世界から熱い視線を集めているジャパニーズウイスキー。このブームを一過性のものにせず、100年先へ続く文化へ育てたい。そんな思いを胸に挑戦を続けているのが、富山県砺波(となみ)市の三郎丸蒸留所を擁する若鶴酒造代表取締役社長 稲垣貴彦さんだ。「The Ultimate Peat(ピートを極める)」を掲げ、世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」の開発や樽工房の設立、ボトラーズ事業、蒸留所同士の連携など、日本のウイスキー文化の土台づくりに取り組んでいる。その挑戦が評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。目指しているのは、一つの蒸留所の成功ではない。日本のウイスキーを次の100年へ受け継ぐ仕組みをつくることだ。その思いを聞いた。
ジャパニーズウイスキーブームの先にある課題
世界的なジャパニーズウイスキーブームを背景に、日本の蒸留所は急速に増えてきた。2013年には10カ所ほどだった蒸留所は、この10年余りで約100カ所以上へと拡大した。一方で、設備や樽、職人の不足、人材育成など、産業基盤の課題も顕在化している。一時のブームで終わらせず、文化として次の100年へつないでいけるのか。今、日本のウイスキー産業は大きな岐路に立っている。
その課題に真正面から向き合っているのが、三郎丸蒸留所を率いる稲垣貴彦さんだ。
北陸新幹線新高岡駅からJ R城端線油田(あぶらでん)駅から徒歩1分、新高岡駅からタクシーで約20分の場所にある若鶴酒造。
三郎丸蒸留所 大正蔵入り口にある若鶴酒造と三郎丸蒸留所ののぼりや樽。「三六〇」は、2025年12月に就任した北陸最若手の杜氏、田村幸作氏が手がけた三郎丸蔵の新ブランド。
若鶴酒造の創業は1862(文久2)年。砺波平野の豊かな伏流水に恵まれ、この地で160年以上酒造りを続けてきた。ウイスキー造りを始めたのは戦後間もない1952年。米不足で日本酒を十分に造れなかった時代、二代目であり、稲垣さんの曾祖父にあたる稲垣小太郎氏は、「米以外の原料で酒を造る」という挑戦に踏み出した。
翌年発売した「サンシャインウイスキー」は、その名に、戦後の日本に再び明るい時代が訪れてほしいという願いが込められていた。その後、蒸留棟の火災や市場の低迷など幾度もの危機に見舞われながらも、地域に支えられ、ウイスキー造りの灯は守られてきた。
昭和27年にウイスキーの製造免許を取得後、初めて発売したのが「サンシャインウイスキー」。
受け継ぐためには、変えなければならない
大学卒業後、東京のIT企業で働いていた稲垣さんが富山へ戻る決心をしたのは10年前のこと。当時の若鶴酒造は日本酒が事業の中心で、ウイスキー造りは夏場だけ細々と続けられ、売り上げも全体のわずか5%に過ぎなかった。大きなリスクを伴う設備投資や新たな挑戦に踏み切ることはなく、昔ながらの製法を守り続けていた。
「この先、ウイスキー事業をどうするべきか」
そんな岐路に立っていたとき、蔵の奥に1960年蒸留の若鶴モルトが残されていることを知る。半世紀以上眠っていたそのウイスキーを口にした瞬間、稲垣さんは「脳天を突き抜けるような衝撃」を受けた。
「これほどのウイスキーを、曾祖父が造っていたのか」
その瞬間、単なる家業ではなく、曾祖父が始めたウイスキー事業を未来へ受け継ぐ使命を感じたと話す。
「曾祖父と私は同じ時代を生きていません。でも、一本のウイスキーを通じて、その時代につながれたような気がしました。半世紀を超えて、子孫から先祖につながれるお酒って、ほかにはあまりないと思うんです。今日仕込んだ原酒が商品になるのは数年後、時には数十年後。造り手がいなくなっても樽の中では熟成が続き、その酒を飲む人へと時間が受け継がれていく。ウイスキーは、時間を閉じ込める酒だと思います」
まるでギャラリーのような雰囲気を漂わせる三郎丸蒸留所の熟成庫と、そこを歩く稲垣さん。これまでCharや田島貴男、元ちとせをはじめとする多彩なアーティストがここで演奏を披露しており、その模様はYouTubeチャンネル「BLUES& BARRELS」で公開されている。
