから、色どりのきれいなもので目も楽しんでもらいたいと恵上さんが考案した。島野菜のハンダマをお米と一緒に炊き込んで作る。
島の米作文化と強く結びついていた塩豚。
恵上さんは元中学校の教員。定年まで勤め上げ、退職したのち郷土料理の店を開くのが夢だった。3歳の時に父を亡くし、料理は母の手伝いをしながら自然と覚えた。小学校5年生になる頃には運動会に自分で手巻き寿司を作るほど。
「家は貧しかったけれど、『貧乏はしても心の貧乏はさせない』という母の口癖だった言葉が、私の生き方の根底にあります」。
そして教員時代のある出来事も「なつかしゃ家」を開く原動力になった。夏休み直前の暑い日のことだった。
「数十年前、まだ奄美大島内でも生活水準に差があった頃のことです。中学一年生を筆頭にした3人兄弟が問題行動を起こし、鹿児島の教護院に送られることになりました。名瀬港へ見送りに行った私は、『どうして親元を離れて行くの?』と彼らに尋ねたんです。すると、『先生、俺たち兄弟3人、朝昼晩のご飯が食べられたら、どこでもいいんだ』。そう答えたのです」
何十年も前のことだというのに、恵上さんは少し涙ぐんでいる。あの日の言葉は、「子どもたちに二度とあのようなひもじい思いをさせてはいけない」という使命感へと変わった。退職後、かつての教え子たちが「先生」と言って帰ってこられる館を作りたい。その思いの原点となった出来事だった。
次なる夢は「体験の館」。奄美の文化を未来へつなぐ
「おいしいよ、食べてみて。疲れも取れるから」と恵上さんが勧めてくれた「ふくらかん」。奄美大島で古くから親しまれている黒糖を使った伝統的なお菓子。農作業の合間や、お祭りの際のお茶請けとして長く愛されてきたという。やわらかい感触と黒糖の優しい甘みが、おやつにぴったりだ。恵上さんが作るふくらかんは非常に人気があり、お土産として持ち帰られることも多いそう。単なるお菓子としてだけでなく、恵上さんと人との縁をつなぐ大切な役割も果たしている。
「なつかしゃ家」を実現した恵上さんには、次なる夢がある。郷土料理を食べて「美味しかった」で終わるのではなく、自ら作り、その背景にある文化まで体験できる「館」を作ることだ。黒糖を使った蒸し菓子ふくらかんや天ぷら作りなど、誰もが参加できるクッキングクラスも思い描いている。
女将の恵上イサ子さん。厨房からお客さまのおもてなしまで大活躍。
中でも伝えていきたいのが、正月に一年の健康や繁栄を願っていただく奄美大島の伝統料理「三献(さんごん)」である。一の膳、二の膳、三の膳と順に供される儀式的な料理で、同じ三献でも、お吸い物の出汁には豚骨や魚など地域による違いがあるという。
しかし若い世代では、準備や作法を簡略化する家庭も増えている。恵上さんは伝統を絶やすまいと、奄美高校の家政科で年に一度、4時間をかけて三献料理を教えている。
「高校生たちが『こんな伝統があるんだ』と知り、家族に話して、『じゃあ来年のお正月はやってみようか』という家庭が一つでも増えてくれたらいいなと思っています」
今日は奄美の唄者、 前山真吾さんが島唄を披露してくれる賑やかな夜だ。まずは「朝花節」で座が開く。三線(三味線)を弾きながら、ファルセットと節回し、音階は、初めて聞くのになぜか郷愁を掻き立てる。心が浮き立つような「ワイド節」で店内が温まってきた。恵上さんは配膳しつつ踊りつつと、見ているこちらも笑顔に。この店には、ここが自分の帰る場所だと思わせる安心感があふれている。
「76歳にもなってね、体験施設を作りたいとか、まだ夢を追いかけているから、人から見たらアホと思われるかもしれないでしょ」
恵上さんは少々自虐的に言うけれど、それでも夢を諦めたりはしない。今度は恵上さんの教え子たちが、先生を応援してくれている。奄美の食文化を次世代へつなぐために、恵上さんの挑戦は、まだ続く。
なつかしゃ家
鹿児島県奄美市名瀬柳町11-26
0997-57-1980
完全予約制
音楽と酒造りが出合う、奄美大島 西平酒造
奄美大島を旅するなら、黒糖焼酎は欠かせない。本来、黒糖を原料とする蒸留酒は、日本の酒税法では税率の高い「スピリッツ」に分類される。戦後、米麹を使用することを条件に、奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島)に限り黒糖を原料とする焼酎造りが認められ、現在まで続く。黒糖焼酎は、奄美群島だけで造ることのできる、この土地ならではの酒なのである。
