安藤忠雄01

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Portraits

建築家・安藤忠雄の挑戦を知る(後編)

2019.12.23

パリ、ミラノ、そして日本へ。安藤忠雄がつむぐ人との出会いと絆。

革新的プロジェクトを実現させる
クライアントとの
密接な関係

フランス建築家協会(IFA)の招聘で安藤が最初に海外で個展を開催したのは1982年のこと。その後、イェール大学、コロンビア大学、ハーバード大学などで客員教授を務めた彼は、91年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で、また93年にはパリのポンピドゥー・センターにて個展を開催している。一方、92年にスペインのセビリアで開催された「セビリア万国博覧会」では世界最大級の木造建築に挑戦。ベネトンの創業者ルチアーノ・ベネトンから、イタリアのトレヴィゾにオープン予定のアートスクール「FABRICA」の校舎として17世紀の古い家屋を改修・再生してほしいとの連絡があったのは、このパビリオンの件でセビリアに滞在中のことだった。

 

2001年にはミラノに「アルマーニ / テアトロ」が竣工。同じ年には、フランスの資産家フランソワ・ピノーと組んで、パリのセガン島に建設予定だった「ピノー現代美術館」の国際コンペに勝利。このプロジェクトは着工直前で中止になったが、ピノーとの関係は深まり、ベニスでは「パラッツォ・グラッシ」「プンタ・デッラ・ドガーナ」「テアトリーノ」という3つの歴史的建造物の再生プロジェクトを担当することとなった。

「アルマーニ / テアトロ」以降続く、ジョルジオ・アルマーニとの関係。2019年には「アルマーニ / シーロス」にて、’17年に国立新美術館で開催された「安藤忠雄展―挑戦―」と、これを再構成して’18年にポンピドゥー・センターで開催された「Le Défi」をもとにした「Tadao Ando. The Challenge」を開催した。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 「アルマーニ / テアトロ」以降続く、ジョルジオ・アルマーニとの関係。2019年には「アルマーニ / シーロス」にて、’17年に国立新美術館で開催された「安藤忠雄展―挑戦―」と、これを再構成して’18年にポンピドゥー・センターで開催された「Le Défi」をもとにした「Tadao Ando. The Challenge」を開催した。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「アルマーニ / テアトロ」以降続く、ジョルジオ・アルマーニとの関係。2019年「アルマーニ / シーロス」にて、17年に国立新美術館で開催された「安藤忠雄展―挑戦―」、18年にポンピドゥー・センターでの「Le Défi」を再構成した「Tadao Ando. The Challenge」を開催した。Photography by  Delfino Sisto Legnani and Marco Cappelletti

「文化とは、歴史や人々の記憶の堆積の上にこそ育まれるものです。古い建物に手を加え、新しい命を与えて再生することも、私にとって大切なテーマです。私が考える“再生”とは、新旧が絶妙なバランスで共存する状態をつくりだすことです。そこに生まれる新旧の対話が、過去から現在、未来へと時間をつなぎ、場に新たな命を吹き込む――あるものを生かして、ないものをつくるという挑戦です」

 

安藤が現在ピノー財団と建設を進めているのが、パリ中心部にある、かつて穀物取引所だった「ブルス・ドゥ・コメルス」を、現代美術館に改築するプロジェクト。これは1767年竣工の歴史ある建物の中央にあるロトンダ(ドーム状の屋根を持つ空間)に、高さ10m、直径30mのコンクリートの円筒を挿入し、内部空間を再構成するというもので、オープンは2020年の予定だ。

「ブルス・ドゥ・コメルス」はドーム屋根が特徴の建物。歴史的建造物にも指定されている。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 「ブルス・ドゥ・コメルス」はドーム屋根が特徴の建物。歴史的建造物にも指定されている。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「ブルス・ドゥ・コメルス」はドーム屋根が特徴の建物。歴史的建造物にも指定されている。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「世界で最も魅力的な文化都市パリの、その象徴とも言えるルーブル美術館とポンピドゥー・センターに挟まれた、歴史と文化の集積地での仕事ですから、非常に重責を感じています。成熟した都市文化の明日のために、この建築がいかに力強く生命感に満ちたものとなり得るか。挑戦は今も続いています」


街や人々の活気を失わせる
個性を失った画一的建築

欧米だけでなく、中国の「上海保利大劇院」「新華紅星国際広場」、韓国の「ミュージアムSAN」「森の教会」など、アジア諸国でのプロジェクトも。海外での仕事と日本でのそれの違いについて尋ねると、次のような答えが返ってきた。

開発が進む嘉定区ニュータウンの文化ゾーンに計画された「上海保利大劇院」。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 開発が進む嘉定区ニュータウンの文化ゾーンに計画された「上海保利大劇院」。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

開発が進む嘉定区ニュータウンの文化ゾーンに計画された「上海保利大劇院」。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

「例えばイタリアでは、ベニスやボローニャなど、これまでいくつかの仕事を手掛けて来ました。イタリアの経済はずっと低調で破たん寸前ですが、働く人は皆元気で楽しそうなのが印象に残っています。それに対し日本では大企業は豊かですが、働く人に元気がないように思います。また、海外で仕事をする際、技術的な問題は避けて通れませんが、最近では例えば中国でも、わずか数年で驚くほど技術レベルが向上しています。もちろん日本の建築技術は、品質や安全・スケジュール管理の面で未だ世界でもトップクラスですが、コストが高いのが難点です。

