東京都の多摩エリアに位置する立川市。近年、立川駅北口周辺に注目が集まっている。ららぽーと立川立飛、アリーナ立川立飛そして多機能ホール、ホテル、レストランやオフィスなどで構成された 「GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)」などが次々とオープン。2024年には浅田真央プロデュースのスケートリンク「MAO RINK 立川立飛」のオープンが控える。立川駅北口の変容ぶりに誰もが目を見張る。誰もが自由に、イキイキと過ごせる街。東京の中心部に行かなくても、豊かな文化にすぐ触れることができる街。こんなすごい街が今、立川に出現しているのだ。
この壮大な街づくりをけん引しているのが立飛ホールディングスだ。東京都立川市に持つ広大な自社所有地を効果的に活用すべく、街の活性化に根差した都市開発を続ける立飛ホールディングスの代表取締役社長・村山正道氏に話を聞いた。
立川の街と緩やかに繋がるウェルビーイングタウン
JR立川駅を降り、モノレールの高架に沿って北へ歩くこと約8分。都内最大の国立公園、昭和記念公園に隣接して現れるのが、2020年に誕生した複合施設「GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)」だ。
ビオトープや芝生などが広がる緑あふれる広場を中心に、ショップやレストラン、多摩地区最大規模のホール、全室が昭和記念公園に面した「SORANO HOTEL(ソラノホテル)」、テラスを完備したオフィスなどが立ち並ぶ。
「広場の広さは約10,000㎡。敷地面積約39,000平方メートルの約1/4近くを占めています。敷地の中に柵も作っていないので、自由に入ってくつろいでいただけます」と街区内を案内しながら教えてくれたのは、「GREEN SPRINGS」を手掛けた立飛ホールディングスの代表取締役社長・村山正道氏。
水の流れるカスケードの上からは立川の街並みが。昭和記念公園側からは富士山を望むこともできる。
「GREEN SPRINGSは、『空と大地と人がつながる“ウェルビーイングタウン”』がコンセプト。ここにきたら心も身体もそして社会的にも満たされた状態である“ウェルビーイング”を、誰もが感じられるようにしたいと考えました」
その言葉通り、開放的な敷地が緩やかに街と繋がり、点在するテーブルや芝生、緑豊かなビオトープで訪れた人たちが思い思いの時間を過ごしている。
GREEN SPRINGSの中央部にあるのが、多摩地域に生息している生き物や植物を楽しめるビオトープ。
「空と大地と人がつながる」というこの地のコンセプトを体感するのが、広場から空へと伸びる日本最大級の長さというカスケードだ。柔らかな水の流れる階段は滑りにくい石材を使用し、小さな子供が水遊びをするだけではなく、大人たちもところどころに配されたバーに腰掛け、広がる立川の街並みを眺めくつろぐ姿が。
「2020年4月の開業時は、まさにコロナ禍の真っただ中。でもだからこそ、ウェルビーイングという意味で、ゆっくり過ごせるこの広い空間が必要とされたのかもしれません。今もいつ来ても子供たちが走り回り、ベビーカーを押す若いお母さんやペットを連れた方、手をつないで散歩する老夫婦など、さまざまな方が来てくださっている。この街区を構想していた時に、自分たちが思い描いていた通りの場所になりました」
約120mという日本最大級の長さのカスケード。子供にも大人にも憩いの場に。
GREEN SPRINGS内にあるSORANO HOTEL(ソラノホテル)。全室が昭和記念公園に面している。最上階にはインフィニティプールも。
古くから地元に密着した意外なルーツ
現在は立川をベースに不動産業や都市開発を行う立飛ホールディングスだが、実はそのルーツは意外な事業にある。その始まりは飛行機の設計、製作、販売を行う石川島飛行機製作所として大正13年に月島で創立。その後陸軍の航空部隊があった立川に移転したことで立川飛行機株式会社という名になり、現在の立飛という名の由縁となる。当時「赤とんぼ」という愛称の九五式一型練習機など、多くの飛行機を製作。最大4万人以上の社員を擁する一大企業だったそうだ。
