安藤忠雄01

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Portraits

建築家・安藤忠雄の挑戦を知る(前編)

2019.12.13

安藤忠雄の出発点そして現在地・大阪から発信し続ける理由と想い

気概ある大阪の財界人たちが
無名の若者・安藤忠雄を支えた
青き時代のこと

安藤忠雄は大阪の下町で育ち、独学で建築を学んだ末、1969年、28歳のときに梅田に安藤忠雄建築研究所を立ち上げた。80年代からは東京での仕事も増え、また90年代以降は海外での大きなプロジェクトも増えていくが、拠点は常に大阪。多くの不便があっても、東京には移らず、大阪から世界へと発信を続けてきた。

 

安藤が初めて住宅の設計依頼を受けたのは1971年。施主は学生時代の友人の弟だった。四軒長屋の北端の一軒を立て替えた、コンクリート打放し工法による床面積24坪の小さな家は、その後安藤が買い取り、改修や増築を続けながら、現在も事務所として使っている。

安藤忠雄が最初に手がけた、記念すべき第1作目となる住吉の長屋。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 安藤忠雄が最初に手がけた、記念すべき第1作目となる住吉の長屋。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

安藤忠雄の初期の代表作、住吉の長屋。 © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「『都市住宅』に掲載されたその住宅を見て、「住吉の長屋」(1975年竣工)の設計依頼を受けました。その後、サントリーの佐治敬三さんや、アサヒビールの樋口廣太郎さんなど、関西経済界のトップから依頼を受けることになります。皆、古き良き関西人の気質を持っておられ、ろくに実績のない私に、勇気を持って仕事を任せて下さりました」。

 

「こういった、自由で大胆な経営者や文化人たちとの出会いから、私は多くのことを学ぶことができました。一人の人間が発する強い思いに対しては、それまで全く縁がなくても、必ず反応してくれる人がいるのが大阪という街である。その意味では、人間同士が近くて面白い都市といえます。私もまた、大阪人であることに誇りを持って生きています。だからこそ、死ぬまでこの地で仕事をしたいと考えています」


実現するかどうかはわからない
夢をかたちにしたいという情熱が
次のステップへと導く

そう話す安藤が1988年に発表したのが、大阪・中之島にある国指定重要文化財、大阪市中央公会堂の再生案だった。誰に頼まれたわけでもなく、安藤が一方的に提案した都市計画案。ネオルネッサンス様式の美しい建物の外観と構造をそのまま残し、内部にコンクリートの卵型ホールを挿入して再生しようという大胆な案は、残念ながら行政側には受け入れてもらえなかった。この案を面白がり、事務所を訪ねてきたのが、当時のアサヒビール社長、樋口廣太郎。この時に始まった交流は、後に「アサヒビール大山崎山荘美術館」に繋がった。ライバル会社でもあるサントリーの「サントリーミュージアム天保山」(注:現在の「大阪文化館・天保山」)の開館はその前年。関西の経営者たちの大らかさが垣間見える。

自主提案で臨んだ「中之島プロジェクトⅡアーバンエッグ」という構想のドローイング。大阪市中央公会堂の内部に卵型ホールが見える。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 自主提案で臨んだ「中之島プロジェクトⅡアーバンエッグ」という構想のドローイング。大阪市中央公会堂の内部に卵型ホールが見える。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

自主提案で臨んだ「中之島プロジェクトⅡ(アーバンエッグ)」という構想のドローイング。大阪市中央公会堂の内部に卵型ホールが見える。© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

2019年6月分月、GINZA SIXの銀座蔦屋書店で開催された「安藤忠雄:挑戦」に展示された中之島プロジェクトの長さにして10メートルにもおよぶ2つのドローイング。ドローイングは安藤と、このプロジェクトに感銘を受けた有志が集まり製作、すべて手書きで行われたという。展示されたのは、ドローイングを高細密のプリント技術で再現したもの。中之島プロジェクトⅡを含む、安藤忠雄のポートフォリオ最新作『ANDO BOX Ⅴ』がamanasalto(アマナサルト)から発表された。http://amanasalto.com/ Photography by ©amanasalto 2019年6月分月、GINZA SIXの銀座蔦屋書店で開催された「安藤忠雄:挑戦」に展示された中之島プロジェクトの長さにして10メートルにもおよぶ2つのドローイング。ドローイングは安藤と、このプロジェクトに感銘を受けた有志が集まり製作、すべて手書きで行われたという。展示されたのは、ドローイングを高細密のプリント技術で再現したもの。中之島プロジェクトⅡを含む、安藤忠雄のポートフォリオ最新作『ANDO BOX Ⅴ』がamanasalto(アマナサルト)から発表された。http://amanasalto.com/ Photography by ©amanasalto

2019年6月、GINZA SIXの銀座蔦屋書店で開催された「安藤忠雄:挑戦」に展示された中之島プロジェクトの長さにして10メートルにもおよぶ2つのドローイング。ドローイングはすべて手書きで行われたという。展示されたのは、ドローイングを高細密のプリント技術で再現したもの。アーバンエッグを含む、安藤忠雄のポートフォリオ『ANDO BOX Ⅴ』がamanasalto(アマナサルト)から発表された。http://amanasalto.com/
©amanasalto

ドローイング、模型も展示され、このプロジェクトの壮大さをはじめて理解できる。自主提案であったため、安藤の構想、夢は、どこまでも広がったという。Photography by ©amanasalto ドローイング、模型も展示され、このプロジェクトの壮大さをはじめて理解できる。自主提案であったため、安藤の構想、夢は、どこまでも広がったという。Photography by ©amanasalto

ドローイング、模型も展示され、このプロジェクトの壮大さをはじめて理解できる。自主提案であったため、安藤の構想、夢は、どこまでも広がったという。©amanasalto