 

そして何より、日本が抱える一番の問題は、建築に全く個性がなくなってしまっている点にあります。何かを訴える力強さがない。建築がプレハブ化してしまい、つくる過程が省力化されているからです。これでは、そこに住む人たちの感性に刺激を与えることなどできませんから、街や人が活気を失うのも無理はないと思います」


次世代を担う若者へ
安藤忠雄からの問いとは

次世代を担う若者たちへの危惧も。本を読んで学び、実際に色々な場所に足を運んでさまざまなものを体感し、人と生身の交流をして刺激を受け、新たな気づきを得るという経験を繰り返してきた安藤だけに、消極的な若者には苛立ちも感じているようだ。

 

「残念なことに、最近は海外に出たがらない若者が増えていると聞きます。不景気ゆえのことなのか、あるいはインターネットのおかげで、海外の情報が簡単に入手できるようになったからか。知ったつもりになるのでしょう。いずれにしろ、より一層グローバル化していくであろう今後の世界を考えると、由々しき事態だと思います。語学力、国際感覚といった能力以上に、その消極性が一番の問題だと考えています。

安藤が手がけた、福島県のいわき市の絵本美術館「まどのそとのそのまたむこう」。集中している子、友達と一緒にのぞき込む子、声を出して読む子。どの子も自由な好奇心で、絵本に触れる。この無邪気さが失われないようにと願う。私設美術館のため非公開。 安藤が手がけた、福島県のいわき市の絵本美術館「まどのそとのそのまたむこう」。集中している子、友達と一緒にのぞき込む子、声を出して読む子。どの子も自由な好奇心で、絵本に触れる。この無邪気さが失われないようにと願う。私設美術館のため非公開。

安藤が手がけた、福島県のいわき市の絵本美術館「まどのそとのそのまたむこう」。集中している子、友達と一緒にのぞき込む子、声を出して読む子。どの子も自由な好奇心で、絵本に触れる。この無邪気さが失われないようにと願う。私設美術館のため非公開。

私は世界中を旅したり、様々な文化に帰属する人々と対話を重ねたり、人間が成長するためには、生身の体験が最も重要だと考えています。日本の若者は消極的ですが、いまこそ国際社会のなかで生きていかなければならないという緊張感をもって海を渡り、見知らぬ世界を体験してほしい。好奇心をもって積極的に世界を知ることで自分自身が見えてきます」

 

2度のがんを乗り越え、70代後半にしてますます旺盛な活動を展開する安藤。阪神・淡路大震災の被災地に白い花をつける樹木を植える「ひょうごグリーンネットワーク」の活動や、2000年にスタートした、産業廃棄物の不法投棄事件があった豊島をはじめとした瀬戸内の島々に豊かな緑を取り戻すための植樹活動などを行う「瀬戸内オリーブ基金」の活動をはじめ、専門家や財界人から一般市民まで、さまざまな人々を巻き込んでの社会貢献活動にも熱心だ。最後に、「私の中で“建築をつくること”と“森をつくること”は、場所に働きかけ、新しい価値をもたらすという点において同義の仕事」と話す彼に、これからの展望について尋ねてみた。

平成の通り抜けを目指し、2004年から募金活動がスタート。安藤の呼びかけに市民らから多くの募金が寄せられ、植樹された桜。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES 平成の通り抜けを目指し、2004年から募金活動がスタート。安藤の呼びかけに市民らから多くの募金が寄せられ、植樹された桜。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

平成の通り抜けを目指し、2004年から募金活動がスタート。安藤の呼びかけに市民らから多くの募金が寄せられ、植樹された桜。Photography by © TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES


「私たち建物のつくり手に出来ることには限界があります。環境の問題を考えるとき、最後に頼りになるのは、そこに生きる人々の意識、感性でしかありません。皆が日常の生活風景の問題を我がこととして捉え、その思いを少しでも何か行動に移すならば、それは何よりも創造的で可能性に満ちた挑戦となるでしょう。こうして既成の概念にとらわれずに、自由に枠組みを乗り越えて考えていくことが、これからの時代に必要なヴィジョンなのだと私は考えています」。

司馬遼太郎記念館の庭を歩く安藤。緑豊かなランドスケープが特徴だ。 司馬遼太郎記念館の庭を歩く安藤。緑豊かなランドスケープが特徴だ。

司馬遼太郎記念館の庭を歩く安藤。緑豊かなランドスケープが特徴だ。

安藤忠雄 Tadao Ando
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2003年文化功労者、2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル、2010年ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、後藤新平賞、文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール)、2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャ―レ章、2016年イサム・ノグチ賞など受賞多数。1991年ニューヨーク近代美術館、1993年パリのポンピドゥー・センターにて個展開催。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
安藤忠雄建築研究所 http://www.tadao-ando.com/

Photography by Kinji Kanno (amana)
Text by Shiyo Yamashita

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