「若い方はほとんどご存知ないと思いますが、地元にいらっしゃる高齢の方はありがたいことにまだ立川飛行機をご存知の方も多いんです。実は戦後国産飛行機の登録第1号機も、立飛が作った飛行機。ここ数年国産ジェット機の実現が話題になっていましたが、その先駆けとも言えるのが、立川のローカル企業の飛行機だったんです」
戦後国産第一号となるR-52型軽飛行機。同時期に製作されたR-HM型軽飛行機がGREEN SPRINGSに展示されている。
戦後も飛行機製造で培った技術を生かし、電気洗濯機やカーヒーターなどさまざまな機械製品を製造。その後、戦後米軍に接収されていた社有地の返還をきっかけに不動産事業に軸足を移す。倉庫やビル、工場などの賃貸を主としていた事業が大きく変わったのは、2010年村山社長が就任してからだ。所有不動産の一体開発を計画し、2015年にはららぽーと立川立飛を開業。そして、2020年に話題を博したのが、最初に紹介したGREEN SPRINGSの開業なのだ。
立川の都市格を上げる開発を
「我が社のベースは不動産賃貸業ですが、今は賃料を上げて企業価値を高める時代ではないと思っています。我が社には98万㎡の土地があり、その中にはまだ開発されていない土地もあります。東京でひとつの街にこれだけの敷地を一団地で所有している企業は、他にはありません。だから開発によっては、立川が劇的に変わる可能性もある。立川を変えるといったらおこがましいですが、開発をするならば、立川の都市格を上げる開発をする、それがこれだけの土地を持つ企業の責任だと思っています」
98万㎡とは、東京ドームにして約21個分、そして立川市全体の広さの約25分の1にもあたる。
「どんなに利益が上げられるとわかっていても、今後も立川の活性化に繋がらないことはやらないつもりです。『浮利(ふり)を追わず』、つまり目先の利益や社会的に意味のない利益は追わないという精神が必要だと思っています」
スポーツ施設「アリーナ立川立飛」や「ドーム立川立飛」、本格的なホールである「TACHIKAWA STAGE GARDEN(立川ステージガーデン)」のような公共的な施設を、行政に頼らず一企業として作ったのも、都市格を上げたいという強い思いからだ。
「これまでなら、多摩エリアの人が一流の芸術・文化・スポーツを観るには都心に行かなくてはなりませんでした。ここ立川にそのようなコンテンツを持ってきたいと造ったのが、これらの施設です。今はバスケットボールBリーグなどのプロスポーツ、あるいはさまざまなライブや歌舞伎、大相撲なども立川で楽しめるようになりました」
GREEN SPRINGSは、村山の考えをよく表現しているもののひとつだ。都内のショッピングモールで、ここまでゆったりとした通路があるだろうか。ビオトープもお飾り程度のものでなく、ふんだんな緑と穏やかな水の流れ、そして随所に設置されたパーゴラなど、まるで公園の中にいるようだ。経済効率を考えたら、複合施設のど真ん中に、ここまでスペースを取ることはしない。でも、ここで優先されるのは訪れる人が心地よく過ごせること。心地よい街に人は集まり、それが街の評価、そして価値となっていく―――「どんなに利益が上げられるとわかっていても、今後も立川の活性化に繋がらないことはやらない」と語る村山の哲学がここにある。
社員食堂は300円でビュッフェ形式、自販機は無料、保育園の設置など、社員の待遇にも心を砕く。野菜栽培が趣味という一面も。
生まれ変わったオーベルジュを日本の食・文化の発信地に
西国立にあった老舗料亭「無門庵」の跡地には、今年「オーベルジュ ときと」を開業。
「もともと無門庵には美しい庭園と歴史ある建物があり、立川の“文化財”だと思っていました。さらに以前旅館だった時代には、立川飛行場から出撃する特攻隊員が最後の夜を過ごした場所だったという話もあり、かつて飛行機製作を生業にしていた我が社との縁も感じ、この場所を引き継ぐべきだと考えたんです」
