2025年に完成予定の六甲山サイレンスリゾートの全貌。第1フェーズとして2019年7月にオープンしたのは、写真右奥の旧館(旧六甲山ホテル)と右手前のグリルレストラン。©️Rokkosan silence resort

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Living in Japanese Senses

六甲山のエネルギーと存在感(前編)

2019.8.20

ミケーレ・デ・ルッキの修復による物語の始まり。
六甲山サイレンスリゾートは新たな神戸のシンボル

2025年に完成予定の六甲山サイレンスリゾートの全貌。第1フェーズとして2019年7月に、写真右奥の旧館(旧六甲山ホテル)がオープンした。©️Rokkosan silence resort

六甲山は、標高931mの六甲山系の最高峰。大阪湾から神戸まで広い範囲を支配し、山の頂からは、阪神地方一帯を一望のもとに見渡すことができる。この山は神戸のランドマークであり、一帯の住民はいにしえより特別な深い感情を抱いてきた。2019年夏、六甲山のシンボルとして愛された六甲山ホテルがイタリアを代表する建築家であるミケーレ・デ・ルッキにより修復され、六甲サイレンスリゾートとして新たな時を刻み始めた。

六甲山サイレンスリゾートのエントランスとして、レセプションエリアとなる旧館。1929年に建築されたイギリス式の洋館を修復したもの。©️Rokkosan silence resort 六甲山サイレンスリゾートのエントランスとして、レセプションエリアとなる旧館。1929年に建築されたイギリス式の洋館を修復したもの。©️Rokkosan silence resort

六甲山サイレンスリゾートのエントランスとして、2019年7月にオープンした旧館にはレセプションやカフェテリア、アーカイブ・ギャラリーなどがある。この建築は1929年に建築されたイギリス式の洋館を修復したもの。©️Rokkosan silence resort

山岳リゾートして六甲山の開発と景観保護に寄与したのは、幕末から明治にかけて日本の居留した外国人実業家たち。明治元年、長崎のグラバー商会の出張員として神戸に移住してきたアーサー・H・グルームは、美しいものを愛し、狩猟を好むイギリスの商人であった。六甲を訪れるうちに山の家を建てるのに格好の場所であると考えた彼は1895年、「グルームポンド」という名もつけられた三国池のほとりに、六甲山上初めての別荘となる夏の家を建てる。

旧館2階のレセプションエリア。日本におけるモダニズム建築の巨匠による建築本来の姿がミケーレ・デ・ルッキにより蘇った。©️Rokkosan silence resort 旧館2階のレセプションエリア。日本におけるモダニズム建築の巨匠による建築本来の姿がミケーレ・デ・ルッキにより蘇った。©️Rokkosan silence resort

旧館2階のレセプションエリア。日本におけるモダニズム建築の巨匠による建築本来の姿が、ミケーレ・デ・ルッキにより蘇った。©️Rokkosan silence resort

グルームは1903年、日本初のゴルフクラブである神戸ゴルフ倶楽部を六甲山に築く。景観のための植林にも私財を投じ、避暑地、リゾート地としての六甲山の礎を築いた。グルームの功績によりリゾート地として知られてきた六甲山に着目した阪急電鉄の創業者、小林一三は、宝塚ホテルの分館として六甲山ホテルを開業。宝塚ホテルも設計した建築家・古塚正治によるハーフィティンバー様式のイギリス式の洋館が完成したのは1929年のことだった。

六甲山から神戸港を見渡す眺望が自慢のグリルレストラン。 六甲山から神戸港を見渡す眺望が自慢のグリルレストラン。

六甲山から神戸港を見渡す眺望が自慢のグリルレストランもオープン。


長きにわたり六甲山のシンボルとして愛されたこの洋館は、2007年には近代文化産業遺産に認定されていた。開業当時のこのホテルの美しさを、そして高級リゾート地としての存在感が失速気味の六甲山を蘇らせるため、洋館の修復と新たなプランニングをイタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキに依頼したのは、2017年に旧六甲山ホテルの事業権を取得し、新たな運営会社となった八光カーグループだ。2年の準備期間を経て2019年7月、「六甲山サイレンスリゾート」いう名前で、ホテルの新しい歴史がスタートした。これは、六甲山再開発という挑戦の幕開けを意味する。事業主はもとより地方自治体、地域の開発組織が、官民一体となって価値ある歴史的な建造物の保存に取り組み、六甲山のポテンシャルを生かす新たなリゾートの存在を内外に広くアピールすることに他ならない。