三郎丸タロットシリーズでは、切り絵作家の加野由希絵氏(氷見市出身)のカードの切り絵が使用されており、それらが並ぶシアタールーム。
しかし、その思いだけで蒸留所をよみがえらせることはできない。
老朽化した建物の修復や設備の更新には莫大な資金が必要だった。ウイスキーは仕込んでも、商品として売り上げになるまで何年もの熟成期間を要する。設備に投資しても、すぐに利益は生まれない。長い時間を見据えた経営判断が求められる産業だった。
そこで立ち上げたのが、蒸留所の名を冠したシングルモルトブランド「三郎丸」。当時、若鶴酒造では二級ウイスキーもシングルモルトも「サンシャインウイスキー」の名で販売されていたが、ブランドの価値を考えるなら、シングルモルトでもっと蒸留所の個性を前面に打ち出すべきだと稲垣さんは考えたのだ。
最初に世に送り出したのは、曾祖父の時代に銅製ポットスチルで蒸留された原酒をボトリングした「三郎丸1960」だった。ちょうどその頃、同じ1960年蒸留の「軽井沢1960」が香港のオークションで高額落札されるなど、世界では長期熟成のジャパニーズウイスキーへの注目が急速に高まっていた。
半世紀以上の眠りから目覚めた「三郎丸1960」にも販売予定数の4倍を超える応募が集まり、1本55万円で発売された。この一本をきっかけに、富山発のシングルモルトブランド「三郎丸」の名は、国内外のウイスキー愛好家の間で広く知られるようになった。
2020年に完成したウッドラック式を採用した樽貯蔵庫の中。
貯蔵樽からウイスキーを汲み出す、稲垣さん。
「三郎丸1960」の売り上げに加え、クラウドファンディングで寄せられた支援を原資として、蒸留所の改修に着手する。
「資金集めはもちろんですが、なぜ蒸留所を残したいのか、なぜ未来へつなぎたいのか。その思いを多くの方と共有できたことが大きかったですね」
クラウドファンディングは資金調達の手段であると同時に、三郎丸蒸留所の未来に共感する仲間を集めるプロジェクトでもあった。蒸留所は少しずつ、新しい時代へ歩み始めた。
その象徴となったのが、2019年に完成した世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON(ゼモン)」である。
発想の原点は、富山県高岡市で400年以上受け継がれてきた高岡銅器だった。梵鐘づくりの鋳造技術をウイスキー造りに生かせないか──。その着想から老子製作所との共同開発によって誕生したのが、世界初の鋳造製ポットスチル「ZEMON」である。
昭和20年の富山大空襲を逃れた数少ない建物。
画像提供:三郎丸蒸留所
中央に見えるのが「ZEMON」だ。
「従来の蒸留器は銅板をたたき、曲げて造ります。一方、ZEMONは梵鐘と同じ鋳造技術を使うので、十分な厚みを持たせることができます」
銅には蒸留液中の硫黄成分を除去する働きがあり、錫には酒質をよりまろやかにする効果が期待される。銅と錫、それぞれの特性を活かした銅錫合金によって、三郎丸らしい力強さと滑らかさを兼ね備えた酒質を実現した。さらに、高寿命化やメンテナンス性の向上、製造期間の短縮、コストダウンなど、従来の蒸留器が抱えてきた課題も解決した。
「ZEMONは三郎丸だけのために造ったものではありません。日本の蒸留所が、国内で設備を調達できる選択肢を増やしたかったんです」
伝統産業は、昔と同じものを作り続けるだけでは先細りしてしまうこともある。だからこそ、高岡銅器という地域の技術を現代のものづくりへ生かし、新たな産業へとつなげる。その挑戦は、三郎丸蒸留所だけでなく、日本のウイスキー産業全体の未来を見据えたものだった。
蒸留所を守ることが目的ではない。蒸留所を起点に、日本のウイスキー文化を次の100年へつないでいく。その視点に立ったとき、稲垣さんの挑戦はさらに広がっていく。
後期乳酸菌発酵を行う木桶発酵槽。木の表面に独自の乳酸菌が住み着き、豊かな発酵へと導く。