広い敷地内には、ヨーロッパの日本料理店で初めてミシュラン二つ星を獲得したロンドン「UMU(ウム)」の石井義則シェフがプロデュースする食房と、温泉かけ流し露天風呂を備えたわずか4室の宿房、そして日本のお茶文化を現代的に解釈した茶房を配し、日本の食や文化を立川から世界に発信する場所を目指す。
こだわりつくした唯一無二の空間には、すでにハリウッド俳優をはじめとした数々のセレブリティも来訪。まさに世界が注目するスポットになりはじめている。
「オーベルジュ ときと」のエントランス。和をベースにした贅沢な設えの中、旬にこだわった料理を堪能できる。
その他にも、無門庵で造っていたクラフトビールの想いを受け継ぎ、2021年にはブルワリー「立飛麦酒醸造所」もオープン。基本的に、使用するのは麦芽とホップ、水、酵母のみで自然発酵させた基本に忠実な本格派ビールを生産している。
「本当に美味しいビールなので、うちの就業規則では『社内でアルコール摂取してはいけない』というのはないんです(笑)幹部を集めた会議でもビールを出しています」
今後自社でのウイスキーやワインの生産も検討中。北海道余市に社員を1年間派遣し、ウイスキーやワインの醸造を研修させているそうだ。
地域と共に歩み進化し、世界に誇れる街へ
日本の美意識はもの作りにあるという村山氏。
「終戦後、飛行機製作が禁止されたため、立川飛行機の有能な技術者たちはトヨタや日産へと移り、現在の車産業の礎を築いてきました。お金がお金を生むような経済活動ではなく、徹底してこだわるもの作りが日本の美意識の原点になっていると思います」
事業はもの作りから、街作りやライフスタイルの提案へと変わってきているが、この街のあるべき姿を描き、立川とともに歩む企業であることに変わりはない。
「目指すのは、世界から日本を見たときに『芸術・文化・スポーツの街といえば立川』と言われること。そしてここに住む人がどこに住んでいるかと聞かれた時に、東京ではなく“立川”と胸を張って言える、そんな街づくりができればと思っています」
来年はプロスケーター浅田真央さんと共に作るスケートリンク「MAO RINK(マオリンク) 立川立飛」も完成。それ以外にも、立川を活性化するさまざまなアイデアは止まることはない。
立飛が創り出す立川の未来、その進化はこれからもきっと目が離せないはずだ。
GREEN SPRINGSにて、Premium Japan発行人・島村と。
村山正道 Masamichi Murayama
1951年3月28日生まれ、茨城県日立市出身。1973年立飛企業株式会社入社、経理部長、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、2009年立飛企業の取締役、2010年同社代表取締役社長に。2012年、グループ再編化に伴い現職に就任。地域社会に貢献するため、ららぽーと立川立飛、タチヒビーチ、アリーナ立川立飛など、グループの所有不動産を開発するとともに、大相撲夏巡業(5度開催)や流鏑馬(小笠原流)、立川立飛歌舞伎特別公演など、イベント誘致に取り組んでいる。2024年は立飛ホールディングス100周年を迎え、秋には浅田真央のプロジェクト「MAO RINK 立川立飛」のオープンを予定している。
島村美緒 Mio Shimamura
Premium Japan代表・発行人兼編集長。外資系広告代理店を経て、米ウォルト・ディズニーやハリー・ウィンストン、 ティファニー&Co.などのトップブランドにてマーケティング/PR の責任者を歴任。2013年株式会社ルッソを設立。様々なトップブランドのPRを手がける。実家が茶道や着付けなど、日本文化を教える環境にあったことから、 2017年にプレミアムジャパンの事業権を獲得し、2018年株式会社プレミアムジャパンを設立。
Photography by Toshiyuki Furuya
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。