その黒糖焼酎に、新しい感性で向き合っている蔵がある。まもなく創業100年を迎える西平酒造だ。4代目の西平せれなさんは、東京の音楽大学へ進学後、ミュージシャンとして活躍していた経歴を持つ。現在も酒造家であると同時にミュージシャンでもある。さらに社員の半数もミュージシャン活動をしているというから面白い。
音楽と酒造り。一見異なるふたつの世界が、この蔵ではごく自然につながっている。それぞれが役割を担い、互いの感性を響かせながら黒糖焼酎をつくり上げる。そのものづくりは、バンド活動にも似ている。
創業当時からの主要ブランドは「珊瑚(さんご)」。「珊瑚」は最も古くからあり、従来はもっと力強い味わいだった。西平さんが帰郷後、女性や若者にも飲みやすいものを作りたいという蔵を刷新する機運があり、杜氏を説得して現在の味わいに改良。ラベルデザインも3年前に一新した。ポップなデザインが魅力的。
音楽で熟成する黒糖焼酎「Sonic Aging(ソニック・エイジング)」
音楽家が集まる西平酒造らしさを象徴するのが、「Sonic Aging」というユニークな試みだ。専用の音楽室に熟成樽を置き、それぞれの樽に異なるジャンルの音楽を聴かせる。選ばれたのは、ロック、レゲエ、ヒップホップ、ハウス、ラテン、そして奄美の島唄の6種類。ジャンルによって異なる周波数やリズムの振動が樽の中の原酒を揺らし、熟成や味わいにどのような変化をもたらすのかを探るプロジェクトである。
単に「音楽を聴かせた酒」として売り出したのではなく、6種類をそれぞれ商品化していること。島唄を聴いて熟成した酒、ロックを聴いて熟成した酒。それぞれを飲み比べ、香りや色、口当たり、風味の違いを自分の舌で確かめることができる。
「音楽をつくるように醸し、奏でるように発信する」を掲げる西平酒造。音楽と酒造りという自分たちが持つふたつの個性を、単なるイメージではなく、実際の酒造りにまで結びつけたのが「Sonic Aging」なのである。
ソニック・エイジング中の蔵を案内してくれる西平せれなさん。音楽を取り入れるというアイデアのキーマンとなったのは、当時スタッフだったオーストラリア出身のジョンさんだった。実際に使用しているスピーカー(ハードウェア)については、島に住んでいる知り合いのエンジニアの方に相談し、その方に製作してもらったとのこと。
黒糖焼酎を、まず島の人たちに知ってほしい
西平酒造がいま力を入れていることのひとつが、蔵見学ツアーである。当初は島外から訪れる人に黒糖焼酎を知ってもらうために始めたが、意外にも地元からの参加が多かった。とりわけ若い世代には、黒糖焼酎がどのような酒なのか、よく知らない人も少なくないという。
そこで、まずは地元の人たちに、自分たちの土地で造られている酒を知ってほしいと、見学ツアーを増やした。酒造りの現場を実際に見てもらい、さまざまな飲み方を提案することで、黒糖焼酎をより身近に感じてもらおうとしている。
西平さんの視線は、酒蔵の外にも向いている。
「ゆくゆくは地域の情報誌を作りたいんです。屋仁川のエピソードやお店の情報をアーカイブとして残し、地域の歴史や文化を伝えていくための媒体ができたらと考えています」
造り続けるだけではなく、まず知ってもらうことから始める。西平酒造の新しい試みの根底には、黒糖焼酎という奄美の文化を、島の次の世代へ手渡したいという思いがある。
「珊瑚」「加那」など西平酒造に古くからあるブランドとともに、新しい黒糖焼酎造りにもチャレンジし続ける。
西平酒造株式会社
鹿児島県奄美市名瀬小俣町11−21
蔵見学は要予約 2,500円お土産付
0997-52-0171
「泊まる」奄美の自然と文化に包まれる、ティダムーン
旅の滞在先に選んだのは、奄美空港から車で約10分、太平洋に面して建つ「ティダムーン」。目の前には青い海が広がり、その沖には「立神(たちがみ)」と呼ばれる岩が浮かぶ。奄美では古くから、海の彼方に豊穣の神々が住む「ネリヤカナヤ」があると考えられてきた。立神は、そこからやって来る神々の道標とされてきた、島の信仰と深く結びついた存在である。
ホテルの名は、奄美の方言で太陽を意味する「ティダ」と、英語の「MOON」を組み合わせたもの。太陽と月、海、そして立神。ホテルに身を置いているだけで、奄美の自然と、その奥にある島の文化を身近に感じられる。大島紬の織元がオーナーを務めるだけあって、館内には「大島紬美術館」を併設。島の食材を生かした料理も楽しめる。泊まることそのものが、奄美の文化に触れる時間になる。そんなホテルである。