大阪の中心・中之島
自分たちの手で作っていくという
大阪人の矜持とともに

江戸時代から商人の街・大阪の中心として栄えてきた中之島は、今なお安藤にとって大切な場所。2020年3月に中之島公園内に開館が予定されている「こども本の森 中之島」は、たくさんの本に囲まれた“本の森”をつくることによって、未来を担う子どもたちの知的好奇心を刺激する環境づくりをしたいという安藤の熱意から建設が決まったものだ。

2020年3月に開館予定「こども本の森 中之島」のドローイング。安藤自らが設計し、大阪市へ寄付した。安藤は子どもたちの読書離れを危惧。本と親しみ、表現力や創造力、判断力を身に着けてほしいと願う。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 2020年3月に開館予定「こども本の森 中之島」のドローイング。安藤自らが設計し、大阪市へ寄付した。安藤は子どもたちの読書離れを危惧。本と親しみ、表現力や創造力、判断力を身に着けてほしいと願う。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

2020年3月に開館予定「こども本の森 中之島」のドローイング。安藤自らが設計し、大阪市へ寄付した。安藤は子どもたちの読書離れを危惧。本と親しみ、表現力や創造力、判断力を身に着けてほしいと願う。© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「御堂筋をまたぎ、東西に伸びる中之島の周辺には、日本でもまれにみる“民間の力の結晶”としてのまちづくりが今も力強く生きています。岩本栄之助の寄贈による大阪市中央公会堂や、住友家の寄贈による中之島図書館など、民間の手でつくられた建築が都市景観の重要な要素となっています。中之島一帯の街並みは、市民の高い公的精神によってつくられたものと言うことが出来ます。そんな先人の市民参加の精神を引き継ぎ、自分たちのまちを自分たちの手で美しくしようと、桜の植樹活動をはじめ、さまざまな取り組みを行ってきました。その思いが「こども本の森 中之島」までつながっています」


震災からの復興の軌跡を忘れず
未来を見つめる「青いリンゴ」

常に未来志向の安藤だが、そこには常に過去の積み重ねがある。2019年5月に兵庫県立美術館にオープンした第二展示棟「Ando Gallery」は、安藤らがかかわってきた阪神・淡路大震災の復興プロジェクトを中心に、安藤のこれまでとこれからの仕事を紹介する目的で作られた。

兵庫県立美術館第2展示棟(Ando Gallery)。安藤忠雄の建築模型やドローイングを展示する。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 兵庫県立美術館第2展示棟(Ando Gallery)。安藤忠雄の建築模型やドローイングを展示する。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

兵庫県立美術館第2展示棟(Ando Gallery)。安藤忠雄の建築模型やドローイングを展示する。© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

美術館はもともと、震災からの「文化の復興」のシンボルとして設計され、2002年に開館。西日本最大級の規模を誇る同館は、国内外の美術作品はもとより、演劇や音楽など、さまざまなイベントが開催され、県内外の人々に愛されてきた。2層から成るこの「Ando Gallery」は、2017年頃に行われた兵庫県の井戸敏三知事、美術館の蓑豊館長との話し合いの中から計画が立ち上がったのだという。既存の企画展示棟と常設展示棟の間に屋根を懸けて増築する案は、主に井戸知事との話し合いから生まれたそうだ。

 

1995年の震災に際して、安藤は大阪から船で神戸港に入り、数ヵ月の間事務所の仕事を中断、被災地を歩いて回った。大阪を拠点にする安藤は初期より兵庫県での仕事も多く、震災により街が破壊されたさまを見た時には、絶望に打ちひしがれたという。「Ando Gallery」ではこの時に計画された復興プロジェクトを中心とした模型や図面、当時の写真などを多く展示。窓から外を眺めると、四半世紀での奇跡的な復興の姿に感慨を抱くとともに、「海のデッキ」に新たに設置された巨大な青いリンゴのオブジェの姿に驚くはずだ。

安藤が大切にする、サミュエル・ウルマンによる「青春の詩」にインスパイアされた青いリンゴは、兵庫県立美術館にも置かれている。 安藤が大切にする、サミュエル・ウルマンによる「青春の詩」にインスパイアされた青いリンゴは、兵庫県立美術館にも置かれている。

安藤が大切にする、サミュエル・ウルマンによる「青春の詩」にインスパイアされた青いリンゴが「海のデッキ」に設置されている。

実はこの青リンゴ、安藤は2018年にポンピドゥー・センターで開催された展覧会「安藤忠雄展-挑戦-」など、さまざまな場所に登場。若い頃に前出のサントリー佐治元会長から紹介された、サミュエル・ウルマンによる「青春の詩」にインスパイアされて生まれた青いリンゴについて、安藤はこう語っている。

 

「青いリンゴは青春の象徴です。サミュエル・ウルマンの詩にもあるように、青春とは人生のある時期を言うのではない。目標を持って生きている限り、青春を生き続けることができると考えています。人生100年の時代、神戸港と六甲山、海と山を一望できる場所で、このリンゴに触れることによって、当時のことを思い出し、それぞれの青春を取り戻して頂ければと思います」

 

いつまでも熟すことなく、青春を走り続けること。自分自身を青いリンゴに重ねる安藤は、まだまだ建築界のトップランナーとして、世界を驚かせ続ける。

安藤忠雄 Tadao Ando
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2003年文化功労者、2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル、2010年ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、後藤新平賞、文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール)、2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャ―レ章、2016年イサム・ノグチ賞など受賞多数。1991年ニューヨーク近代美術館、1993年パリのポンピドゥー・センターにて個展開催。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
安藤忠雄建築研究所 http://www.tadao-ando.com/

Photography by Kinji Kanno (amana)
Text by Shiyo Yamashita

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