蒸留所では、主にネズミや鳥などの害獣からウイスキーの原料である大麦を守るため、猫(ウイスキーキャット)を飼う習慣があった。現在は、蒸留所で動物を飼うことはできないために、その名残から置物を置いている。
産業は、一社だけでは育たない
稲垣さんが目指しているのは、三郎丸蒸留所だけの発展ではない。日本のウイスキー産業全体が、100年先まで続くための土台を築くことだ。
「一社だけが成功しても、文化にはなりません。産業全体が元気になってこそ、日本のウイスキー文化は次の世代へ受け継がれていくと思っています」
その考えを象徴する取り組みの一つが、三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE(リクーパレッジ)」である。
「貴重なジャパニーズウイスキーの一滴たりとも漏らさない。それが私たちの使命だと思っています」
ウイスキーにとって樽は、単なる容器ではない。熟成によって香りや色、味わいを育む「もう一つの原料」ともいえる存在だ。しかし世界的なウイスキーブームを背景に樽不足は深刻化し、価格は高騰。品質のばらつきも大きくなっている。
さらに日本では樽職人の減少が進む一方で、クラフトウイスキーの蒸留所は急増している。その結果、多くの蒸留所が自前で樽の修理や修復ができず、大切な原酒を守るための環境づくりが課題となっている。
樽工房において、「新たに蒸留された無色透明の原酒は、樽の中で長い年月を過ごすことで、琥珀色の色合いや豊かな香りを生み出すんです」と話す稲垣さん。
「10年前と比べると、価格は高い時で4倍ほどになりました。しかも漏れる樽が本当に増えました」
長い年月をかけて育てた原酒が、樽の隙間から失われてしまう。その損失を防ぐため、三郎丸蒸留所は樽工房を設立した。傷んだ樽板を交換する「リペア」、用途に応じて組み替える「リメイク」、内側を削って焼き直す「リチャー」。一本一本異なる状態を見極めながら、樽に新たな命を吹き込んでいる。
「樽は容器ではなく、原料なんです。ウイスキーを造っているのは、樽でもあるんですよ」
樽を守ることは、原酒を守ること。そして、日本のウイスキーの品質を守ることでもある。
「新しく造るより、直す方が難しいんです。どこが悪いのかを見極め、その樽に合わせて修復しなければならない。一本として同じ状態の樽はありません」
現在、日本で樽職人はごく限られている。
三郎丸樽工房「Re:COOPERAGE」で樽の修復・修繕を担っているのは、29歳でキャリア10年の樽・木桶職人、祝迫智洋さんだ。
「樽と木桶の両方を扱える職人は、世界でも祝迫さんだけだと思います」
そう語る稲垣さんは、祝迫さんに絶対の信頼を寄せる。
樽工房では、全国の蒸留所から修理を引き受けるだけでなく、技術者の育成にも力を入れている。樽工房は三郎丸のためだけにあるのではない。日本のウイスキー産業全体を支えるインフラとして、その役割を広げている。
敷地内にある樽の修理・再利用する樽工房「Re:COOPERAGE」。樽のリペア・リメイク・リチャーなどを専門に行なっている。
ここではバーボン樽を中心に、シェリー樽、赤ワイン樽、ミズナラ樽、スパニッシュオーク樽など、様々な樽が集まってくる。
廃材となるはずの木材は、時計や小さな樽など、別のアイテムに生まれ変わらせている。
その発想は、ボトラーズ事業にもつながっている。
2021年には、ウイスキー専門店「モルトヤマ」の下野孔明さんとともに、ボトラーズブランド「T&T TOYAMA」を立ち上げた。
ボトラーズは蒸留所から原酒を買い取り、独自に熟成やブレンドを行い、新たな価値を加えて市場へ送り出す存在だ。原酒が商品になるまで長い年月を必要とする蒸留所にとって、資金面や販路を支える役割も果たしている。
「スコットランドでは、自分たちにない原酒は交換するのが当たり前です。それぞれが得意なものを持ち寄ることで、多様性が生まれる。日本もそういう産業になってほしいと思っています」
クラフト蒸留所が一社だけで世界へ挑むには限界がある。しかし、それぞれの個性を生かしながら協力することで、新しい価値は生まれる。
