先日行われた祭祀でのことだ。祝詞の奏上が始まってまもなく、ふいに風が起こった。サーッと音を立てて祭場を吹き抜けたその風は、しばらくするとぴたりと止み、今度は鳥の鳴く声が聞こえてきた。
神宮ではさまざまな音が聞こえてくる。川のせせらぎ、鳥のさえずり、そして、玉砂利を踏み締める音。参道を歩くたび、不思議と心が安らぐのは、人工的な音が耳に入ってこないこともあるのだろう。特に木々を揺らす風の音は、心身に溜まった塵芥(ちりあくた)を一掃し、清浄にしてくれるよう。「伊勢」の枕詞は、「神風や」。たとえば祭祀の最中に、ふいに一陣の風が吹き抜けたとき、そして、御正宮での参拝中に、風もないのに御幌(みとばり)が静かに上がったとき、ふと、「神風」という言葉が浮かんでくる。
今回は、そんなご神気あふれる神宮の参拝に関するあれこれを紹介しよう。
天皇陛下や皇族も、伊勢神宮では外宮から内宮へと参拝するのがならわしである
まず、神宮参拝にあたっては、外宮が先というならわしがあるのをご存知だろうか。
天皇陛下や皇族の方々も、内宮より先に外宮をお参りされるという。理由としては、主に2つの説が考えられている。1つは地理的な条件。現在のように、内宮と外宮の間に高速道路が通り、先に内宮からお参りできるようになったのは、実はごく近年のこと。
それ以前の、特に徒歩で参詣していた時代は、宮川を船で渡って伊勢に入るしか方法がなく、最初に到着するのが外宮だった。2つ目は「外宮先祭(げくうせんさい)」、つまり、神宮の祭祀がすべて外宮で先に行われることから、参拝の順序もそれに倣っているとする説だ。
ちなみに、この「外宮先祭」は、天照大御神が、自らの祭りの前に、まず外宮の祭りを行うように託宣されたと、『太神宮諸雑事記(だいじんぐうしょぞうじき=神宮の創建から平安末期までの主要事項が記された書)』に記されているという。
外宮の御祭神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)は、天照大御神のお食事を司る神。
天照大御神が伊勢の地に鎮座されて500年ほど経った雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れ、「丹波国、比治(ひじ)の真名井(まない)にいます御饌都神(みけつかみ=神饌の神)である等由気大神(とゆけのおおかみ)を、私の近くに迎えてほしい」と告げられたことから、現在の伊勢市山田地区にお宮を建て、等由気大神(豊受大御神)を迎えられたことがはじまりとされている。
ちなみに豊受大御神は、お米をはじめ、衣食住や産業の守護神ともされており、いわば、私たちの日々の営みを支えてくださる神様。やはり、両宮ともにお参りしたいところだ。


毎月1日、11日、21日の朝に行われる神馬牽参(しんめけんざん)では、神馬が菊の御紋の馬衣をつけ、両正宮にお参りをする。馬引(うまひき)に促され、ただ無心に神馬が頭を下げる姿は、本来の参拝のあり方を示しているよう。
神宮で個人的なお祈りはダメと聞くが、本当なのか?
もっとも、ここで気になるのが、神宮で個人的な願いごとをして良いか?という点である。
筆者自身、長年モヤモヤと抱えてきたこの問いを、今回、さまざまな文献を紐解きながら、改めて調べてみた。結果、やはりしない方が良いという結論に至った。その理由は、神宮は古来「私幣禁断(しへいきんだん)」、つまり、御正殿への幣帛(へいはく=神様へのお供え物)を奉るのは天皇だけという長い歴史があり、日々の祈りの内容も、皇室の繁栄と五穀豊穣、国の安泰と国民の幸せという、公の願いごとばかりだからだ。
つまり、私たちが日々平穏無事に暮らせるよう、知らないところで祈り続けてくれている、まずはそのことに感謝すべきだろう、と思うのだ。
なぜ神宮にはおみくじがないのか?
「一生に一度はお伊勢参り」と言われるほど、参拝できることが大吉
何より、先人たちも感謝の祈りを捧げてきた。そもそも、江戸時代に大ブームとなった「御蔭(おかげ)参り」も、人は日頃から、神仏や先祖、自然など、見えない何かの力添えや恵み、つまり「御蔭」を受けて生きており、それに対する感謝を表す気持ちから始まったという。
古来神宮におみくじが存在しないのも、お参りできること自体が、「御蔭」による幸せなこと、つまり大吉に相当するという信仰があり、おみくじを引く必要性がなかったからと聞く。それほど神宮参拝は、自ずと感謝の気持ちが湧き起こる、有り難い体験だったのだろう。