太平洋と過ごす、ふたつのスイートルーム
ティダムーンには全23室の客室があり、そのうち6室がスイート。中でも太平洋に面した「衣-gin-」と「縁-en-」は、ともに66平方メートルのゆったりとした空間と、目の前に広がる海が印象的なスイートルームである。
「衣」のテーマは、その名が表すように大島紬。室内の随所に大島紬が取り入れられ、空間の中で身近に感じられるように設えられている。落ち着いた色調の室内の先には大きな窓が広がり、その向こうは太平洋。海と空が刻々と色を変えていく様子を、部屋にいながら眺めて過ごすことができる。
この部屋でひときわ目を引くのがバスルームだ。海に向かって開かれた空間にバスタブを備え、湯に浸かりながら太平洋を一望できる。朝には水平線から昇る太陽を、夜には月明かりに照らされた海を眺めながらのバスタイム。日常ではなかなか味わえない時間である。
広大な太平洋の向こうに喜界島を望む「衣-gin-」のバスルーム。
もうひとつの「縁」は、太平洋に面した角部屋。窓の向こうには喜界島、沖合には立神を望む。室内は極めてシンプルで、大きなガラス窓の先には広いテラスが続く。朝日を浴びながらヨガをしたり、椅子に腰掛けて海を眺めたり。旅先だからと予定を詰め込まず、何もしない時間を楽しみたくなる。
この部屋の特徴はミニマルなインテリア。あえてテレビは置かれていない。この部屋で見るものは、一日の中で刻々と変化し表情を変える海と空があればそれでいいのだ。ゆっくりと昇る朝日のまばゆさも、夕刻から短い時間に現れるマジックアワーも、夜には海面に月明かりが帯のように伸びる「月の道」が現れることもある。見るべきものは奄美大島の自然が全部用意してくれているのだから。
「衣」と「縁」、趣は異なるが、どちらにも共通するのは、窓いっぱいに広がる奄美の海。テラスに出て潮風にあたり、海を眺めながらバスタイムを楽しむ。あえて予定を入れず、この部屋で一日を過ごす。そのために泊まりたくなるスイートである。
心を整えてくれるミニマルなインテリア、そして海と空。心身ともに癒されていく時間がここにある。
取材時はちょうど新月の時。潮が引いている様子はまるでモンサンミッシェルのよう。バスルームから「立神(たちがみ)」と呼ばれる岩が見え、スピリチュアルな気配を感じさせる。
大島紬の美を間近に。大島紬美術館
ティダムーンを語るうえで欠かせないのが大島紬である。オーナーは大島紬の織元で、現在も大島紬を織り続けている。館内の「大島紬美術館」には、皇室に献上されたものと同柄の貴重な作品をはじめ、歴史あるものから現代的な大島紬までが一堂に並ぶ。
さらに、奄美の自然を描き続けた日本画家・田中一村の原画や、その絵を大島紬で表現した作品など、ここでしか見ることのできないものも展示されている。絵画の世界を染めと織りによって表現した大島紬は、近くで見るほど、その緻密さ、ドラマティックな色彩に驚かされる。
ティダムーンに宿泊して、大島紬美術館でさまざまな時代や表現の大島紬に触れる。織元が手がけるホテルだからこそ、滞在の中で大島紬を身近に感じられるのである。
入ってすぐ目の前に現れるのは奄美大島を愛した作家・田中一村の屏風絵。八曲一双の屏風は大迫力。奄美の植物の生命力を写す。
大島紬の織元ならではの見事な作品が並び、大島紬の魅力を堪能できる。田中一村の絵画を着物柄に織り込める唯一の織元でもあり、従来の大島紬のイメージを一新する斬新な作品も多く並ぶ。
大島紬美術館の星加麗子さんは、きもののプロ。気軽にきものの楽しさを教えてくれる。
美しい海や森、この島ならではの文化、そして人々の暮らし。奄美大島には、観光地としてつくり込まれすぎていない素朴さが、今も残っている。旅を終える頃には、その飾らない心地よさがすっかり好きになっていた。また帰ってきたい。そう思わせてくれる奄美大島の旅だった。
鹿児島の宝を巡る旅は、これからも続く。これまでの「南の宝箱 鹿児島を巡る旅」は以下から。
Photography by Azusa Todoroki(Bowpluskyoto)
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鹿児島の「宝」を巡る旅
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