運営会社である八光カーグループの取り扱うマクラーレンやアストンマーティンといった高級車の阪神地区のオーナーにとっても絶好のハイダウェイとなる。 運営会社である八光カーグループの取り扱うマクラーレンやアストンマーティンといった高級車の阪神地区のオーナーにとっても絶好のハイダウェイとなる。

運営会社である八光カーグループの取り扱うマクラーレンやアストンマーティンといった高級車の阪神地区のオーナーにとっても絶好のハイダウェイとなる。

大阪で万国博覧会が開催予定の2025年までに及ぶ六甲山サイレンスリゾートのプロジェクトは、八光カーグループの事業拡大のための新しい投資という側面も持つ。八光カーグループは1959年に国産車の整備工場として創業し、現在はマセラティ、アルファロメオ、マクラーレン、アストンマーティン、など計8ブランドの欧州高級車を取り扱う輸入車正規ディーラー。現在は大阪、兵庫、京都、などの西日本を中心とした5府県に25店舗を展開している。その狙いは、六甲山エリアの活性化により、近年減少の傾向にあった富裕層観光客の関心を、再び六甲山地へ向かせることだ。市街地から1時間ほどの快適なドライブで到達することのできる豊かな自然、特筆すべき景観。そして安全、安寧、優れたサービスを求めて来日するインバウンド観光客の誘致でもある。

ミケーレ・デ・ルッキによる六甲山サイレンスリゾートのイメージスケッチ。©️Rokkosan silence resort ミケーレ・デ・ルッキによる六甲山サイレンスリゾートのイメージスケッチ。©️Rokkosan silence resort

ミケーレ・デ・ルッキによる六甲山サイレンスリゾートのイメージスケッチ。©️Rokkosan silence resort


六甲山という場所のエネルギーと存在感
このプロジェクトには壮大な続きがある

六甲山の新たなランドマークを創造する建築家としてミケーレ・デ・ルッキが選ばれたのは、このプロジェクトに真のアイデンテイテイはもちろん、ヨーロッパ的感覚が必要だったからだろう。感受性に長け、保存という観点からの修復の経験者であり、同時にこの建物の歴史を今に活かし、レトリックなコンポジションに結びつける専門家が必要だったのだ。ミケーレ・デ・ルッキによって修復され新しく生まれ変わった洋館には、伝統に対する“礼を正した姿勢”で仕事に励んだ、イタリア人建築家の情熱が、浮き彫りとなって刻まれている。

初めて訪れた時から六甲山の自然に感銘を受けたと語るミケーレ・デ・ルッキ 初めて訪れた時から六甲山の自然に感銘を受けたと語るミケーレ・デ・ルッキ

初めて訪れた時から六甲山の自然に感銘を受けたと語るミケーレ・デ・ルッキ

デ・ルッキは近年、このプロジェクトの意味についてのリサーチを注意深く、辛抱強く行ってきた。彼がこれまで携わったプロジェクトを通してたどりついた結論は、「建物に住まうのは、つまり主人公は人であり、最も大切なことは、そこで過ごす人々の暮らしと自然との関係の解決にある」ということ。六甲山サイレンスリゾートも例外ではなかった。初めに立ち返る、進路を前ではなく後ろに取る、戻る、やり直す、待つ───このような気の遠くなるプロセスを経て、やがて辿るべき道が少しずつ形を見せ始め、周囲の環境、特にこの場所の持つエネルギーが、人やものの持つエネルギーと結びついて、プロジェクトの最終形としてあるべき方向へと導かれた。デ・ルッキにより蘇った洋館は、静寂に包まれた六甲山という場所の存在感と一体になっている。

 

「最初にこの山を訪れた時には、その自然に大きな感銘を受けました。素晴らしく魅力的な場所であると思ったのです。ここには独自のエネルギーと存在感があると。私の中で少しずつ、アイデアが形を成していきました」と語るデ・ルッキ。次は自然を内包する、大きなリングのような客室棟、さらに自然の中に点在する教会、レストランなどの幾つもの建物───この六甲サイレンスリゾートのプロジェクトには、まだ壮大な続きがある。

 

(敬称略)

六甲山サイレンスリゾート
https://rokkosansilence-resort.com/

 

→六甲山のエネルギーと存在感(後編)へつづく

Photography by Noriko Kawase
Text by Sergio Calatroni
Translation by Miyuki Yajima

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