外宮の御正宮前で。御幌が静かに開くだけで、なぜかありがたい気持ちになる。
神宮を参拝することは、身も心も清め、清々しい気持ちであることが大切
一方、先人たちの言葉も参考になる。たとえば、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて生きた臨済宗の僧、夢窓疎石(むそうそせき)は、52歳のときに外宮を参拝。その際、当時の神職に私幣禁断の理由を尋ね、その答えを、自身の法話集『夢中問答集(上)』に記している。
それによれば、伊勢の神宮を参拝するときに大切なのは、精進潔斎をして身体を清め、神道で言う罪穢れに触れない「外清浄」と、胸中に名誉や利益の望みを持たない「内清浄」で、私幣、つまり個人的にお供え物を捧げることは、胸中にある望みを神様に祈っていることであり、「内清浄」とは言えないという。
つまり、真実の神宮参拝とは、肉体的な清浄である「外清浄」と、精神的な清浄の「内清浄」が1つになったときに実現する、というのである。
参拝は、手水で手を洗い、口をすすぎ、洗い清めるところからはじまる
さらに、南北朝時代の医師であり、連歌師でもあった坂十仏(さかじゅうぶつ)は、『太神宮参詣記』の中で、この「内清浄」と「外清浄」の考えをより深め、両者が1つになる境地に達すれば、神の心と自分の心の隔てがなくなり、神に祈ることはなくなる。これが真実の参拝だと記している。
なんとも難しく、また耳の痛い話で、自分がその境地に達するのは到底無理だと思わざるを得ないが、せめて参拝に臨むときは、まず手水舎で手と口を清め、長い参道を、心を清浄にする気持ちで静かに歩き、自分なりに御神前に向かう準備を整えるよう努めたいとは思っている。加えて、以前話をうかがった、とある水神を祀る古社の宮司の言葉も、肝に銘じていることの1つ。


外宮の宮域内の風景。北御門(きたみかど)口参道から、少し脇に逸れた小道を進んだ末社、大津神社の近辺は、深山に入ったような趣がある。


内宮の宇治橋を渡って、右手に見える神路山(かみじやま)は、季節ごとに色を変える。心静かに参拝する導入となる風景。
神宮はパワースポットなのか?
本来の自分の姿が最大のパワー。それを取り戻す場所が神宮なのだろう
「一般に、パワースポットという言葉がよく使われますが、パワーはいただくものではなく、本来はみんなが常に持っているもので、気がつかないだけです。しかも、日頃いろいろなものを見たり聞いたり触れたりすることで、その人本来の姿が隠れ、気が枯れてしまうんです。それを取り去って、本来の自分の姿に戻す。それが「身」を「削(そ)ぐ」、つまり禊(みそぎ)です。
人間は、自分本来の姿でいることが、生きる上で1番パワーがあるんです」–––。身も心も清浄にし、素の自分で御祭神と向き合う。参拝とは、すべてお見通しの神様の前で、素の自分をお見せする行為なのかもしれない。
もっとも、そんな小難しい理屈は抜きにして、ただ作法通りに、心を込めて2拝2拍手1拝をし、ありがとうございますと感謝の言葉を捧げるだけで、なぜか清々しく、さっぱりした心地になれるのも、お伊勢参りの不思議。試す価値はあると思う。
だが、それでも個人的な願いごとがしたい、そういう人は、神楽殿で御饌(みけ)や御神楽(おかぐら)を上げてはどうだろう。御饌は、神饌をお供えし、奏上される祝詞を通して私たちの願いごとを天照大御神に取り次いでいただくこと。一方御神楽は、御饌とともに雅楽を奏し、舞楽を加えて御神慮をお慰めするという、丁寧にご祈祷を行うことを指すという。実は筆者も、先日御神楽を上げさせていただいたばかり。
その際、神事の後で、神様にお供えされた神饌の御神酒や御米、御塩などを分けていただくとともに、––––これを食することで、神様の御蔭をいただく「直会(なおらい)」となる––––授与されたのが、お神札(ふだ)だった。