「ボトラーズ事業を通して、世界各地の蒸留所が集うイベントや販売会で、それぞれの蒸留所の特徴や魅力を紹介する機会も増えました。一社ではできないことでも、数社が集まることで、多角的な発信ができるようになります」
競争するだけでは文化は育たない。互いに支え合い、それぞれの強みを生かしながら成長していくことで、産業は厚みを増していく。
昨年新設された、三郎丸蒸留所のブレンダー室・ワークショップルーム。日本の伝統工芸である組子建具とガラスを融合させた「ガラスシリンダー」が美しい。
たくさんの保有する原酒を新たな魅力ある製品づくりへとつなげていく作業がなされている。
一番いいのは、実際に来てもらうこと
「一番いいのは、実際に来てもらうことです。蒸留所へ来れば、その土地の空気も、人も、ものづくりも伝わります」
その思いから、三郎丸蒸留所は開かれた蒸留所として見学を受け入れている。蒸留設備を間近で見ながらウイスキー造りの工程や歴史を学ぶことができ、ショップやテイスティングスペース、レストラン「竈 flamme 炭三郎」も併設する。
屋外のBBQスペースにも釜が置かれている。
レストランでは、役目を終えたウイスキー樽を燃料に炊き上げるご飯をはじめ、三郎丸の仕込み水や富山の食材を生かした料理を提供している。酒造りを支える水や土地の恵みを、食を通して体感できる場所でもある。
取材当日も、見学者だけでなく地元の人々が次々と訪れ、食事を楽しんでいた。蒸留所は観光施設にとどまらず、地域の日常に溶け込む交流の場にもなっていた。
レストランの入り口の横には仕込み水が出る蛇口がある。その柔らかくてミネラル感ある水質が、三郎丸のウイスキーの味わいを支えている。
そして、稲垣さんは新たな試みスタートとして、クラフトウイスキー蒸留所をより多くの人に知ってもらう試みをはじめた。
「私が戻ってきた頃、日本の蒸留所は10カ所ほどでした。それが今では約100カ所以上になりました。せっかくなら、三郎丸だけでなく全国の蒸留所を巡ってもらいたいんです」
その思いから始まったのが、全国の蒸留所を巡る「Japanese Whisky Passport 銅印帳」プロジェクトだ。鉄道を巡る「鉄印帳」のように、各地の蒸留所を訪れ、銅印を集めながら旅を楽しむ仕組みである。
「目指したのは、ウイスキー好きだけの企画ではありません。建築やものづくり、地域文化や食に興味を持つ人たちにも、日本各地の蒸留所を訪れるきっかけをつくりたかったんです」
蒸留所を巡る旅は、その土地の文化や食、伝統工芸と出会う旅でもある。蒸留所という「点」を旅という「線」で結び、日本のウイスキー文化という「面」へ広げていく。それもまた、産業を未来へつなぐための大切な仕組みだ。
「Japanese Whisky Passport 銅印帳」全国28ヵ所のクラフト蒸留所が紹介されており、各蒸留所で銅印を購入し、指定のページに貼って集めることができる。
稲垣さんが目指すのは、曾祖父から受け継いだ酒造りの志を起点に、高岡銅器の技術、樽職人の仕事、蒸留所同士が支え合う関係、そして地域へ人を呼び込み文化を育てる仕組みまで、日本のウイスキー産業を支える土台そのものを未来へ残そうとしている。
日本の蒸留所の数は増えた。だが文化は数だけでは育たない。今問われているのは、「増やすこと」ではなく、「育てること」なのである。
100年前、曾祖父が始めた挑戦は、いま「次の100年」を見据えた挑戦へと姿を変えた。三郎丸蒸留所で生まれたその挑戦は、一つの蒸留所の未来ではなく、日本のウイスキーをブームで終わらせず、次の100年先へと受け継ぐための取り組みだ。
稲垣さんは富山の地で日々思いを巡らせ、そして格闘をしている。
樽貯蔵庫では、夏場は上段温度管理のために、屋根散水システムを導入している。
若鶴酒造(三郎丸蒸留所)
富山県砺波市三郎丸208
Photos by Hidehiro Yamada
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