時折、風が木々を揺らす音に包まれる。内宮で。


内宮の宮域内にも、小さな自然が息づいている。さまざまな自然に触れ、神域の空気と少しずつ同化して、御正宮へと向かう。
お神札(ふだ)やお守りは神宮と私たちを繋ぐ絆である
神宮のお神札は、「神宮大麻(たいま)」と呼ばれている。「大麻」は、祓いの道具を意味する「おおぬさ」とも読み、古くは伊勢の御師(おんし)、つまり、「御祈り師」と呼ばれる神職が、ご祈祷を行ったしるしとして、大麻を和紙に包んだり、箱に納めたりして渡したのがはじまりとされている。
もっとも、この時代に御師たちが行っていたご祈祷は、神道で言う罪や穢れを祓うための祝詞『中臣祓(なかとみのはらい)』を唱えることによってなされていたと考えられ、その証として、ご祈祷に用いた祓いの道具、つまり大麻を象った祓串(はらいぐし)を、回数に応じて願主に渡していたという。
神宮のお神札が、江戸時代まで「御祓大麻」、「お祓いさん」などと呼ばれていたのは、多いときで千度、万度と、お祓いの詞を唱えてご祈祷されたからだったのだ。だが、明治4年(1871)に御師の制度は廃止。その後、大麻の奉製は、すべて神宮によって行われるようになり、名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」に変更されたという。
ちなみに、筆者が御神楽を上げた際に授与されたのは、長方形の木箱に納められたお神札。これは、「箱大麻」「神楽大麻」「お万度さん」とも呼ばれ、昔からの御祓大麻の伝統の姿をとどめているという。
かつて御師たちは、箱の中にお神札や神宮暦などを入れて諸国の神宮崇敬者たちに配り歩き、授与された人々は、その箱を畏れ多いと、高いところに棚を作り安置した。これが、現在の神棚のはじまりと考えられ、箱は「御祓箱」と呼ばれていたという。
現在不要になったものを廃棄する意味として、御祓箱という言葉が使われるのは、本来はお神札が入った御祓箱を、毎年暮れに新調する際、古い箱が不要になることから使われるようになったと言われている。


お神札のご用材を切り始めるにあたって行われる「大麻用材伐始祭(たいまようざいきりはじめさい)」が行われる祭場。


「大麻用材伐始祭」の最後では、素襖烏帽子姿の工匠3名が、神路山の方角に向かって、手斧を左・右・左と3回振り下ろす所作を行う。
4月には一年の神宮大麻の木を伐り始める儀式
「大麻用材伐始祭(たいまようざいきりはじめさい)」が執り行われる
神宮では、そんな神宮大麻のご用材を伐り始めるにあたって、毎年4月中旬に「大麻用材伐始祭(たいまようざいきりはじめさい)」が行われている。
もっとも、祭場は、かつて御料地からご用材を求めていた伝統に従って、内宮に近い山々に囲まれた場所に設けられ、神宮大宮司をはじめ、職員や関係者が参列するなか、御山から木をいただくことを山の神にご奉告し、作業の安全を祈願する神事が執り行われる。
冒頭の風は、この祭祀の最中に起こった。御祭神であっても、山の神であっても、神職が奉仕する姿は、常と変わらず丁寧に、だが、すみやかに、粛々と。祀られる山の神も、さぞお喜びになっていることだろう。
お神札は、家庭や会社を神々に守っていただく御守りのような存在という。たとえお参りに行けなくても、神宮とのご縁がつながっているようで、我が家の心強い存在となっている。


1月上旬に行われる大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)では、その年最初の神宮大麻に、神宮の印章である御璽(ぎょじ)を捺され、お札の奉製が始められる。
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
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